「脳は存在しない」くらい言ってみる


 「人に感謝しない者は、神にも感謝しない」に、次のようなコメントを頂戴しました。

「神」という概念の捉え方かもしれない。あなたが感謝し、祈る「神」は私にとっては脳が作り出したゴーストだ

 まず、お断りしておくこととして、この方個人への反論や批判を試みようという意図はなく、また「無神論」に対するヒステリックな反応をするつもりもありません1。こうした立場はよく理解できますし、わたしもベースになっている物事の捉え方は、むしろ「そちら側」のように思います。わたしは「狂信者」であって「信仰者」ではありませんから(笑)、奉仕活動をしたり手相を見たりするような「宗教の人」ではありません2
 また、イスラームに大変惹かれてはいますが、ムスリマではありませんし、十分に深い知識があるわけでもありません。諸般の事情から、入信しようとしても断られる恐れすらあります。万が一にも、このブログで書いている内容をムスリムの考えなどと勘違いしないで下さい。


 こうした立場に対し、還元論に対し還元論で返す、というのはよくある反応です。
 神の方が幻影か、脳の方が幻影かは、究極においては決定不可能だからです。
 最近元気の良いプロテスタント根本主義者なら、「化石は神が創造のときに埋めた」と言うかもしれませんし、世界が五分前に(完璧な「過去」を実装して)創造されたことを反証するのは不可能でしょう。
 マールブランシュという17世紀の哲学者が、心身問題の解決案として「機会原因論」という説を唱えています。これは心が何か思うと神がそれを察知して身体(物質)に伝え、逆に物質界の出来事も神が一々介入して心に伝えている、というすごい理論です。それくらいの勢いで神様が仲介してくれているなら、脳の働きを見せかけるくらい造作もないことでしょう。

 こうした議論はそれなりに面白いですが、どこか「術中に嵌っている」感があります。パスカル式に「それでも信じていた方が得だよ」としても、十分に「宗教的」ではない匂いがします。結局、信仰を理性により基礎付けようとしているからです。
 土着的信仰から「普遍宗教」となった宗教は、その「普遍性」自体に理性の介入する契機を備えており、ほとんど必然的に「神の存在証明」のような「哲学」を招き入れてしまいます。理性的アプローチを擁護し、むしろ「知性的信仰」こそが善、あるいは義務であるとする宗教哲学は、アヴェロエスをはじめ、キリスト教・イスラームを問わず枚挙に暇がありません3。しかし、そのような「擁護」が必要だったのは、やはり哲学・理性が、大衆と権威者による「善男善女の信仰」とは相反するものであり、因習的宗教的権威を危険に曝し、弾圧の対象となっていたからです。 そして「すべては脳の幻影」や、そこまで言わないにせよ何らかの「科学的」ディスクールにより神を否定しようとする合理主義は、哲学の系譜に属するものです。
 言いたいのは、「還元論に対し還元論で返」しても水掛け論だ、などということではありません。
 「還元論に対し還元論で返す」にせよ、他の「論理的」反論にせよ、ちゃんと反論しすぎている、ということです。

 ここにあるのは、大衆的信仰とは極めて「世俗的」なものである、という逆説です。
 そのような「世俗的信仰」は、世が変わればむしろ一見「科学」寄りの言説とも取り替え可能になります。リサイクル幻想などが好例です。彼らは自分たちが「信仰者」であるとは決して認めないでしょうが、正にこのような「そこそこスジが通っていそうに見えるけれど、根拠は権威に丸投げ」という態度こそ、良くも悪くも「世俗的信仰」というものです。

 だからといって、「ちゃんとしすぎた宗教哲学」に対し、「テキトーな世俗信仰」を野卑な反動としてぶつけよう、というのではありません。
 正確には、そういう意図もあります。信仰とは、多くの宗教哲学者を「無神論者」として切るような、荒々しいものです。アヴェロエスが「真の信仰」と信じたようなものは、信仰というのは立派すぎるのです。
 ですが、「『テキトーな世俗信仰』をぶつけてやれ」というわたし、それは既に十分に「テキトー」で「世俗的」ではありません。世の善男善女は、単に素朴に「世俗的信仰」を抱くのであって、「ぶつけてやれ」などという物騒なことは考えません。
 ですから、「『テキトーな世俗信仰』をぶつけてやれ」は、「極左経由の極右」「反動」であって、「右派」でも「保守」でもありません。「哲学」に対して「信仰」を擁護するかもしれませんが、自分自身は「信仰者」ではないのです(ファシストが左派を叩きナショナリストの肩を持ちながら、故郷を持たずパトリも信じないように)。

 (保守ではない)「反動」としては、「脳が作り出したゴースト」に対していかに「非-理性的」に反論するでしょうか。
 わたしなら「無脳論」くらい言ってみたいです。「神など存在しない」ならぬ「脳など存在しない」です。
 ここで、突きつけられた解剖標本やデータに対し、「神が精神に介入し」「脳はただの形骸であり」などと言っては、ちゃんとしすぎです。脳そのものが幻影、「そんなものわたしには見えない!」くらい図々しくなくてはいけません。アポロ月面着陸捏造論者なみに「脳などという器官はCIAの陰謀である」とアジる勢いです。

 最初にお断りした通り、わたしはムスリマではありません。
 ムスリマではなく、「イスラーム原理主義者」です。
 あと、酒飲みです。

追記:
 massunnkさんが「脳だけでものを考えようとする発想がわからないんだよなー末端あっての脳なのに。皮膚とかさ。ヒフヒフ。」とコメントしてくれていますが、素晴らしく正しい! もうほんと、脳にはうんざりです。いや、本当に脳と真面目に向かっている方々は「身体あっての脳」という視点をあっちこっちで書かれているのですが、ゴーストやらサイバーパンク的文脈やら、挙句の果てに脳トレやら、最悪です。脳トレしている暇に筋トレしろ、と声を大にして言いたい。
 皮膚、とても大事。脳なんてただの皮膚マップやん、くらい思います。脳好きな人は異様に視覚偏重で、触覚のパワーをまるで理解していないように見えます。
 やっぱりスキンシップ&スキンケアね♪

  1. 現代日本人(多分、現代だけではないですが)の多くが「神を特に信じていない」としても、これは西洋的な意味での「無神論」ではありません。そもそもセム的な信仰という枠組みを持っていないわけですから、こうした「信仰の無さ」を「無神論」と呼ぶのは適切ではないでしょう。 []
  2. 「わたしが原理主義者です」参照 []
  3. 「哲学から宗教へ、アシュアリー、極左経由の極右」 []