ファイルーズとハリール・ジブラーン


 少しでもアラブ・ミュージックに興味のある方なら、ファイルーズの名前を聞いたことのない人はいないでしょう。わたしは別段「ワールド・ミュージック」1ファンではないのですが、NHKテレビのアラビア語会話でカリーマ先生が触れられていたのをキッカケに、ファイルーズのことを知りました。
 最初に聞いた時は古臭い演歌みたいで、ちっとも馴染めなかったのですが、繰り返し聞いているうちに心に染み入るようになりました。しっとりとした女性ヴォーカルの好きな方なら、一度は聞いてみることをお薦めします。
 ファイルーズの曲は曲によって大分雰囲気が異なり、「アラブ音楽」的なものからジャズヴォーカルのような歌まであるのですが、ド真ん中の「わたしに笛を下さい」が結構気に入っています。というか、『ステップアップ アラビア語の入門』にこの曲が収録されていて、最初は「歌のコーナーなんか要らないよ」と思っていたのが、何度も反復している内にすっかりハマってしまった、というのが真相です(笑)。
 أعطني الناي و غنで検索すれば、動画も沢山見つかります。

Fairouz – Give Me The Nay And Sing -Courtesy of Hani Jordan!
A3teny El Nay

 アラブ音楽は一般に前奏が長いので、歌が始まるまでに結構待たされます(笑)。個人的にはもっとシンプルなものが見てみたいです。
 ファイルーズと関係ないですが、勝手にギターソロしているこのお兄さんはカッコイイです。

 ファイルーズの歌も素晴らしいのですが、それ以上に好きなのが、ハリール・ジブラーンによる詩。ハリール・ジブラーンはレバノン出身の超有名な詩人ですが、彼の詩を歌にしたのがファイルーズの「わたしに笛を下さい」です。
 ハリール・ジブラーンには、「カリール・ジブラン」という日本語表記を結構見かけます。ラテン表記だとKhalil Gibranなのですが、خليل جبرانを耳で聞いてカタカナで表現するなら、「ハリール・ジブラーン」の方が近いと思います。
 一方でKhalil Gibranをアメリカ人が発音しているのを聞いたところ、「カリール・ジブラーン」が近い印象です。ハリール・ジブラーンはアメリカでの活動が長く、英語で書かれた詩も沢山ありますから、アメリカ式の発音を元に「カリール・ジブラン」という日本語表記が生まれたとしても不自然ではありません。
 アラビア語の場合、最初のخという音は「クハッ」というか、「ハーッ」なんだけれど口蓋の上の方にひっかかったみたいな微妙な音で、うっかりしているとحという「ハーッ」の無声音と間違えます。でも、「カキクケコ」には聞こえません。
 ちなみにピラミッドで有名な「クフ王 خوفو」の「ク」もخですから、無理矢理カタカナ表記すると「フーフー」みたいになって全然違います。「フーフォ」みたいにも聞こえます2
 また、Wikipediaでは「ハーリル・ジブラーン」とあるのですが、少なくともわたしの見たアラビア語表記から考える限り、خにアクセントを置いたり長母音と解するのは不自然だと思います。何か意図があったのでしょうか。

 ファイルーズとハリール・ジブラーン関連のキーワードで検索していると、結構な確率でこのエントリがヒットするのですが、ここに掲載されている絵画もハーリル・ジブラーンの作品です。全文と英訳があります。
 ハリール・ジブラーンの最も有名な著作はThe Prophetという英語で書かれた詩集です。
 ジブラーンはレバノン生まれのマロン派キリスト教徒で、アラブの詩でThe Prophetといってもムハンマドのことではなく、作中のアルムスタファを指しています。ジブラーン自身も「預言者」と呼ばれたようですが、『預言者』を素直に読めばアルムスタファ以外考えられないでしょう。邦訳も出ています。装丁も可愛くて、枕元に置いておくのにピッタリの本です。
 「笛を下さい」はThe Procession ال مواكب に収録されていて、英語版はアマゾンにもあるのですが、アラビア語版は手に入るのかわかりません。これはアラビア語オリジナルなので、必ず存在はするはずなのですが・・。

 以下、自分の勉強のために「わたしに笛を下さい」をタイピングしておきます。ネット上でも結構見かけるのですが、シャクルありのものは見つけられなかったので、シャクルを付けてみます。初心者のわたしの筆写なので、スペルミス等が含まれている可能性は大いにあります。
I typed this poem for my Arabic typing training, so it may contain spelling errors. If you find it, please don’t hesitate to point it out.

أعطني الناي و غن

أًََعْطِنِي النَّايَ وَ غَنِّ فَالْغِنَاءُ سِرُّ الْوُجُودِ
وَأَنِينُ النَّايِ يَبُقَى بَعْدَ أَنْ يَفُنَى الْوُجُودُ

هَاْ اتَّخَذْتَ الْغَابَ مِثْلِي مَنْزِلاً دُونَ الْقُصُورِ
فَتَتَبَّعْتَ السَّوَاقِي وَ تَسَلَّقْتَ الصُّخُورَ؟

هَاْ تَّحَمَّمْتَ بِعِطْرٍ وَ تَنَشَّفْتَ بِنُورٍ
وَ شَرِبْتَ الْفَجْرَ خَمْرًا قِي كُؤُوسٍ مِنْ أَثِيرٍ؟

هَاْ جَلَسْتَ الْعَصْرَ مِثْلِي بَيْنَ جَفْنَاتِ الْعِنَبِ
وَ الْعَنَاقِيدُ تَدَلَّتْ كَثُرَيَّاتِ الْذَّهَبِ؟

