『乞食とイスラーム』 ストリートと貴種流離談


4480041796 乞食とイスラーム (ちくまプリマーブックス)
保坂 修司
筑摩書房 1994-04

 乞食という観点からイスラームを考える、ユニークな一冊。
 本書が含まれる「ちくまプリマーブックス」はジュニア向けの選書らしく、難しい漢字にはルビが振ってあったりするのですが、内容的にはまったく「お子様向け」ではありません。面白すぎます。
 イスラーム的な「乞食」とは、寸借詐欺から押し売り、偽説教師や大道芸人まで含まれる幅広いもので、「アウトローでストリートな人々」だと考えた方が適切です。「乞食を切り口にしたイスラーム論」というより、「イスラームを切り口にしたストリート論」として読むと、さらに楽しめます。ジョークも交えた躍動感溢れる文体も魅力。
 ちなみに、本書執筆中クウェート大使館勤務であった筆者は、湾岸危機の煽りを食ってバクダードに「ゲスト」として連行されたそうです。解放され自室に戻ってみると、家財と共に集めた資料は完全に散逸。その後サウジアラビア勤務を経て完成させた、とのこと。
 豊かな湾岸諸国にも乞食が多いこと、組織的「乞食ビジネス」の秘密、女性の乞食が多いわけ、ストリートで働く子供たち、など、現代的話題も面白いのですが、ここでは、特に興味を惹かれたイスラーム的「乞食」における祖先伝説と「貴種流離談」についてメモしておきます。

 改めて、ここでの「乞食」にはかなり技巧の富んだものが含まれ、わたしたちがイメージする「乞食」とは大分異なります。
 もちろん、普通に座して待つ乞食もいるわけですが、子連れや身体に障害がある方が乞食としては有利です。基本的なトリックとしては、目の見えないフリをしたり、身体の不自由なように見せかけたり、というものがあります。
 さらに戦士や聖職者1のフリをしてお金をせびったり、不遇な境遇を弁舌巧みに訴えかけるものもあります。言わば言葉の職人です。
 二人一組でサクラを用意するところまで行くと、乞食というより詐欺です。逆に低レベルなところでは、商店にお金をせびり、断ると糞便を撒き散らす、などという幼稚園児も顔負けのすごい人たちもいます。
 いずれにも共通するのは、権力に与せず、正当な手段は使わないものの、あからさまな暴力には訴えず、知力でずる賢く収入を得ようとするところです。どことなくルパン三世的です。

 アブードゥラフ・ハズラシーによる『サーサーン詩集』は、その乞食を巡り十世紀ごろに編まれた定型詩集です。そこには百を越えるバヌー・サーサーヌ(サーサーンの民)、すなわち乞食が描かれているそうですが、気になるのはこの「バヌー・サーサーヌ」という言葉です。
 サーサーンとはもちろん、サーサーン朝ペルシャのサーサーン。イスラームにより滅ぼされたペルシャの王朝です。乞食たちが、放浪の旅に出たサーサーンこそが自分たちの祖先、というルーツ伝説を奉じているのです。
 彼らの祖先伝説自体は、歴史的事実ではありません。このような「ストリートな人々」が自らの起源を伝説的存在に結びつけるのはアラブの専売特許ではありません。筆者は日本のテキヤを例にとります。

 (テキヤの)親分の家を訪ねる機会があったら、ぜひ神棚か床の間を見てもらいたい。まともなテキヤならかならず、「神農皇帝」と「天照大神」がまつってあるはずだ。(・・・)
 さらに、中世日本の職人集団が、もろもろの伝説により天皇と結びついていたことはよく知られている。しかも、この場合の職人集団というのは非常に幅ひろく、今日の概念でいう職人から、バヌー・サーサーンとかさなる遊女や芸能の民、乞食まで(つまりほとんどすべての非農業民)をもふくんでいたのである。
 サーサーンの民の伝説で特徴的なのは、かれらが祖としてたてまつる存在が悲劇的な境遇にあったことである。サーサーンは父親にきらわれ、国を去り、放浪する。(・・・)父親の宮廷から追放されたことは、バヌー・サーサーンが一般の人びとからはなれた存在であることの象徴であるし、放浪にかんしてはそのものズバリ、かれらが定住せず、つねに遍歴していることを表している。(・・・)
 日本の天皇制を議論するとき、しばしばとりあげられる概念の一つに「貴種流離譚」というものがある。天皇やその一族、あるいは貴族・武将・高僧たちが、中央の権力から不本意ながら追放され、辺境を放浪する。やがてある土地に流れつき、そこで人びとの歓待を受けるというすじだてだ。バヌー・サーサーンの伝説はこの物語とぴったりいっちする。

