『正体―オサマ・ビンラディンの半生と聖戦』保坂修司


4022597917 正体―オサマ・ビンラディンの半生と聖戦 (朝日選書)
保坂 修司
朝日新聞社 2001-12

 「なぜ今ウサーマ本?」かと言えば、先日紹介した『乞食とイスラーム』の保坂修司さんの著書だからです。
 普通に読んでも『乞食とイスラーム』は面白いですが、保坂修司さんの文章からは、通り一遍のインテリではない頭の良さが感じられます。乞食という着眼点だけでもグッと来ますが、相当辛辣なことを書かれていても嫌味にならないのは、優れたユーモアの持ち主だからでしょう
 見た目と直観ですべてを判断する狩猟民なので、気になる著者がいるときは画像検索で写真を探してから判断するのですが、どことなくお茶目な印象。トークも面白いに違いありません。
 ちなみに、本書あとがきで触れられている、9・11以前から「オサママニア」として運営していたという保坂さんのサイトは、多分こちらです。「保坂修司」等で検索してもまずひっかかりません。「日本の中東」の最高なセンス、渋すぎる「サウード家メンバー検索」、「趣味はご朱印集め」、間違いなく保坂修司さんはわたしのタイプです。わたしのタイプの人は、大抵地球社会で冷遇されているので、こんなに面白いとちょっと心配になります。

 『正体―オサマ・ビンラディンの半生と聖戦』のこんな一節にも、わたし好みの知性を感じます。

周縁に位置するものが、中心を志向すれば、しばしば過剰なまでの「中心性」を身にまとわなければならない。本物以上に本物らしくないと本物とは認められないということである。

 これはウサーマの「周縁性」に触れた箇所ですが、彼は大富豪ではあるものの、父の代にイエメンの寒村から出てきて一代で財を成したもので、サウジを支配する王族の血を分けたものでも、マッカ・マディーナを擁するヒジャーズ地方の「都会人」でもありません。さらに母親は外国人とも奴隷とも噂され、一族の中でも浮いた存在だったようです。
 アラブ人男性としては「シャイ」な子だったというウサーマ。実際、彼がビデオ映像で語る様は、アラブ人によるプロパガンダの多くが手振り身振りを交えた激しいものなのに対し、物静かで淡々としています。純朴そうな青年が世紀の怪物へと変貌していく様子、そしてムジャーヒディーンを巡る「大人の事情」な物語を読み進めるに連れ、無性に悲しく、やり切れない気持ちになってきました。

 特に胸を打たれるのが「アフガニスタンは、アラブにとってのヴェトナムであった」というフレーズ。
 「ソ連にとっての」なら分かります。大国アメリカとヴェトナムと同じ構図です。
 アフガニスタンが、サウジアラビアなどのアラブ諸国にとっても「ヴェトナム」であったのは、アラブ人ムジャーヒディーン、つまりソ連によるアフガン侵攻に対し義勇兵として戦った若者たちについてです。
 アフガニスタンの「勝利」には、当然ながらCIAなどが関与していたわけですが、彼らはそうは考えません。また、数の上からいってもアフガニスタン人抵抗勢力に比べ大きな働きをしたとも思えませんが、彼らはアフガニスタン人に対してある種の優越感を抱いているそうです。武器の扱いも「教える」立場で、イスラーム理解についても自分たちの方が遥かに秀でている。それはそうでしょう。アフガン人は祖国の危機に瀕して戦っているのですが、アラブ人ムジャーヒディーンの多くは宗教的道義心に駆られて参戦しているのですから。
 ウサーマはアフガニスタンを「ホラーサーン」と呼びます。ホラーサーンとは、イスラーム帝国絶頂期のアッバース朝が蜂起した彼の地の名称です。アラブ人ムジャーヒディーンはアフガニスタン人とは(そしてもちろん、アメリカ人やわたしたちとも)異なる時間を生きているのであり、アフガニスタン固有の文化・事情にも興味を示しません。
 ただ、それでも彼らが自らの信じる正義のために、わざわざ海を越え、命をかけたことは確かです。そういう彼らが、勝利を手に凱旋してみると、待っていたのは単なる荒くれ者扱いと失業でした。つまり、ヴェトナム帰還兵と似た状況だったわけです。
 そんな彼らの一部に居場所を与えたのが、ビンラディン・グループでした。ウサーマはアフガン戦争後スーダンに飛び、そこで土木工事などのプロジェクトを行っていたのですが(彼の家業は建築業者)、仕事もなく冷遇される元ムジャーヒディーンを作業員として雇い入れたのです。
 このプロジェクトには軍事訓練キャンプなどの疑義もかけられているようですが、とにかく行き場を失った若者に働き感謝される場所を提供したのです。大富豪にも関わらず一兵卒として異国に従軍し、戦友たちに働く場を与えたウサーマが人望を集めていくのは、当然のことでしょう。
 その後彼は国籍も剥奪され、徐々に言動を先鋭化させていくのですが、彼をはじめとするラディカルなアラブ・ムジャーヒディーンらを作り出した一因には、サウジアラビアの歪んだ教育システム、内部の不満を「異教徒の侵略」という外敵に振り向けようとした政府の策などがあります。そのシステムで手を打たざるを得なかったのにも「大人の事情」があり1、その辺りは同じ保坂修司さんによる『サウジアラビア―変わりゆく石油王国』に詳しいのですが、どれ一つとっても、褒められたことではないにせよ、一個人の抵抗できるような流れではなかった、と感じられます。
 ただ、要領の良い大人が豊かなサウジアラビアでのうのうと暮らしている間、相当にナイーヴで勘違いしまくっていたとはいえ身体を張って戦った若者が、冷たくあしらわれていく風景には、やはりやり切れない思いがします。

 多分、ウサーマは本当に「シャイ」で、過剰に純朴で「子供」だったのでしょう。
 アフガニスタンにおけるアラブ・ムジャーヒディーンの指導者の一人アブドゥッラー・アッザームが、若きウサーマについて、こんなことを語っています。

わたしはオサマについて非常にとまどっている。彼は、天使のような、神が遣わしてくれたような男だ。かれがあんな連中(エジプト人たちのこと)といっしょにいたら、将来どうなるかほんとうに心配だ。

 アブドゥッラー・アッザームはその後殺害されてしまうのですが、その背景にはアフガニスタンの一国の解放を最優先する、言わば「一国革命」論と、イスラーム主義者(ここで「エジプト人」とされているアイマン・ザワーヒリーなど)たちの「世界同時革命」論との、路線対立があった、とされています。
 そして、そのアッザーム謀殺の嫌疑がかけられているのは、「天使のよう」と呼ばれたウサーマなのです。

  1. 1979年のマッカ占拠事件に対する武力弾圧を容認させるため、宗教界に対するアメとして宗教教育の強化が使われた []