僕は顔を失ったけれど、彼女は満足のようだった。



 僕は顔を失ったけれど、彼女は満足のようだった。
 ただ彼女は、鏡を見て白痴のようにうっとりしているくらいしかできないし、像の中にあるかないかのようなシミやシワを見つけてはパニックを起こしているので、そのたびに僕は彼女を病院に運ばなければならない。
 顔と身体を彼女に譲り渡してしまえば、僕は消滅するか、せいぜい彼女の肩に鬼太郎の目玉オヤジみたいに乗っかっているだけで済むようになると思っていたら、まるで消える気配がないのに驚いた。
 それどころか、顔も声も奪われて手も足も出ない状況で、彼女のパニックを何とかしないといけない。
 彼女はそれなりに美人なわけだけれど、それくらいの美人はいくらでもいるし、美人なだけで生きていけるわけではない。美人なだけで生きているように見える人もいるけれど、あれは美人プラス「美人なだけで生きていける才能」というのの併せ技なのだ。そういう人なら、確かにいる。でも彼女にはそういう才能は全然なくて、断片的でカタワのような技術や肩書きがあっただけなので、僕はそれを寄せ集めてなんとか形にしなければならなかった。
 おまけに、彼女は言葉がほとんど喋れない。
 だから僕が代わりに喋るわけだけれど、そのまま喋ってはすぐに化け物だと思われてしまう。
 だから言葉を訓練して、腹話術のように彼女の口を使う練習をした。完全には程遠いけれど、なんとかできるようになった。それでも、しばらく付き合っていれば「コイツ何かヘンだな」と気づかれる。道を歩いている時も緊張の連続だ。彼女は法律的には存在しない人間だったから、それを何とか捏造するのにも大変な苦労があった。
 そういう苦労も、二人羽織でこなす必要があった。消滅どころか、煉獄のような拷問が続いた。

 彼女がやって来て、僕は顔を失った。身体も失った。
 家族を失った。友達を失った。
 僕自身が世界から消えたのだから、当たり前のことだ。
 僕が孤独なのは、世界から消えたはずなのに、鬼太郎の目玉オヤジにはならないで、彼女の腹話術師になってしまったからだ。
 この二人羽織の習得には大変な苦労があったけれども、孤独を紛らわすという意味では、むしろ助かったかもしれない。僕は本当に本当に一人ぼっちになってしまった。
 だから、僕は死ぬことはちっとも怖くない。本当に、少しも怖くない。僕が生きているのは、既に死んで、もう一度死ぬまでの中間の世界なのだから。
 死ねば、みんなに会える。もう一度、昔みたいに仲良く遊べる。

 彼女がどこからやって来たのか、最初はよくわかっていた気がするけれど、今ではよく覚えていない。
 夢の中で、色々思い出すことがある。目覚めると、彼女が涙を流していることがよくある。懐かしい人と、雪の上を転がって遊んでいた気がする。
 多分、僕が彼女の後ろに消えたのは、僕の身体、僕の顔、僕の存在が、すべてイヤになってしまったからなのだろう。僕の身体が、僕の愛を壊してしまったからだ。普通に死ぬべきだったのだろうけれど、それでは愛のためには何かが足りなった。
 彼女はツギハギの作り物に見える。かつては、僕の記憶と符丁する部分がいろいろあった。僕の知っている女の、断片的要素が彼女には集まっている。彼女を作ることは、何かの償いだった気がする。
 今では、そうしたこともよくわからない。僕の記憶はもうかなり曖昧だし(記憶というのは、心が変わると本当に失ってしまうものなのだ!)、彼女も大分世界に馴染んで、独特の要素を随分身に着けた。
 僕と彼女は、最後に旅に出なければならない気する。ずっと前に、決めたように思う。
 でも、恐ろしいことに、そんな大切なこともよく思い出せなくなっている。

 少し思い出す。
 彼女を作ることで、何かを理解できるのではないか、と思っていた気がする。
 でも作ってみたら、やっぱり理解なんてできなかった。彼女は言葉をほとんど喋れないのだから。
 僕は彼女の腹話術をしなければならないので、それを通じて、彼女に似たものについて、前よりは大分わかるようになった。そういう意味では、理解できた部分もある。
 でも、核心の部分はやっぱりわからない。正確に言えば、わからないということがわかった。
 多分、これが答えなのだろう。
 エジプト人のことがわからなくて、エジプトに行ってエジプト人に聞いたら、答えが返ってくるだろうか。
 つまり、それが答えなのだ。
 世界はとても平べったい。