هَاْ فَرَشْتَ الْعُشُبَ لَيْلاً وَ تَلَحَّفْتَ الْفَضَاءَ
زَاهِدًا فِي مَا سَيَأْتِي نَاسِيًا مَا قَدْ مَضَى؟

أَعْطِنِي النَّايَ وَ غَنِّ وَ انْسَ دَاءً وَ دَوَاءً
إِنَّمَا النَّاسُ سُطُورٌ كُتِبَتْ لَكِنْ بِمَاءٍ

 本当は全訳を付けたいのですが、数箇所どうしてもわからないところがあるので、大好きな最初と最後のところ(ファイルーズの歌だとサビに相当し、何度も繰り返される)だけ書いておきます。興味のある方は『ステップアップ アラビア語の入門』の本多先生の訳をご覧になってください。わたしには紹介する資格がありません。

わたしに笛を下さい そして歌ってください
歌こそが形あるものの秘密だから
形あるものが消えても、笛の音は残る

わたしに笛を下さい そして歌ってください
病や薬のことは忘れなさい
人はただ、水で書かれた詩の数行にすぎないのだから

 وجودは「存在」という意味ですが、漢字二文字な重いイメージではなく、普通の単語だと思います。「形あるもの」とかしてみましたが、日本語で何が適切なのかよくわかりません。
 哲学をやっていた時から、つくづく日本語には「存在」という概念がないな、と感じていたのですが、ヨーロッパ言語の文脈ではbeということですから、ちっとも特別なものではありません。ハイデガーなんて、「AはBである」と「Aがある」の違いと関連を巡ってグルグルしているだけのように思うのですが(ごめんなさい)、日本語で「現存在」とか言われると誰でもピンと来ません。
 アラビア語の場合、SVC構文的な表現をする時にコピュラを使わず、وجودもfindに相当する語から派生しています。英語でも存在を表現するのにfindを使うことがよくありますが、アラビア語はfindデフォルトです。
 最後の「詩の数行」には、別に「詩」という表現はなくlinesと言っているだけなのですが、「数行」では意味がわからないので、苦し紛れに「詩の数行」と言っておきます。この最後の一節は本当に美しいのですが、日本語で書くと何だかベタで凹みます。「インナマー ナース ストゥール クティバ ラーキン ビマー」です。ファイルーズの歌を聴くと、この最後のところがメッチャ「キメ」になっているのがわかるでしょう。ここで観客がウワーッ!ってなって拍手喝采、という展開です(笑)。

 最後に、アラビア語の達人様がもしご覧になっていたら、どうか駆け出しのわたしの疑問に答えてやってください・・。

① منزلا دون القصور
manzilanはどういうこと?manzilは流石に知っていますが、文脈から察するに動詞か能動分詞が来て、かつそれが否定され、「城の元に住むのではなく」みたいになると思うのですが、構文が取れません。

② السواقي
運転手としか思えません(泣)。本多先生の訳だと「小川」ですが、どうしてこれが小川なんですか?

③ 葡萄とシャンデリアの下り
意味は単語から何となく推測がつくのですが、構文が取れません・・・。

 あぁ学生になりたい・・仕事やめてまた大学行こうかなぁ・・誰か嫁に貰って(笑)。

B000HWXO7W ヴェリー・ベスト・オヴ・ファイルーズ
ファイルーズ
ライス・レコード 2005-08-19
  1. この言葉のヘンテコリンさが、不快感を越えてもう面白くなっていますね。いいんじゃない、「ワールドミュージック」。 []
  2. アラビア文字以前の人名をアラビア文字表記したため長母音になっているだけで、元々は短母音なのかもしれませんが、よくわかりません []

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. Bianca より:

    はじめまして。ファイルーズを検索中に、このブログを発見し、なつかしくてチョッとお寄りしました。アラビア語は昔取った杵柄で今は役に立っていませんが、一つだけ疑問にお答えすると、
    SAAQIの意味は給水者とか、酒席で酌をする人とか言う意味があるようです。
    (古詩によくそのまま「サーキー」として出てきます)語根はSQY。

  2. ish より:

    コメントありがとうございます! 大変勉強になります!
    アラビア語を学び始めた時はまったく気軽な気持ちだったのですが、その深遠さにすっかり魅了され、最近では仕事と睡眠以外ほとんど勉強ばかりです(笑)。日本人でアラビア語の話をできる人が周囲に一人もいないので、新鮮な気持ちです。もっと若い時に始められれば・・と言っても仕方ないので、できることをやります。
    アラブの古い詩には大変興味を持っているのですが、今のわたしの力ではなかなか読解できません。一年後にはもう少しマシになっていると信じたいです・・。
    それにしても、アラビア語を学んでいると、自分がいかに英語文法に洗脳されているかを思い知らされます。初学者の思いつきですが、実は名詞文がキモなんじゃないかなぁ、とか最近感じています。深い。

  3. Bianca より:

    起きている時間の殆んどをアラビア語に捧げていらっしゃるとは!
    独学でこの水準まで到達されたのも、納得です。
    ペルシャの詩人で、シラーズのハーフィズ「ルバイヤート」
    翻訳されていますが、お読みでしょうか。

  4. Bianca より:

    御免なさい、訂正を。
    「ルバイヤート」の作家はオマル・カイヤームでした。恥ずかしい!
    ハーフィズも「抒情詩」があり、どちらもも一ページ目に「サーキー(酌人)」が出てきます。太宰治の「人間失格」にも、「ルバイヤート」からの引用があり、また英国の短編作家で筆名をサキという人がいますが、それはここからとったとか。
    年をとると記憶があいまいになりますね。おかげさまで良い勉強をさせていただきました。