『イスラームと西洋―ジャック・デリダとの出会い、対話』 バルバロイ、アラビア語、音楽


『イスラームと西洋―ジャック・デリダとの出会い、対話』 ムスタファ・シェリフ 小幡谷友二 『イスラームと西洋―ジャック・デリダとの出会い、対話』 ムスタファ・シェリフ 小幡谷友二

 アルジェリアの哲学者ムスタファ・シェリフによる、デリダとの対談をまとめた一冊。
 デリダがあまり好きではないし、「寛容」などと軽く口にする大学サヨクどもが心の底から憎いです。
 とはいえ、『イスラームと西洋』と題打ってデリダの写真が表紙になっていれば、気にしないわけにもいきません。よって以下は、著者に対してもデリダに対しても、ネガティヴなバイアスのかかった読解であることを、予めおことわりしておきます。


 日本ではあまり意識されていませんが、マグリブ(北アフリカ西部)とヨーロッパ、とりわけフランスとは強いつながりがあります。この地域のベルベル人・アラブ人・ユダヤ人そしてフランス人の関係については「イスラーム人生相談所 ちょっとイイ話」で触れた『現代アラブ・ムスリム世界』がオススメなのですが、デリダの出自はアルジェリア在住ユダヤ系フランス人。マグリブにはフランスによる植民地化どころかイスラーム化以前よりユダヤ人が住んでいたのですが、デリダのご先祖様はイベリア半島の方から移り住んできたユダヤ人のようです。アルジェリアのユダヤ人は、1870年のクレミュー法により「フランス人」となり、その後ヴィシー政権によるクレミュー法廃止で再度「非-フランス人化」、その後「再-フランス人化」した、という歴史を辿っており、幼いデリダは隣人と異なる言葉を使う者として育ち、その後支配者の保護から放逐される、という少年期を過ごしたようです。

アラビア語、この異郷とでもいうべきものは私にとって、見知らぬもの、あるいは既成秩序によって禁じられたものという位置づけでした。ある禁忌がアラビア語に対して行使されていました。(・・・)こういった状況の中、アラビア語学習のための最後の、そして唯一の手段が学校に残されていましたが、それは外国語としての学習だったのです。(・・・)しかし、ここが奇妙で不安を生じさせる点なのですが、他者といっても気のおけない隣人のような他者の言語を外国語として学ぶわけです。私にとってアラビア語は隣人の言語でした。というのも私は、あるアラブ人地区のへりの部分、目には見えないのですがそれを越えることがほとんど不可能な境界のひとつに住んでいたからです。

 すぐ隣で話されている言語と「公式」に接するチャンネルが「外国語としての学習」である、というのは鮮烈な体験です。

 この下りでデリダは「アラビア語が単なる伝達手段を越えたところで、歌声や祈る声がかなでる詩的な荘厳さの中で発せられているのを聞くのが好き」と発言しているのですが、アラビア語超初心者としても似た印象を抱いています。アラブ人は詩や読誦を大変重んじますが、そもそもアラビア語は原則として母音表記がありません。どんな言語でも文脈がわからなければ正確な発音はできないものですが、格を決定する名詞末の母音等の重要な発音が、全体の意味がわかるまで読むことができない(文字表記上は区別できない)、というラカン的遡及的決定を絵に描いたような宙吊り感があります。学習していても、とにかく耳と口から覚える、真似ながらまず歌のように染みこませる、その上で文字に起こす、という方法が自然に感じられます。
 さらに、アラビア語は多くの外国人に「歌のように」覚えられている言語です。キリスト教と異なりイスラームは翻訳されたクルアーンを正式な聖典として認めませんし、非アラビア語ネイティヴのムスリムたちの多くは、意味もわからないまま「歌のように」クルアーンを読誦しているのです。
 もちろん、アラビア語を過度に「音楽的」に受け止めてしまうのもまた特権化であり、外国語一般が「歌のように」聞こえるものです。むしろ、現代の英語のように「コミュニケーションの用具」ではなく、「意味がわからなくてもとにかく詠む」聖なる言葉として千年以上にわたって「外国人」に使用されてきた歴史が、アラビア語を特権化しているように思えます。