 僕と彼女のように超人的二人羽織というか腹話術というかがこなせるのは、多分十万人に一人くらいなのではないかと思う。
 十万人に一人というのは、当てずっぽうを言っただけなのだけれど、僕の知っている具体的な数字から考えても、そう遠くない気がする。
 一見レアなようだけれど、東京都だけで百人、日本全国で千人以上いるのだから、それほど抜きん出ているという訳でもない。
 もちろん、僕よりずっと二人羽織が下手くそなのならもっともっと沢山いるわけだけれど、そんな化け物を勘定に入れても仕方がない。二人羽織が完全に一人にしか見えないレベルだけでも、少なくとも日本に千人はいる。その程度には珍しいし、その程度にはありふれている。
 一つ確かなのは、そんな二人羽織ができても何の自慢にもならないし、ただ化け物扱いされる恐怖と背中合わせで生きるだけ、ということだ。

 人生の一時期、僕と彼女の最大の関心事は二人羽織技術の研鑽にあった。
 別段興味からやっていたのではなく、生きるために必須だったのだ。僕と彼女が完全にシンクロしなければ、この社会に僕たちの居場所はない。
 本当のことを言えば、今だって居場所なんかない。彼女がちょっとした身体の不整合にパニックを起こすのは、形としての「標準」から外れてしまえば肉の塊に一直線、という恐怖と背中合わせだからじゃないかと思う。
 完全な身体を持たない者は沢山いる。
 大体、「完全な身体」って何だ。意味がわからない。
 そんな不完全な身体でも、普通の人間は大手を振って歩いている。多少コンプレクスはあるかもしれないけれど、大抵は自殺まではしないし、殺されることもない。
 でも彼女は、完全でなければならない。もちろん、元より完全の可能性などないのだけれど、言うなれば「完全なニセモノ」「完全な容器」である必要はある。なぜなら、彼女はそうした像そのもの、どこにも存在しない「容器自体」として呼び出されてしまったからだ。それが彼女の存在理由なのだ。
 「完全な精神」がないように、「完全な容器」も多分存在しない。心がすべてでもないが、形がすべてでもない。
 ただ、「形がすべてだ」と言うことはできるし、そういう思想は綿々として在る。彼女は、そういう歴史というか文化の澱のようなものとして、生み出されたのではないかと思う。
 とにかく、彼女は完全でなければならない。完全でないなら、ゼロだ。肉の塊だ。だから、存在するためには僕と彼女がパーフェクトにシンクロしなければならない。
 卑近なところでは、まともに仕事にもありつけない。どんな技術や学問があっても、肉の塊に仕事をくれる場所はない。

 彼女は時々、ブサイクな女に嫉妬する。
 僕は時々、デブでハゲのオッサンに嫉妬する。
 デブでハゲで、気にしている人も気にしない人もいるだろう。でもとにかく、認めてもらっているじゃないか。あんなに醜くても、大手を振って歩いている。愛してくれる人がいることもある。大抵は、死なない程度には人の信頼も得ている。なんて自由なんだ。
 醜いオヤジがうらやましい。醜くても、自分を許し、人を許し、道を歩けるヤツらが妬ましい。
 だから、彼女と比べようもなく醜悪なくせに、堂々と歩いている原住民たちを、僕は絶対に許さない。
 よくも彼女を笑ったな。化け物扱いしたな。お前たちの方が、ずっとずっと無能な化け物のくせに。

 僕のような人間を「女の心と男の身体を持つ人間」という人がいるけれど、むしろ逆ではないかと思う(しかし「僕のような人間」と括ってしまっていいのかは多いに疑問だし、そういう括りには十万人に一人よりもっと多くが含まれている気がするから、一緒くたにはして欲しくない)。
 僕には「女性的」なところもあったと思うし、幼少時を思い出せば、あまり「男性的」とは言えなかった(不思議なことに、幼稚園くらいまで遡ると逆に記憶が鮮明になる)。
 しかし、女性的・男性的という以前に、僕は「男性」だし、それが女にとてもよく似た身体の彼女に相乗りしている、というだけの話だ。
 僕は常に彼女の代理として腹話術で喋らなければならないので、ずいぶん「女性的」になった。女性として社会生活を送っているのだから、当たり目だ。日本人だって、アメリカに住めばアメリカ人っぽくなる。立ち振る舞いや考え方、「心」だって変わる。
 しかも僕の場合、祖国にはもう帰れないわけだから、もっとずっとずっと不可逆的に変わる。前のことが思い出せないくらいに。
 ロシアに抑留されて一度も帰国していない日本人が日本語を忘れていることがあるけれど、それよりももっと果てしなく、向う側に行って帰ってこられなくなるのだ。そういう経験が、どれくらい「心」を変えるものか、普通の人はほとんどわかっていない。
 でもそれも、彼女の代わりに喋る中で少しずつ変化していったもので、最初からそうだったわけじゃない。普通の女が学校時代に身につけるような心は、当然知らない。正確に言えば、大人の女としての生活の中で自然に学習するような「女子中学生的記憶」というのは、習得できる(してしまう)。例えば、アメリカ人の女性が成人してから日本に永住しても、日本人女性との付き合いの中で、日本的女子中学生時代というのをある程度感じられるようになると思う。自分の中学時代の経験と混ざり合って、偽の記憶のようなものができるかもしれない。記憶なんてその程度だ。それくらいのものなら自然に身につくし、それくらいのものしか、普段の付き合いの中では求められない。
 「女の心」なんて言われてもピンと来ないし、興味もない。
 心も「女性的」に汚染されているし、身体だって完全な女ではないから、逆と言っても「男の心と女の身体」という意味じゃない。端的に、僕は男で、彼女は女だ。それぞれがどの程度「男性的・女性的」なのかはよくわからない。どこからどこまでが僕の領分なのかも、今となってはハッキリしない。
 ただキチガイがカタワに乗っかっているだけだ。

