『アメリカよ、美しく年をとれ』 猿谷要

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 お気楽に読めそうな本を求めて、書店で何気なく手にとった一冊。
『アメリカよ、美しく年をとれ』 猿谷要『アメリカよ、美しく年をとれ』 猿谷要
 これがなかなかのヒットでした。


 タイトルは今時風?ですが、激しい政治主張等を展開している本ではありません。
 アメリカ史家の著者による半自伝風にアメリカとの付き合いを綴っていく本ですが、その間のアメリカ政治風土の変化が具体的エピソードを交えて実に親しみやすく語られていて、最終章では昨今のアメリカ政治右傾化について、危惧と警句が述べられています。
 こう書くと変わり映えのしない新書本のようですが、猿谷要さんの生年は1923年。「アメリカとのお付き合い」65年が、アメリカ独立以降の四分の一に当たるのですから、重みが違います。アメリカとの「最初の出会い」として語られているエピソードが、埼玉上空で特攻機に改造するため練習機を空輸していた時、グラマン戦闘機と遭遇したことですから、尋常ではありません(ちなみにこの下りは非常に臨場感に満ちていてドキドキしました)。
 この時代の方で「アメリカ文化を研究しよう」と思い立っただけで、どんな人物か興味が沸きます。終戦直後には猫も杓子もアメリカ、という時期があったでしょうが、著者の関心はアメリカ政治プロパーでもアメリカ文化かぶれというわけでもなく、「侵略的」領土拡大の歴史やマイノリティの地位向上に渡っており、実に地に足が着いています。
 取り上げられる事例一つ一つはどこかで聞いたことのあるものなのですが、それが著者自身の体験したエピソードを交えながら語られているため、染み入るように心に入ってきます。キング牧師暗殺事件では、実際に牧師のお父様にお会いした時の様子、大学紛争の現場での体験。話上手な教授の名講義を聞いているような気分になれます。
 そう、内容云々以前に、語り方が素晴らしいのです。
 齢八十三歳の方の文章とは思えない躍動感に満ち、一方で徒に主張を振りかざすようなことはなく、バチッと掴んでからジワジワ効かせていく。具体的エピソードと歴史的大局の絶妙なブレンド。
 ある意味、この語らいにこそ著者がアメリカから得た「良いもの」がわかりやすく表れているように思います。アメリカという国家については色々複雑な思いがありますが、「アメリカ的」語りがツカミと聞かせ方に長けていることは素直に認めて良いでしょう。パワポを生んだ文化です。日本の文献学系研究者には、こういうスタイルを「チャラチャラしている」と感じるのか、小バカにする人がいますが、そういうふんぞり返ったセンセー方がお給料もらえているのも今のうちだけでしょう(註)。
 こういうある種の「若々しさ」がアメリカの魅力ではあるのですが、同時にそのアメリカ自身、既に初老に差し掛かっている、と著者は言います。著者は自分が愛したアメリカ、そしてかつてはもっと愛されていたアメリカについて、こう語ります。

今のように他の国から嫌われたまま初老を迎えれば、やがて世界に老醜を晒すようなことになりかねない。これだけ世界中から憎まれ嫌われては、決して美しく老いることなどできはしないだろう。

 アメリカ人は「老いる」ことを人一倍恐れているように見えます。実際、日本人の尺度から見ると「年甲斐もない」風情のアメリカ人をよく見かけます。これはこれで一つの文化ですから、年寄りが若ぶること自体は悪いとも醜いとも思いません(わたしも当然歳には抗っていますしw)。ただ、多分アメリカという国は、今まで若さとイケイケで売ってきただけに、「老いる」ことがとても苦手なタイプの国家なのではないでしょうか。
 それでも、人は必ず歳を取るし、永遠に続く帝国もありません。ゆっくりではあっても、何らかの形で「老いる」ことと折り合いをつけなければならない時が来るものだと思います。
 「年寄りらしくしろ」などという意味ではありません。アメリカのおばあちゃんがビキニでビーチを闊歩するのも、わたしはカッコイイと思っています。こちらの尺度を押し付けても始まらないです。
 子供時代も一度きりなら、老年時代も一度きりですから、それぞれの歳の取り方があるでしょう。だからアメリカにはアメリカのカッコつけかたを見つけてもらわないといけません。アメリカが「若さ」の国なら、「若々しく老いる」という逆説を自力で表現するしかありません。
 わたしのような若輩がこんなことを言ってもまるで説得力がないのですが、猿谷先生が語ると違います。少なくともこの著書を拝読する限り、こんなカッコよく「若々しい」老い方をしている人はそういないからです。
 『アメリカよ、美しく年をとれ』の魅力の一つは、著者自身の人生とアメリカの歴史、自らの「老い」とアメリカの「老い」が見事にシンクロしていることです。アメリカの政治指導者は、どうか猿渡先生の「アメリカン」で最高にカッコイイな老い方から学んで頂きたいです。
 ちなみに、この本の中で著者が奥様を名前で呼び、奥様を巡るエピソードも自然に紹介しているのはとてもステキで微笑ましいです。普通の八十三歳の日本人にはあり得ないことではないでしょうか。
 しかもこの奥様もまた非常に好奇心旺盛でエネルギッシュです。
 個人的に、つい最近また一つ歳をとってしまって「わたしの冒険もそろそろ最終章かなぁ」とシンミリしがちだったのですが、恥ずかしくなりました。
註:
 そういう研究者やセンセー方は、自分たちのグダグダした喋りに色々理屈をつけますが、要するにキャッチーな話をする能力がないだけです。研究と教育の両立が難しいのはわかりますが、両方セットで雇われているのだから、教育ができないなら大学辞めれば良いでしょう。一般企業で働いて、お客様がいかに神様か思い知って下さい。
 教育の「パフォーマンス化」を嘆く方もいますが、教育というのはそもそもパフォーマンスです。板書を筆記させるだけなら図書館で本読んでる方がずっと効率的です。文字通りperformするところに講義の醍醐味があり、ここで薫陶を伝えるセンスがないなら、それは教育者としての才覚がないか、全然努力が足りないかのどちらかです。
 ちなみに、先日たまたまアメリカ文化研究者の小林剛先生のお話を聞く機会があったのですが、ヴィジュアルを駆使して良い意味で「アメリカン」なステキな講演でした。

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