なぜアメリカが今ひとつ憎めないのか


 はじめにお断りしておきますが、このエントリは客観的に「中国とアメリカ」を論じるものではまったくなく、「自分の奇妙な考え」を振り返る極私的なものです。ですから、冷静な政治的分析など全然なく、極めてナイーヴな部分もあると思います。
 気になるのは、なぜわたしがアメリカがそれほど嫌いではないのか、ということです。


 わたしは大川周明らの亜細亜主義に惹かれる部分があるし(嫌いな部分も沢山ある)、市民派リベラルや左派大学人が毛虫のように不愉快です。この両者であれば、「アメリカ・中国好き嫌いアンケート」ではどちらも中国勝利なのではないかと思いますが、より一層不快なものに、親米自由主義、というより、その自覚すらない自称「ノンポリ」大衆があります(計算尽くの指導者層には人により一定のシンパシーを抱く)。
 にも関わらず、単純な生理的好き嫌いで言うと、中国があまり好きではありません。アメリカも好きではないですが、どちらか一つ取れと言われたら、間違いなくアメリカを取ります。敬愛すべきムスリム・ムスリマ諸兄の国々を踏みにじり、国内でも弾圧を加えている最低国家アメリカを、です。
 米政府の政策のみならず、ディズニー文化などが心底不快ですし、東京ディズニーランドなど断固爆砕すべきだと思っていますが、それでも中国とどっちか一つなら、アメリカになってしまいます。
 繰り返しますが、これは本当にただの「好き嫌い」話で、何の建設性もありません。また念のためですが、大東亜戦争のように無謀にも両方敵に回した場合はもちろん、どちらか片方だけと戦っても絶対勝てませし、戦うべきではありません(※1)。ただ、一体どうして自分が中国よりアメリカの方がマシだと感じるのか、不思議に思っているだけです。

 すぐ思いつく理由としては、極普通に戦後教育や社会の洗脳を受けている、ということ。これは当然あるでしょう。何せ未だに毎朝AFNを聞いているくらいですから、日々ラヴ・アメリカの洗脳を自らかけてしまっています。
 同様に、日本社会で基調低音的に流布している反中国・反韓半島感情に知らない間に影響されている、ということもあるはずです。近い国同士は大抵仲が悪いものですから、特筆するようなものではありません。昔ボルドーに行った時「これからスペイン行くの」と言うとさんざんスペイン人の悪口を聞かされました(笑)。
 また、今まで出会ったアメリカ人と中国人を比べると、アメリカ人の方が「イイヤツ」率が高かった、ということもあるでしょう。これはまったくの偶然でしょうし、仮に「国民性」みたいなものがあるにしても、母体数が少なすぎて偏見以上何かが得られるとは思えません(どっちの国にも行ったことはない)。
 それから、わたしは英語は茶飲み話くらいはできますが、中国語はまったくわかりません。「バルバロイ」を蔑視するのは人類の伝統ですから、言葉がわからないだけで何となく嫌いになる、という現象はあるかもしれません。正直、中国語の音は好きになれません。

 この辺までは別段面白くもなんともないのですが、次に思いつくちょっと怖い「理由」として、世俗的親米ノンポリ、実はそれはわたしではないのか?という点があります。
 わたしを知っている人なら、「アホちゃう」とすぐツッコまれそうですが、冷静に振り返ると、世俗的なものを蔑視しようとするのは、自分自身にそういう要素が多分にあるからだと思います。別段世俗イコール悪というわけではないでしょうが、わたしにとってそこが汚辱の点になっているとすれば、世俗性・大衆性がわたしの「症候」であり、「ユダヤ人」である、と考えられます。
 すぐさま防衛が働いて「これ以上考えるのはやめよう」という強力なブレーキがかかるのですが、無意味に頑張って考えてみると、わたしは「世俗性」を抽象的飛躍に対するツッコミとして活用してきた気がします。とにかく思い込みが激しく猪突猛進、「イエスかノーか」「ナポレオンにあらざれば死を」なラスコーリニコフちゃんで、心が飛びすぎて何が何だかわからなくなることがよくあります。自分史的には、これが文字通りの「病気」に至ったこともあります(普通に離人症的状態に陥ったり、言葉が喋れなくなったり)。
 そういう時のディフェンスに身体を使う、ということをある時期から学習したのですが、同時に「数字にできるものだけを信じる」という防衛も使うようになりました。もっと言えば、「わけがわからなくなったら、とりあえずお金になるもの、生活の足しになるものだけ選べ」ということです。これは、普通の人ならむしろデフォルトで選んでいるスタイルで、結果として「世俗性」がわたしをわたしにつなぎとめる「外部」として機能している、と解釈することができます。

