強迫行動、コンラート・ローレンツ、ドリトル先生

Pocket

 「遠回りなショートカットキー」で手癖と習慣について触れましたが(正確には両者は単純には併置できない)、程度の差こそあれ、わたしたちは不合理な習慣に埋没して生きているものです。

 これが極端になると、強迫神経症と呼ばれる状態になります。衛生上問題がないとわかっていても何時間も手を洗わないと不安でたまらない、等の症状を示す精神疾患です。また眠る前に決まった行動を繰り返せないと寝付けないことを「就寝儀式」と言いますが、これなどは普通の人でも覚えがあるのではないでしょうか。
 日常生活に支障が出るほどの強迫行動は問題ですが、精神分析学的には強迫行動とは不安から身を守るためのものであり、言うなれば症状というバリアで真の問題から防衛しているのです。強迫を解除しようとするなら、この不安と向き合わざるを得ませんが、差し障りのない行動なら共生していくのも一手であり、そもそも普通の人の日常行動というのは「問題のない強迫行動」の積み重ねのようなものです。一般に、ある症状の解消とは別の症状の獲得に他ならず、パーソナリティと呼ばれているもの自体が、症状の束と言うことすらできるでしょう(逆に言えば、美しい症状を抱えている人こそ、祝福された者です)。
 「実在したドリトル先生」として知られる動物行動学者コンラート・ローレンツに『攻撃』という名著がありますが、ここに面白い記述があります。
 あるハイイロガン(だったと思います)は、いつも決まったルートで部屋の中を移動していたのですが、そのコースは部屋の縁にそって歩く、つまり四角形の辺をなぞるようなルートでした。ところがある日、何かこのハイイロガンが非常に驚く事件(確か外敵の侵入)が起こり、あわてたハイイロガンは対角線上に部屋をショートカットしてしまいます。目的地に着きかけた時、突然ハイイロガンは我に返ったかのように歩を止めます。それから気まずそうに元いた位置まで引き返し、わざわざ最初からいつもの遠回りのコースをとってやり直したというのです。
 この心理、実に共感してしまいます。このような習慣への執着が人間にも知能の高いほ乳類にも共通していることは、動物を飼ったことのある人ならおわかりでしょう。
 これらの動物行動学的所見を安易に強迫神経症と対置することは、ナイーヴな生物学還元論につながりかねず、一定の留保が必要です。しかし強迫行動、習慣、癖といったものが持つ防衛的性質、相対性を理解する上では良い契機になるでしょう(真の分析の終了とは症状の移行を通じてその向こうとの関係を探ることからしか見出せませんが、大変な話になるので割愛)。
 ちなみにローレンツは『ソロモンの指輪』が最も有名で、こちらの方がより取っ付きやすいです(『攻撃』も難しい本ではありませんが)。犬好きには特にお勧めです。現在の理論と照らすと不正確な箇所もあるらしいのですが、純粋に読み物として楽しめます。
 ついでにドリトル先生も推奨いたします(笑)。子供の頃、本当に夢中になって、ほとんど全シリーズ読破していると思います。とりあえずは『ドリトル先生航海記』からはじめてみましょう。『ドリトル先生アフリカ行き』が第一作ですが、『航海記』は少年の一人称視点から語られていることもあって、入り込みやすいです。『ドリトル先生月へ行く』もお気に入り。シリーズ後半になると結構ダークな世界などがむき出しになって興味深いです。
 お子様のおられる方には絶対の自信をもってお勧めしますが、大人が読んでも楽しいです。ハリウッド映画なんてダメダメですよ!
『ドリトル先生物語』全13冊セット 美装ケ-ス入り
ヒュー ロフティング 井伏鱒二 訳 岩波書店 9,870円
追記:強迫神経症の例でわかりやすくなるように、なんであれ行動への執着の背景にあるのは「参加可能な因果連関が存在する」という信念です。これはAという行動がBという結果を引き起こすことが約束されている、というだけのことではなく、とにかくAとBの間には関係がある、ということです。Bという結果は必ずしも好ましいものである必要はなく、Aに執着する人はBを求めているわけではありません。また、AB間にある連関の正体を見極めているわけでもありません。重要なのは、対応があることそのものです。
 AからBが派生する端的な表象である機械のボタンというものは、人を魅了するものです(駅で切符を買いたがる子供)。この自慰的行為の快楽は、よく見かけるような「制御する満足感」説などには還元できません。対応性自体の反復という、性感帯の摩擦だけが存在するのです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする