『ムスリム・ニッポン』東京モスクと亜細亜主義


『ムスリム・ニッポン』 田澤拓也 『ムスリム・ニッポン』 田澤拓也

 危険なまでの面白さです。
 「イスラーム」「亜細亜主義右派革命勢力」という、わたしのために選ばれたような素材であるから、というだけでなく、ジャーナリストらしい実に読ませる文章です。いずれか一つ、あるいは「イスラームと日本」ということにだけ興味のある方でも、必ず面白く読める、とお約束できます。
 イスラームと亜細亜主義と言えば大川周明で、当然ながら本書でも紙数が割かれているのですが、王道すぎて初見のエピソードもほとんどなかったため、むしろ無知だった東京モスク設立の経緯が特に印象に残りました。


 その前に、頭山満ら国家主義者らと、日本人初のマッカ巡礼について触れておきます。
 そのきっかけとなったのは、帝政ロシアのムスリム弾圧によって日本へと逃れていたタタール人アブドルラシッド・イブラヒム。彼が離日の間際、交流のあった国家主義青年らを前にムスリムにとってのマッカ巡礼の意義を語ったところ、突然に「これからまっすぐ、マッカに連れて行って下さい!」と頼まれたのです。
 驚いたのはイブラヒム。ムスリムにとってマッカ巡礼は一生に一度の大願です。それが、ムスリムでもなく、イスラームのことなど何も知らない日本人に、いきなり「巡礼に連れて行ってくれ」と言われたのです。この提案をしたのは福島安正。単騎シベリア横断という冒険にかこつけて、中央アジアの情報収集を果たしたと言われる陸軍中佐、情報将校です。その意図はおそらく、イスラームへの敬意や知的関心というより、情報収集にあったのでしょう。
 「日本人ハッジ一号」に選ばれた山岡光太郎青年も、単にロシア語でイブラヒムと会話できる、ということで選出されただけで、イスラームへの理解も何もありません。心中罵詈雑言を唱えながら、苦痛に耐えて形だけの巡礼を果たしたようです。
 この辺りの国家主義者らの言動は実に稚拙で、読んでいて恥ずかしくなります。イスラームのことを少しでも知っていれば、軽々に「亜細亜の連帯」などとは口にできないはずです。大川周明が「右派指導者」的になればなるほど、イスラームのことを口にしなくなった(そして松沢病院入院後にクルアーン翻訳へと帰っていった)のは、亜細亜主義者であると同時に、十分にリアリストであり、イスラームを理解していたからでしょう。

 そんなイブラヒムが、三十年後に東京モスク開堂式のイマームとなるのですが、しかし本来そこにいるべき人はイブラヒムではありませんでした。
 東京モスク設立の真の功労者はムハンマド・アブドルハイイ・クルバンアリー。ロシア革命から逃れて日本にたどり着いたトルコ系ムスリム難民の一人です。彼らは爪に火を灯すような暮らしで貯金し、そのお金で次のムスリムを呼び寄せる、という同胞精神を発揮したのです。
 クルバンアリーは北一輝や頭山満らと接触を持つようになり、資金援助なども受けて、東京モスク設立のために東奔西走します。
 しかしその開堂直前、彼は警視庁に拘束され、その後大連へと事実上「追放」され、妻子を残した日本の土を二度と踏むことはありませんでした。

 記念すべきイスラム寺院の開扉をしたのはムスリムの一人ではなく、頭山満だったのである。(・・・)
 モスクでの開堂式が終わったあと、(・・・)参列者は外に出て庭に設けられたテント張りの会場で祝賀式がはじまった。
 (・・・)イブラヒムが開会の挨拶をしたあとで『君が代』が斉唱された。さらにつづいて満州国皇帝・溥儀の従弟の溥洸の発声で「天皇陛下万歳」が唱えられた。そのすぐあとに、今度は「回教徒万歳」の発声の音頭をとったのは陸軍大将の松井石根だった。

 要するに「主役は日本人」を演出するために、宗教的情熱に狩られたクルバンアリーが邪魔になったのです。形だけ神輿に上げられた老イブラヒムも、冷めた想いだったようです。
 今日、わたしたちが東京モスクを前にすると、その美しい建築に目を奪われるばかりですが、その背後にはこうした恥ずべき歴史があったのです。
 この時、北一輝は既に処刑され、大川周明も出獄間もない状況でした。彼ら革命者の一人でもこの場にいたら、少なくともこのような蛮行に抵抗は示したはずです。右と左を切り捨て真ん中だけ残った政官財軍複合体は、思想なき政治屋の群れに成り下がっていたのです。
 以前に引いた松本健一さんの言葉をもう一度引用させて頂きます。

もともとわたしは、明治維新以後明治国家から大日本帝国への道程の主導権を握っていたのは、右翼でも左翼でもなく、この二つの間で均衡をはかりながら常に権力を握り続けているリベラルである、という認識があった。リベラル=自由派といえば聞こえがいいが、それは資本主義体制化の保守派であった。これが、明治国家から大日本帝国へのひとすじの道を造りあげ、これを変革せんとする諸々の行為のうち、最左翼に属するものが大逆事件として切り捨てられ、最右翼に属するものが二・二六事件として切り捨てられたものであった。いま、最左翼と最右翼と書いたけれど、権力を握るリベラルにとっては、それらはいずれも体制破壊の行為としてとらえられた。なお、ここでいうリベラルとは、権力を表面に押し出す側と、それを批判し体制破壊を弁護する側とを、ともに含む。この二つの方向は互いに相補完しあって、体制のリヴァイアサン性の全体を形造っているのだ。

 松本氏の言う「リベラル」は、一般にこの語から連想されるよりは広く、その真意は自由「主義」であるか否か、というよりむしろ、思想性の無さそれ自体、鵺のように中央にいる者たちのことです。
 戦前であれば統制派などが該当したのでしょうが、今日の後期資本主義において「中央」にいるのは、一層無名化した「名もなく貧しい権力」としての大衆、そして「大衆の代表」「市民の味方」を気取る善良で「お上品」な者たちです。
 この話を始めると長いですから、これだけにしておきますが、ただただ澱のような低い憤りが積み重なっていきます。