 最後にもう一つしょうもないことを書くと、アメリカと中国、どっちも鬱陶しいのですが、「年齢層」が違います。
 どちらの国家も巨大国家の常として色々ひどいことをしているわけですが、アメリカは「バカな子供」、中国は「イヤなジイサン」です。
 子供はまだ大人になる可能性がありますが、ジイサンには救いがありません。多分、もう一生治らないです。
 イギリスという国は、アメリカのクソガキぶり(ジャイアンぶり)をよくわかっていて、「コイツは言ってもムダだけど、そのうち自分で気づくかもな」みたいな付き合い方が上手だと思います。
 実際、アメリカは変な国です。絵に描いたような「先進国」の筈なのに、他の「先進国」と異なり未だに出生率がかなり高い。元が移民の国なわけで、アメリカという国の中の格差がものすごいです。これは経済的格差というだけでなく、出生率に表れるような「お国の傾向」のようなものまでバラつきが大きい、ということです。
 そして、一般的な現象として「途上国」「下流」の方が人口増加率が高く、かつアメリカは一人一票システムでまとまっている国です。普通の「ナショナリズム」を言ってしまうと、国内でバラバラのネーションにidentifyされてしまい、かえって国がまとまらなくなってしまう国家ですから、「アメリカ式民主主義」のお題目を掲げて、これに従わない余所者を「共通の敵」にしてまとまろうとするわけです。
 これが何を意味するかと言えば、アメリカが「アメリカ式民主主義」を放棄することは絶対なく、しかもその原理に従うなら、ものすごい勢いで人口が増えている「国内途上国」の人々がいずれ大勢を握ってしまうこともあり得る、ということです。
 もちろん、「富める者は富み」の原則は強力ですし、WASPが中枢を退くことは当面ないでしょう。それでも数の力を評価するシステム自体が「アメリカ」を構成している以上、徐々にではあっても「アメリカがアメリカでなくなる」可能性はあります。
 一方、中国が中国でなくなる、という可能性は想像しにくいです。あるとしたら、革命だけでしょう。匈奴が北から責めてきて、漢民族を滅ぼしてくれればまたガラッと変わるかもせんが、多分あと三百年くらいはあり得ないと思います。
 そういうわけで、アメリカのバカっぷりに腹が立っても、「まったくこのクソガキがっ」などこか憎めない感情を抱いてしまうのではないでしょうか。

 以上、わたし以外の誰も興味がない、イヤな自分語りでした。

追記:
 そういえば以前外山恒一さんと話した時、「アメリカは嫌いではないけれど、日本がアメリカ化するのはイヤだ」とおっしゃっていました。わたしは彼ほどナショナリズムにシンパシーを抱いていないので(本音では彼も大して興味ないんじゃないかなw)、日本がどうなろうとそれほど関心がないのですが、マクドナルドには火を放つべきだと思っています。

※1
 クラウゼヴィッツを待つまでもなく、戦争とは政治の一手段であり、カードとして使えるなら使ったら良いでしょうけれど、今わが国がそのカードを切って得になることなど一つもないと思います。
 また、戦前指導者たちは好戦的で、アメリカと戦っても勝てる気でいたように信じている方が時々いますが、少なからぬ指導者・イデオローグは対米開戦の無謀をよくわかっていましたし、あの松岡洋右すら日中戦争講和と対米開戦阻止のため尽力していたと言われます。心に刻んでおくべきなのは、「一部指導者」がバカだったせいで大東亜戦争の泥沼化が生じたわけではない、ということです。
 指導者・大衆ともにより一層バカになってしまった現代では、むしろその愚を踏む危険は高まっている気すらします。
 このあたりについては、『日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」』 で紹介した表題書籍が素晴らしくオススメなので、是非参照してみてください。