 この「外国語としての言語」という視点は、本書半ばの他者性についての議論にも登場します。

わたしは多元性が文明の本質そのものであると思います。多元性といっても私は他者性という意味で使っていますが、差異の原理、他者性への敬意、これらは文明の根源であると言えます。(・・・)とはいえ、この多様性・多元性に敬意をはらうことは、固有言語をマスターする必要があるので実に難しいです。ここで私が固有言語と呼ぶものは、他者の言語がもつ特異性、すなわち他者のポエジーのことです。(・・・)したがって翻訳[通訳]の必要がでてきます。翻訳という仕事は固有言語の尊重と全く相容れないわけではありません。たしかに固有言語は原則的に翻訳不可能なものです。けれども翻訳不可能なものだけが翻訳を必要としています。

 ここで多元性・多様性・差異といった概念が極めてイージーに使われていることは、強く警戒されなければなりません。「多様性」を言うことは、翻せば差異を貫く基体を暗黙的に想定することであり、結局は一段高い枠組みの中に回収しようという、サヨクおなじみのお上品なトリックに過ぎないからです。
 「異なる固有言語を持つ」他者もまた、その固有言語を「マスター」することによって尊重されるものとして想定されている限り、実に都合のよく御しやすい他我モデルにすぎません。< 他者>とは交通不可能なものであり、むしろ死者、弔われることすらなく回収の契機も与えてくれなかった暴力的死者を想定する方が妥当です。
 ただし、「わからない言葉」を話すものとして他者を考えること自体は、有用です。つまりバルバロイ、ベルベル人です。もちろん、「バルバロイ」は侮蔑し忌避する対象ですが、この傾斜・段差から出発しなければ、そもそもの他者の他者性自体が不可視化されるだけです。そして「わからないものにも、暖かい目を」などという「多様性言説」が、例によって上から目線の大学サヨク・市民派の戯言に過ぎないことは言うまでもありません。
 では、わたしたちは互いにバルバロイであり、殺しあうしかないのでしょうか。殺しても構わないと思いますが、それを言いたいわけではありません。バルバロイに「固有の価値」が見出されるのは、その言葉の通じなさ、理解できないことが、音楽的に響く時です。
 外国にしばらく滞在し帰国した時、周りから聞こえる言葉が阻みようもなく脳に(左脳に?)届いてしまうことが、酷く不快に感じられた経験は、珍しいものではないでしょう。知らない言葉は、意味がわからないが故に美しく聞こえます。
 これは単なる異国趣味を言っているのではなく、言葉とはその始まりにおいて「わからないもの」なのです。誰も言葉を話せる者としては生まれて来ません。巨人たちの吐く言葉の雲の中に、わたしたちは放り出されたのです。正確には、その語らいの中に渦として生まれたものが< わたし>です。外国で暮らすということには、どこか子供に帰るようなところがあります。「差別」を受けると同時に、子供ならではの「特権」も与えられます。多少不適切な言葉遣いをしても、「子供だから(外国人だから)」と許されるのです。
 もちろん、現実にはそんな能天気なことばかりは言っていられません。子供は大人にならなければなりません。ですが、わからない言葉は「マスター」されてしまった途端、ただの「不自由なコミュニケーション用具」に堕してしまいます。「マスター」は< 他者>との交通を夢見て試みられるのですが、達成してしまうと同時に、< 他者>そのものが消失してしまうのです。
 これは交通の試みを否定しようというのではないですし、「外国語を音楽として愉しみましょう」などとお気楽に言いたいのでもありません。デリダが「翻訳不可能なものだけが翻訳を必要とする」と言うことは重要です。正確に言えば、言語を「マスター」することなど永遠にあり得ません。外国語だからではなく、母語ですら「マスター」の基準などないのです。存在するのは、翻訳だけです。翻訳とは、他者の意図を汲み取ることです。その意図はまったくの思い違いで、こちらが思っているだけのことかもしれない。翻訳を通じてしか他者にアクセスできない以上、「真意」を確かめる術もない。それでも、わたしたちは翻訳しようとするのです。
 なぜ翻訳しようとするのか。それは< 他者>が意図を持っている、と想定するからです。バルバロイの言葉が音楽的に美しかったとしても、それは単に「わからない」からではありません。「わからない」、しかしそれでも意味がある、何らかの意図を背負わされている、「わたしにはわからないが、わかる者が少なくとも一人いる」と想定されるからです。
 音楽は音ですが、ただのノイズではありません。一方で、狭義の言語的意味を備えたものでもありません。ただ、意図はあります。正確には、意図がある、すなわちその背後に何らかの主体、消え行くfading主体が想定されるのです。それは個人として特定されるような「作者」とは限りません。誰が作ったものでもなく、口をついて出た鼻歌であれ、何らかの主体がある。しかし意味はわからない。それが音楽です。

