誰かが休めば、それはわたしの休みだ


 そろそろ帰省ラッシュですが、今年のお盆は(も)一日も休みませんでした。特に「夏休み」というのが決まってない現場にいるので、各自三々五々休んでいるのです。わたし個人は特に「夏休み」は取らないつもりです。
 「好きな時期に」といっても、ご家族のある方などはやはりお盆に休みたいでしょうし、周囲では「一週間お休み」という話も聞きます。
 そういう時「わたしは働いてるのに」とか思うかというと、似たような働き方をされている方にはわかると思うのですが、全然そんなことはなくて、むしろ休んでくれて有難いくらいです。

 一つには、単に東京から人がいなくなる、という理由があります。お盆の東京は最高です。朝、電車で座れることすらあります。カフェもガラガラで、超デラックス気分です。
 職場も人が間引かれて、ゆとりがあります。人間がちょっと少なくなるだけで、こうまで気分が良いものなのか、と驚くぐらいです。協調性ゼロでお昼も極力ズラして休憩しているヒトなので、この「まばら感」には格別癒されます。
 話がズレますが、お盆にはご先祖様が帰って来て死者の分人口が増えそうなのに、東京ではかえって減るのが面白いです。代わりに、田舎は人口が増えます。ですから、お盆に帰って来る「死者」とは、「東京に働きに出た子供たち」のことです。ナスに割り箸刺してお馬の用意をしていたら、乗って(会社に)帰るのは自分だったりするわけです。

 もう一つ、身近な人が休みを謳歌していると、何となく自分も休んだ気持ちになる、というのがあります。一週間お休みで旅に出られた人がいるのですが、旅行の話を聞くだけで何だか自分も夏休みがあったような気がしてきます。
 また、道を歩いていて「夏休み!」な雰囲気の人々がいると、それだけでゆったりした気持ちになります。会社もみんなアロハとか麦藁帽子で来たら、仕事もはかどると思うのですけれどね。わたしの職場は服装自由ですが、さすがにアロハはいませんね・・・。

 休みと労働、幸福と不幸みたいな話になると、何となく世の中の「幸福総量」「富の総量」みたいなのが決まっていて、それがどこに分配されるか、みたいな発想をしてしまいがちです。実際、そういう面はあるでしょうし、そう考えることで整合的に理解できる場面も多いことでしょう。
 しかしこの「総量は決まっていて後は取り分の問題」な見方は、人の世界の内的秩序に捕らわれた、了見の狭いものです。「働かざるもの食って良し!」で書いたように、この「閉鎖系」はより大きな系の一部にすぎません。まぁ、あんまり大きなスケールで物事考えると、それはそれで暴走する時があるので、ほどほどに大きくなったり小さくなったりすれば良いと思いますが・・。
 とにかく、決まった「総量」の取り合いだと思うと、人が取ったらその分自分の分が減るわけで、どうしても目が三角になりがちです。でも実際は、人が取ったら取ったで、何となく嬉しくなることもあって、人体というのは、必ずしもセコい「個」のレベルでの合理性では動いていません。いっそ人が取ったら「総量」自体がどんどん増えていく、と考えたら良いのです。「いやさか」というか、能天気ハッピーな感じで最高ですね。

 こういうことを書くと、理屈っぽい人が「その増えた総量も別の総量の一部で・・」的な発想、例えばエコっぽいことなどを言い出すかもしれませんが、ぐるっと回って見渡せるより向こうの「総量」とは、すべて神様の取り分ですから、全然関係ないです。そういう人の了見を超えたようなところまで、人間の尺度で計算し上手くやれると考えるのが、大変な驕りです1。マルクス主義とか、最悪ですね。
 余った分は神様に返して、足りない人は神様にもらえば良いのです。自分が休まず他人が休んでも、それは自分の休みなのです。
 いや、そう言って「じゃぁ有給ゼロね」とか言われるとそれはそれでちゃんと辛いのですが、少なくとも他人が休んで人間が少なくなると、人間が好きになりますし2、世間がブラブラしているのは大変結構なことでしょう。
 小さい子がトイレに行きたがっている時に、「じゃぁお姉さんが代わりに行ってくるから!」と言うと、時々そのまま納得してしまうことがありますが、あんな感じでしょうか。
 実は騙されているのだとしても、おしっこ漏れちゃってから気づけばいいんじゃないですかね。

  1. 無理と知りつつ、壮大なスケールのことを考えるのは大いに結構だと思います。宇宙開発でも何でも、楽しんだら良いでしょう。ですから、「神をも畏れぬ」研究にこそ、信仰が必要なのです。神への畏れがあるからこそ、「果たせる」という驕りとは異なる形で、限界を超えて挑むことができるのです。前人未到の海の向こうまで旅しても、ずっとずっと神様は付いてきて、最果てで平伏する、そんな感じです。 []
  2. 人間の絶対数が少なくなるだけで、気持ちにゆとりができて優しくなるのはどうしてなのでしょう(わたしだけですか?)。人間の数が減って「レア感」「人恋しさ」が増した、とも言えますが、とりあえず東京は人が多すぎますし、どちらかというとお盆でやっとレッドゾーンから脱却、くらいな気もします。一概に減れば気持ちが楽になる、というわけではないでしょうし、人によって心地よく感じる人口密度も違うでしょうけれど。 []