『はじめてのアラビア語』とアラブのことわざ


『はじめてのアラビア語』 宮本雅行 『はじめてのアラビア語』 宮本雅行

 アラビア語に興味を持って最初に買ったのがこの本。
 タイトル通り、まったくアラビア語学習経験がない人に「アラビア語ってどんな言葉?」を紹介する一冊です。微妙に恥ずかしいのですが、わたしこそ正にその「未経験者」なので、頭を垂れて教えを請いました。
 面白いです。
 この手の「語学系新書」にありがちな通り一遍の説明ではなく、ツカミからの持って行きかたが上手です。アマゾンのレビューにもありましたが、著者が語学教師ではないこともプラスになっているのかもしれません。この本でますますアラビア語に惹かれ、何気に次の小さな一歩を踏み出しています。
 『はじめてのアラビア語』ではありますが、文字通りの純初心者にとっては、この本一冊みっちりマスターするだけでもかなりの前進です。


 最初に基本的な挨拶などが(カタカナ表記をまじえ)紹介され、その後文字のざっとした説明、それから文法の基礎の基礎、という構成になっています。
 このうち「文字 > 基礎文法」の壁が最初の難関です。紹介されている文法事項は本当に基本的なことなのですが(それすら現時点では身についていない)、そもそも字がわからないので、さっぱり頭に入りません。ページ数では数十ページ程度の文字学習ですが、マスターしようと思うといくらでも時間を使えます。ひたすら書き取りから始めました。
 一週間ちょっとくらい昼休みに書写していると、なんとなく音はわかるようになりました。それだけでも感激です。今、ドトールで最も無気味な客、それはわたしです
 アラビア語は右から左に書きますが、宮本さんの仰るとおり、その点にはびっくりするくらい早く慣れました。考えてみると、わが国は未だにトラックの横に右から左に社名が入っていることもある国です。欧米人にとってよりは、敷居が低いはずです。ただ、裏紙に書き取りして練習するとき、つい左側から使い始めてしまうのがなかなか抜けません(笑)。
 「これが本当に文字!?」なアラビア文字ですが、以前挑戦して速攻挫折したタイ語に比べれば文字の数もグッと少なく、アルファベットと変わりません。左右の文字とくっついて変形してしまうのが鬱陶しいですが、漢字に取り組む外国人諸兄を想い、大和魂を見せましょう。
 厄介なのは、アラビア語では母音が基本的に表記されない、ということです。クルアーンや子供向けの本には母音記号がついていますが、一般のテクストは子音だけで前後の関係から判断しないといけません。わたしはまだ母音記号があっても一文字ずつたどたどしく読んでいるレベルなので、あまりの道のりに気が遠くなりそうです。
 もちろん、この本を完璧マスターしたとしても、アラビア語を話せるようになど絶対なりません。ですが、千里の道も一歩から。現在は他の教材を進めていますが、寝る前には『はじめてのアラビア語』もパラパラ読み返しています。

 自分の能力・年齢・時間的経済的制約を考えると、アラビア語が「使える」レベルに到達することは一生ないと思いますが、「アラビア語だけがクルアーン」と言われれば、やるだけやってみるより他にありません。アッラーフはなぜ日本にも預言者を下さらなかったのでしょうか。ちょっと偶像崇拝者が多すぎましたか。

 本書最終章の「ことわざで知るアラブの知恵」は、ここだけ雑誌掲載のエッセイを収録したものですが、アラビア語プロパーからちょっと離れて、読み物として楽しめるようになっています。
 いくつか気に入ったところを引用させて頂くと、

「怒らされて怒らない奴はロバ」。日本人とアラブ人の違いを痛感させられることわざの一つがこれです。

 ああ、素晴らしい。アラブにどんどん惹かれていきます。
 怒りのない者は醜いです。怒りの表情が美しい人こそ、本当に美しいと思います。笑顔などというのは、猿の降伏のポーズなのですから。
 そういうわたしは日本社会超不適応ですが。

アラブ人が、或る人を本当に友人と認めるのは、相当の信頼関係がある場合に限られると思っても間違いありません。
ですから、アラブ諸国を旅行して、初対面なのに「サディーキー(私の友だち)、サディーキー」と呼びかけられた時は、これはそのアラブ人に何か下心がある場合だと思ってもいいでしょう。

 わたしは「友だち」という言葉があまり好きではありません(使いますけれど)。どこか気安くて、お茶を濁しているような曖昧さがあるからです。
 一方で「血」にとても惹かれます。といっても、文字通りの血縁などはどうでもよく、「杯を交わす」とか「契る」といった「印」を重んじる、ということです。要するに約束フェチです。セム系一神教の「契約」ノリにもすごく萌えます。
 日本でこれを極めようとしていると、わたしのように友達いなくなりますので、あまりお勧めはしませんが・・・。

(「ゆっくり行動する者が欲するものを手にする」という諺に関連し)アラブ圏に何年か住んでいましたが、走っているアラブ人(の大人)をみかけた覚えはありません。(・・・)
 サウジアラビアに赴任してまもない頃のことですが、日本の閣僚が紅海の港湾都市ジェッダの王宮を訪れた時、緊急に連絡することが起きたので、ついつい王宮の中を走ってしまいました。
 たちまち、王宮の守衛か儀典係らしいサウジ人が近づいてきて、厳しい口調で筆者に言いました。
「おい君、何の用事か知らんが走るんじゃない。ここは王宮だぞ」。

 これについては、偉そうなことを言えるほどドーンと構えられるヒトではないのですが、「走る」ことの突拍子もなさ、は忘れがちなポイントです。
 人間は「逃げる」以外の目的で大人が走る珍しい動物のようですが(※1)、「走る」というのは本来相当の緊急事態なはずで、周囲を不安にさせるものです。小学校の頃は「廊下を走るな」と言われたはずですが、会社の中を平気で小走りする人間がいます。非常に不愉快です。
 「やる気を見せる」スポーツマン根性なのでしょうか。そんなところで走ったからといって、仕事が早く進むわけじゃないでしょう。グラウンドかどこかならともかく、室内で走るのは本当に止めて欲しいです。
 そういう走っている人に、ブチ切れて左ミドル叩き込みそうになるわたしは、もっと周囲を不安にさせる存在ですが・・・。

※1
 以前武術を学んでいたとき「武術家はランニングなどしない。達人が走りこみをやっていた話なんて聞いたことがあるか? 走るというのは、動物的能力を損なう不自然な訓練だ」といった教えを聞きました。
 現実にはスポーツ的練習法もするわけですから、結局走っていましたが、一理あるように思います。少なくとも、「走る」動作と武道的身体操作はかなり相性が悪いです。
 それを補って余りある効果があるから、現代格闘家は走るのでしょうし、実際、試合で勝つには走らないといけないと思いますが・・。