 もちろん、そうした音楽性の発見、翻訳不可能であるが故の翻訳の試みが、常に行われるわけではありません。コミュニケーションという地平で考える限り、バルバロイは単に不快な者です。そして不快な者を排除し殺める営みを「多様性」の美辞の元に阻もうとしても、必ず失敗するでしょう。
 わたしたちが「殺さない」のは、殺さない方が面白い時です。殺したいものを「我慢しなさい」と言ってもムダです。殺したいのに殺さないのは、殺すのが面倒だからです。この面倒というのは非常に重要なことなので、殺すのが面倒くさくなる仕組みを作ることは大切ですが、別のチャンネル、より大局から「殺さない」ための統制的概念として「多様性」「コミュニケーション」を言っても何にもなりません。
 むしろ通じないことの気楽さ、不可能な翻訳が未だ達成されず、ただ試みられている、そうした時間的契機の魅力にうっかり嵌められてしまうことにこそ、「殺さない」希望があります。これは幼児的で、どこか禁忌を踏み越えるようなエロティックな悦びです。しかし幸いにも、わたしたちは大抵それほどオトナではないですから、児戯に引き込まれてしまうことがしばしばあります。

 もう一度アラビア語に戻ると、アラビア語が他の広域言語と異なるのは、「わからないならわからないでも構わない」ものとして流通し始めた点です。クルアーンは絶対にアラビア語でなければならない。しかし、市井のインドネシア人に「アラビア語を勉強しなさい」と言ったところで無理というものです。結果、多くのムスリムがアラビア語でクルアーンのいくつかの章を詠唱できる一方、その「意味」についてはわからない、あるいは母国語を介して理解する、という広がり方をしたのです。
 もちろん、ムスリムたちが「わからないでも構わない」と開き直っているわけでもないし、アラビア語が「わかる」非ネイティヴのムスリムも沢山います。ただ、一つの言語が、その第一義を単なるコミュニケーションの用具ではなく、「神の言葉」(クルアーンはムハンマドの「著作」ではなく、アッラーの言葉を記したもの)として、これだけ多くの人々の間に広まったということは、それだけでアラビア語に特権的「音楽性」を認めるに足るのではないでしょうか。
 この点を鑑みると、「隣人が話す言葉でありながら『外国語』としてしか学びようがない」というデリダのアラビア語体験は、図らずもアラビア語の特権性を、正しく体験したことになるのかもしれません。

 わたしたちがその元に産み落とされた言葉の雲、それは神の言語です。わたしたちは「わかって」話す前から、話していました。歌のように、詩のように。いつの間にか「わかる」ようになってしまった今、バルバロイと出会うことは不快な「コミュニケーション不全」の経験であると同時に、「神の言語」を再体験することでもあります。
 こうした見方は、共存や相互尊重といった水平的視点を重んじる知識人の目には、偏重と映るでしょう。下に見るか上に見るか、どちらか一方なら、それはオリエンタリズムではないか、と。
 まったくその通りです。
 オリエンタリズムしかないのです。その向うに夢見られる「普遍的な共約性」など、幻想に過ぎません。
 そうした幻想が、統制的理念としていくばくかの力を持つことは否定しません。またデリダが「来るべき民主主義」を語るのも、同様に「それ自体としては不可能だが、導きとして」の意義を求めてのことです。ですが、一歩間違えば何もしない相対主義と変わりありません。
 わたしたちの多くは、それほどオトナでもお上品でもありません。オリエンタリズムで結構ではないですか。そこから多くの偏見や苦しみ、死が生まれるでしょうが、そうしたものは決してこの世から消えることはありません。「たまには殺さない」政治的リアリティの方が、「絶対に殺さない」夢想よりずっと力強いはずです。

 当初予定していた罵詈雑言が吐き足りないので、別エントリで続けます。

追記:
LSTYさんが「理解・努力・諦念・受容・真摯・優しさ」で「他人のことを理解しようとすればするほど、「本当に相手のことを理解すること」が不可能であることに気付く。そして理解を諦める。理解を諦めたからこそ、相手を「受容」できるようになる。」と仰っているのですが、これもこの問題系につながるのではないか、と思っています。

イスラミスム(イスラーム主義)については、以下参照。
「『イスラーム主義とは何か』大塚和夫」

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