日記を書く場所がないので、たまには日記を書いてみる

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 これはなんだろう。
  町田康の「告白」の最後で、盆踊りの狂騒を眺める彼岸の熊太郎、という場面があるが、そんな幽霊になったようだ。
 目の前にいるのに、とてもとても遠い。
 でもそれは悪い気分ではなく、彼岸から遠い子孫を見守っているような気持ちになる。
 例えば、知り合いのカップルと三人で話す時。心地よい(わたしはこの位置に慣れていて、しかも好きだ。とてもずるいやり方だと思う)。
 例えば、少年。まだ何も見ていない少女。
 わたしは十分にわたしでなくなり、だからわたしはわたしになったのだろうか。
 あるいは、そんなことは遠い昔に起こっていて、やっと思い出しつつあるのだろうか。
 もしそれを十分に思い出していたら、わたしは< ここ>にはいないはずだ。だからやっぱり、これは依然として、わたしが死んでから本当に死ぬまでの、短い踊り場ということなのだろうか。
 様々な男たち、様々な女たちが、糸車となってベッドの向こうに消えていく。
 誰かが享楽している。
 たぶん、そのどれかがわたしだったのだろうけれど、誰がわたしなのかは、未だ思い出せない。

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