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イスラームから考える 師岡 カリーマ・エルサムニー 白水社 2008-04 |
結局人々は、僕らのことを知らないから僕らを恐れるのさ。彼らのせいじゃない。だって僕らについては善悪二種類のニュースしか流れない。悪い方のニュースは、僕らを「武装テロ集団」と呼ぶ。そしてたまにましなニュースがある時は、僕らは「武装テロ集団の疑いがある」って扱いだ。(ディーン・オベイダッラー)
考えてみれば、ユダヤ教徒とイスラーム教徒ほど共通点の多い宗教は他にないよ。どちらも豚肉を食べないし、どちらもクリスマスを祝わないし、どちらも喉から出す摩擦音を連発する。そしてどちらも、緊急時でもないのに電話口で怒鳴る。ユダヤ教徒とイスラーム教徒で唯一違うのは、ユダヤ教徒は金を使うのが嫌いで、イスラーム教徒は使う金をもっていないということさ。(アハマド・アハマド)
4月出版予定と聞いて、毎日のように入荷していないかとAmazonで検索をかけていた師岡・カリーマ・エルサムニーさんの新著『イスラームから考える』。
その冒頭で紹介されるのが、上の中東系アメリカ人コメディアンによるショーツアー、その名も「悪の枢軸ツアー」の一場面です。
ツカミがコレです。前にも書きましたが、カリーマさんの文章の熱いコブシ、特に詩を紹介する時の嬉しくて堪らない感じがとても愛おしいです。
「思想」的には必ずしも同意するものばかりではないですし、もしカリーマさんがわたしのことを知ったら間違いなく毛嫌いされると思うのですが、そんなことは大きな問題ではありません。アラブとイスラームのことになると急にしおらしくなるので、カリーマ様の爪の垢ほども語る資格もないワタクシは、ニコニコしながらお話を聞いておきます。
以下、気になった箇所をいくつかピックアップしておきます。
アラブ世界を主賓として迎えた、フランクフルトでのブックフェアの一場面。ケルンで出版業を営むドイツ人との対話です。
「このブックフェアは素晴らしいよ。世界中の人に会えるからね」
(・・・)しかし残念ながら、彼が言う「世界中」の中には入れてもらえない国々もあった。
「でも僕は、アラブ世界を主賓に招くことには反対だね」
(・・・)
「ヨーロッパ中が『アラブ』ってもんに神経を尖らせているときに、なんでアラブを呼ぶのさ。はっきり言って、僕だってアラブ人は怖いよ」
えーと、私がアラブ人だって言ったよね。
(・・・)
「君、誤解しないでくれたまえ。僕はいたってリベラルだ。しかし今は、ヨーロッパが一つのアイデンティティーと共通の価値観の下にまとまらなければならない時なんだ。そういう時にアラブを主賓にするのはどうかと思うね」
(・・・)ところで、あなたの言うヨーロッパの価値観って何かしら?
「言うまでもなく民主主義と」
まるでドイツがここ二、三世紀は民主主義を貫いてきたかのような言い草だ。
「そして寛容性さ」
寛容でない人ほど寛容性という美徳を振りかざすものだ。
「寛容」。
「寛容と理解を踏みにじれ」「寛容さと共存の何が問題なのか」「スラヴォイ・ジジェク『人権と国家』、寛容と自由」をはじめ、何度となくこの言葉の欺瞞に触れてきましたが、このドイツ人が出会ったのが極めて非「ヨーロッパ的」・非民主主義的・不寛容なワタクシでなくて大変運がよかったですね。
はっきり言っておく。わたしの左ミドルはお前の甘言よりずっと速い。
不愉快な場面を引用してしまったので、以下、本書中にあったハディースの一節を引用させて頂きます。
カリーマさんご自身も書かれている通り、イスラームに不案内な日本人にとってのみならず、少なからぬムスリムにとっても「意外」なムハンマドの言葉があります。
新たにイスラームに入信した男がムハンマドにこう訴えた。
「イスラームに入信する前、私たちは気高い身分だった。しかし今は、蔑まれる身分に墜ちてしまったのが情けない」
そのときムハンマドはこう答えた。
「私は神から、許すことを命じられた。人々と戦ってはいけない」
もしあなたがたが私のものとされる言葉を聞き、しかしあなたがたの心がそれを否定し、あなたがたの感情と感覚がそれを嫌い、あなたがたから遠いと感じられるものがあれば、私はそれからさらに遠い。
私は人間だ。あなたがたの信仰に関わることで私が何かを命じたならば従いなさい。しかし、あなたがたの俗世に関わることで私が何かを命じたならば、従わなくてもよい。あなたがたの俗世のことは、あなたがたの方がよく知っている。
もう一つ、ちょっと微笑ましいエピソード。
妻バリーラを溺愛しながら、どうしても気に入ってもらえず、とうとう離縁されてしまった男マギース。その悲しみに暮れる様があまりに哀れで、ムハンマドはある時バリーラにこう言います。
「マギースはあなたの息子の父親でもある。復縁を考えてみてはどうか」
女は頑なな口調で答えた。
「神の使者よ。それは命令ですか?」
「いや、彼に代わって懇願しているのだ」
それを聞いて、女はきっぱりと言った。
「それなら、いやです」
神の使者もかたなしです・・。
思えば、デフォルト感情「怒」で邪悪極まりないわたしがイスラームに関心を持つようになったのは、かなり黒い心からでした。
今も変わらず座右の銘は「肌は白く、心は黒く!」ですが、アラビア語を学びクルアーンの一節をたどたどしく詠んでいると(詠もうと奮闘していると)、不思議と気分が落ち着きます。
このままでは暴力革命に障りが出そうで、ちょっと心配です。

師岡カリーマ・エルサムニー『イスラームから考える』、「悪の枢軸ツアー」


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