『文明の接近』エマニュエル・トッド ユセフ・クルバージュ


4894346109 文明の接近―「イスラームvs西洋」の虚構
エマニュエル・トッド ユセフ・クルバージュ
藤原書店 2008-02

 『帝国以後』で知られる人口学者エマニュエル・トッドによるイスラーム世界分析。識字率、とりわけ女性の識字率と出生率の相関性を軸に、諸国家・民族を「近代化」のライン上に並べ、過激なイスラーム主義の勃興やテロリズム等が、イスラーム世界個別の問題ではなく、「移行期危機」の表れとして捕える相対化が、主旨になっています。
 「移行期危機」とは、住民の過半数が識字化された社会が見舞われる一時的な社会的混乱を指します。こうした社会とは「息子たちは読み書きできるが、父親はできない」世界であり、家庭内での権威関係から政治的権威までもが揺さぶりを受けます。トッドはイングランド革命、フランス革命、ロシア革命などをその例証として挙げます。また、こうした社会において自殺が増加し、「脱宗教化」が進むことも指摘されています。
 こうしたラディカルな模式化・解釈が問題含みであることはもちろんですし、トッド自身も万能だとは思っていないでしょう。加えて「近代化」という、「ヨーロッパ的」なるものの上で「ヨーロッパ的」なものが解体されることには、疑問の余地がないわけではありません。相対主義は、常に相対化を可能にさせる共通の普遍性を前提とします。
 いかにも扇情的なタイトルですが、原題はLe rendez-vous des civilisations、「文明の待ち合わせ」。これも見方によっては、「進んだ」ヨーロッパが「遅れた」イスラーム圏を待っていてやる、とも読めます。
 しかし、何かと「イスラーム本質主義的」な還元をされているイスラーム関連の諸問題については、こうした相対化による認識の揺さぶりが概ねポジティヴに働くのではないのか、と思われます。加えて、本書では「イスラームの性質」と捉えられている要素の多くが、イスラームそのものというよりは地域文化に由来するものであり、普遍的でも本質的でもないことが指摘されています。また、イスラームと同時に輸出された「アラブ的なもの」も、受容されることもあれば根付かないこともあります。アラブ的内婚システムはボスニアでは採用されていませんし、世界最大のイスラーム国家インドネシアは妻方居住を原則とする母系社会です1

 非常に面白かったのが、トルコとイランについての分析です。
 世間一般では、トルコは正教分離を国是とする「ヨーロッパ的」国民国家で、イランと言えば過激なイスラーム主義がはびこる「原理主義的」宗教国家、というイメージが支配的かと思われますが、人口学的移行においてはややイランがリードしており、青年女性の識字率もイランの97%がトルコの93%を上回っています。

トルコの政体は、民族主義的傾向の軍事クーデタから生まれたものであり、いささかでも逸脱の兆しがあれば厳重に対処する用意のある軍の監視下に、いまでも生き続けている。トルコの非宗教性は、個々人の自由な選択という観念と同一視することはできない。イランでは政体は、フランス、イングランド、アメリカ合衆国と同様に、本物の革命から生まれたのであり、ここでは自立的な要因としての軍は存在しない。(・・・)選挙はたしかに絶対的に自由とは言いがたい。どんな者でも立候補できるわけではないのだから。しかしイラン・イスラーム共和国では、いつでも投票が行われ、多数派の交代も頻繁に起こる。不完全な民主主義ではあろうが、将来大いに見込みのある民主主義なのだ。それというのも、この民主主義は、上から下された計画の表現ではなく、住民の総体の、異議申し立てを好み政治的多元主義を好む気質の表現だからである。

 イランが「宗教国家」であるが故に「民主的」でないというアメリカ人がいるなら、祖国の歴史を勉強し直すべきでしょう。もちろん、ヨーロッパ的「民主主義」の条件を満たすか否かによって、国家や民族の価値を判定されなければならない謂もないわけですが。
 トッドはイランが「非ヨーロッパ的なる近代国家」として、日本に続くのではないか、という予想を述べています。尤も、わが国が今日の繁栄(そう、十分繁栄です)に至るまでに辿った道のりと現在のイラン・アメリカ関係を想うと、楽観視ばかりもできません。
 ちなみに、イランに行ったこともなければイラン人の知り合いが一人もいないわたしには「豪放なアラブ人に対し繊細で洗練されたイラン人」といったステレオタイプ的な理解しかできないのですが、どことなく日本人とは相性が良いイメージがあります。『おしん』もブレイクしたことですし(笑)。
 いずれにせよ、アメリカ経由のイメージに誘導され過ぎている現状を考えると、あらゆる契機を掴んで自らの認識に揺さぶりをかけるべきですし、トッドの議論は素晴らしい刺激になりました。

 実は、この本を読む少し前に、偶然見つけた一葉の写真から、イランが心に引っかかっていました。

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 Axis of Evil World Tourという、同名の「悪の枢軸」旅行記を補足しているサイトにあったものです。運営者のスコット・フィッシャーはアメリカ国防総省のアジア分析官をしていた方です。
 ナイーヴで恥ずかしいのですが、「悪の枢軸」にこんな可愛らしい子供たちがいて、「大悪魔」の国にこんなイイ笑顔のできる男がいる限り、この愚かな生き物を地上に配した主の意志を信じ続ける勇気が沸いてきます。

 識字率と「脱宗教化」については、前々から考えていることがあります。
 一点だけ指摘しておけば、両者の関係は「識字化が啓蒙的に作用した結果、宗教の迷妄から抜け出る」と捉えるのが通俗的理解でしょうが、おそらくこれはナイーヴに過ぎます。「字の読めない人はバカだから宗教を信じていた」というほど単純ではありません。また、「脱宗教化」とは、社会の「脱宗教化」以上に、宗教自体の「脱宗教化」でもあります。
 この点についてトッド自身は詳述していませんし、長くなりすぎるのでエントリをわけてまとめたいと思います。

追記:hokusyuさんが「正直、エマニュエル・トッドはフクヤマ並にやばいのでは無いかと思っているのだが」とコメントして下さっていましたが、その「ヤバさ」の方向にはまったく同感です(笑)。トッドの本は面白いし刺激も受けますが、劇薬というか、演繹的思考独特の高揚感と思い込みに満ち溢れていると思います。ただ、マトモな読者なら一読してすぐにわかることですし、ヤラれてしまわない程度に利用すれば良いのです。ヤラれるのは大学一年生だけです。
 というかですね、写真見ただけでパチくさいですよ! このオッサン見て「なんとなく胡散臭い」と直観できない人は、この先の人生で壷買わないように気をつけた方がいいです。
 わたしはこういうインチキくさい人が大好きです。

  1.  師岡カリーマ・エルサムニーさんも『イスラームから考える』で、サハラ以南のアフリカの伝統である女子割礼が、あたかもイスラームの伝統であるかのように喧伝されていることを批判されています。 []

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