 サーサーンがイスラームにより滅ぼされた、イスラーム「以前」であることも重要です。
 バヌー・サーサーンは、社会の周縁にありながら、物語の力で「本当は自分たちこそ、もっと古く根拠あるものなのだ」と復讐を果たしているのです。
 このことは、先日触れた「アイデンティティ」の問題ともつながり、また常に遡及的に想定されるナショナリズムにおける「ルーツ」幻想とも重なります2
 こうした物語化は、ただの「酸っぱい葡萄」でしょうか。しかし、人は事実によってのみ生きるものではありません。事実と可能的フィクション、合わせて一つの現実です。征服者としてのイスラームが一つの物語なら、貴種流離譚もまた物語をもって物語に抗しているのです。

 「天皇の末裔」というと、もう一つ連想することがあります。パラノイア患者にしばしば見られる血統妄想です(最近はこういう「伝統的」統合失調症患者はあまり見られなくなったようで、これはこれでとても興味深いことなのですが)。
 「熊野の天皇の子孫」を自称するパラノイアと、神農皇帝を奉るテキヤ。一見似た構造でありながら、何かが決定的に異なります。
 パラノイアには確信があるのです。
 テキヤだって、問われれば大真面目で祖先伝説を語るかもしれません。伝統右翼の人々というのは、時にこちらがびっくりするくらい、素朴にナショナリスティックなファンタジーを信じているものです。
 しかし、こうした「信仰」には常に可能性としての疑義があります。疑う余地があるからこそ、時にヒステリックに正当性を叫び、防衛するのです。防衛が働くということは、それが神経症の水準にあり、精神病ではない、ということです。
 答えのないところに問いを立ててしまったのが神経症なら、問いのないところにいきなり答えだけが出現したのが精神病、と考えることもできるかもしれません。
 かつてわたしは、この「精神病/神経症」というフレームを「信仰/狂信」と重ねて考えていたことがあるのですが3、図らずも正に信仰の場で同じ枠組みに出会うことができました。

 物語といえば、そのバヌー・サーサーンの中でも「最も高貴な存在」とされたというのが「物語師」です。
 物語師(カーッス、ワーイズ、ムザッキル)とは、初期イスラーム時代にクルアーンやハディースを平易な言葉で語り歩いた「民間エヴァンジェリスト」です。後にイスラームの教義が整備されるに連れ、誤った伝承を伝えるものとして、法学者たちにより追放された、といいます。 この物語師の、実に痛快なエピソードを引用して、締めくくりにさせて頂きます。

 イラクの有名な学者、アーミル・シャァビーは請われてシリアにいく途中、パルミラに立ち寄り、モスクにはいった。モスクでは長い髭の老人が人びとに囲まれて説教を行っていた。かれいわく。「某々から伝えられた伝承によれば、預言者ムハンマドは『アッラーは二つのラッパをお創りになられた。この二つのラッパはそれぞれ死と復活のときに吹かれる』とおっしゃられた」。
 わたし[シャァビー]は矢も盾もたまらず、老人に話しかけた。「アッラーをおそれなされ。まちがいをふくんだ伝承を伝えてはなりませんぞ。アッラーがラッパをお創りになられ、死と復活のときに吹かれるのはおっしゃるとおりですが、アッラーは二つではなく、たった一つだけラッパをお創りになられたのですよ」。
 老人は答えた。「なんと、この放蕩者が。某々は某々から伝えられた伝承をわしに伝えたのだぞ。わしがまちがっておるというのか」。
 かれはこういうと、靴を脱いで、それでわたしを殴りはじめた。すると、それに同調して人びともわたしを殴りはじめたのだ。人びとがあんまりひどく殴り続けるので、わたしは前言を翻してようやく解放された。しかしそのときにはどうしたわけか「アッラーは三〇個のラッパをお創りになられ、それらはたった一度だけ吹かれる」というふうにかわっていたのである。

 ジイさん、かっこよすぎます。

  1. イスラームには狭義の聖職者は存在しない []
  2. 「『民族と国家』ナショナリティ・エスニシティ・パトリ」「スラヴォイ・ジジェク『人権と国家』、寛容と自由」「恋愛と郷愁」等参照 []
  3. 「意味の意味」 []

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