帝国主義的美容法

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 前に取材で御会いした心療内科の先生が「他人と過去の自分は変えられない」とおっしゃっていました。「1週間サイクルではなく1日単位でケリをつけろ」といった主張には共感もするのですが、余りにもそのまんまで、なんのヒネリもありません。
 確かに「自分でなんとかできる範囲で幸せになる」というのは結構な考えです。美容など最たるものです。「趣味の女装」なんかも、ドライブで窒素酸化物と二酸化炭素をまき散らしたりするより余程善良です。浮気の心配もゼロです。
 ただ、なんとも小さくまとまっている感じで、今一つ燃えるものがありません。
 微妙にメイク変えておいて、鎖ガマ振り回しながら「ねぇ、わたし何かちょっと違うと思わない?」くらい言ってみたいものです。
 迷惑かけに生まれてきましたから、領海侵犯してナンボです。

 過去の自分なんて、ガンガン書き換えましょうよ。
 最近のイシクラ大注目ブログ「蜜柑の独り言」さんで、宮崎留美子さんの著書話題にされていました。はっきり言って、宮崎さんのことはあまり好きではありません。ですが、「一貫性の無さなんか批判してどうすんねん」という蜜柑さんの主張には喝采を送りたいです(わたしならそれを「進化」とは呼びませんが)。VIVA経歴詐称です。言ってることなんてコロコロ変わるのが普通です。あなたの上司のことを思い出して下さい。てか、「骨髄反射」で答えているので何を言ったかも一々覚えていません。
 その点、一部の政治家は皮肉ではなく偉いです。「一貫性」しか芸のない半端リベラルが一番ダメです。なぜなら一貫性の抽象可能性という幻想自体が、勝手にルールを決めておきながら「ルールの中で闘いましょう」という反動のトラップだからです。同じパンチは二度来ないのです。
 他人だって、そのものは変えられないかもしれませんが、「自分の中の他人」だったら妄想的にイジレます。「このサタンめっ」とか思い込んで憎んでおきましょう。本当は腋臭が臭いだけでも、サタンなら闘う大義ができてイイ感じです。
 最近取材仕事が少なくて退屈なので、部屋の模様替えしています。意味もなく早起きして黙々と掃除したりしています。「料理は好きだけれど掃除は嫌い」なイシクラですが、修行だと思うと嫌いなことがかえって快感になるので便利です。
 これくらいは「普通の美容」と同じレベルです。近所の掃き掃除くらいまでなら「イイ人」でしょう。
 勝手に溝さらいを始めたりすると、ちょっとヤバくなってきます。一歩間違えると良いことをしているのに通報です。
 でも「ワシの街」なんて言い始めてパトロールまでし出すと、もう手が付けられなくなって無敵になります。
 「散歩」改め「パトロール」で行きましょうか。
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『アメリカ「超帝国主義」の正体』 田中宇 小学館

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