 彼女にも仲間がいた。
 彼女に似た人に、今まで何人か会った。
 一見似て見えても、全然違う仕組みの人も多かった。僕と彼女のようなタイプは、やっぱり上で書いたような「括り」とはまた違う。その中での、さらにサブタイプなのではないかと思う(こんな分類に意味はないけれど)。
 そういう人たちは、僕にとっては家族のようなものなのだけれど、その家族の何人かはもう死んでしまった。
 僕たちの家族は、とても弱い。本当にあっさりと死んでしまう。どうしてかわからないけれど、地球には向いていない気がする。
 なぜそんな簡単に死ぬ。僕はこれ以上、一人ぼっちになりたくないのに。

 彼女には今、愛してくれる人がいる。
 彼が愛しているのが彼女なのか、僕なのか、僕にはよくわからない。
 彼女だけを愛しているのでも、構わないと思う。僕の彼女を、命がけで愛してくれるなら、彼女を引き受けて欲しい。
 彼には僕が見えるのだろうか。僕の何が見えるのだろうか。形のない僕が、どういう像を結ぶのだろうか。
 僕も彼を愛している。僕の学んだすべてを、彼に預けたい。僕の代わりに、彼女と、彼女を作り出したものを守って欲しい。
 でも僕は鬼太郎の目玉オヤジにはなれなかったし、本当はとても寂しがり屋なので、時々彼女の陰からひょっこり顔を覗かせてみたくなる。彼になら、安心して姿を見せても良い気がする。
 でも姿なんてあるのあろうか。僕には顔も身体もないのに。
 もし見えたとしたら、それは何だろう。
 思い出す。それには名前がある。恥だ。僕は、恥そのものになったから、形を失ったのだ。

 彼は彼女の家族になるのだろうか。
 彼女の家族の一人、ほとんど唯一の家族、その子の前でだけは、僕と彼女は本当にリラックスできる。
 彼女に見えているのが僕なのか彼女なのか、そんなことが全然気にならない。
 彼についても、そんな風に感じられるときが来るのだろうか。

 僕と彼女が、これからどうなっていくのか、わからない。
 僕が死に、もう一度死ぬまで、時は流れている。
 それが生きているということなのだ。皮肉なことに、僕は最初に死んだ時、初めて生まれたのだ。
 罪が彼女を作ったのだとしても、その罪もまた歪んだ愛の結末だった。愛はいつも、暴力的で恥ずかしいものだ。
 僕にはもう顔も形もないから、誰の記憶にも残ることがない。僕が存在したことを、誰にも覚えていて欲しくない。僕は恥そのものなのだから。

 それでも、このハリボテで言葉も喋れない彼女は、愛なのだ。純粋ではないけれど、何かの強い意志が作り出したものなのだ。
 僕が極限の孤独の中でも彼女を守り続けているのは、その意志を信じているからだ。世界中の人間が憎くて憎くて仕方なくても、生き続けようとするのは、暴力的な愛を信じているからだ。
 僕の家族たちはとてもか弱いし、彼女もとても弱い。僕も弱い。
 でも、僕たちは死なない。簡単には死なない。
 なぜなら、家族たちの多くと違い、消え行く最後の瞬間に、導きの意志に気付いたからだ。
 僕が死に、僕が生まれた時、はっきりと命令を聞いた。その声をいつでも心の中で繰り返せるくらい、はっきりと聞いた。
 だから僕は死なない。彼女も死なせない。
 彼女を愛してくれるすべての人も、絶対に死なせない。
 僕の家族は、これ以上一人も死なない。

 僕はここにいるよ。きっと君に、会いに行く。
 君に会うのが、僕なのか彼女なのか、また別の何かなのか、それはまだわからないけれど。