サイボーグ・ファシズムと創造論


 サイボーグ・ファシズムについて、大分以前に「サイボーグ・ファシズムの対極は信仰か?人間は神の創造したものだから」というコメントを拝見しました。こうした立場からすると、一神教寄りのわたしの言説とサイボーグ・ファシズムは齟齬を来しているのではないか、という疑問が生じることではないかと思います。
 別段安い「一貫性」に拘泥するつもりはないのですが1、サイボーグ・ファシズムが信仰とどう関係するのか、現時点での考えをメモしておきたいと思います。
 なお、件のコメント者に対して反論や批判を試みよう、という意図ではありません。むしろ、こうした切り出し方ができる慧眼に敬意を表し、わたしなりの展開で返答しよう、というものです。


 サイボーグ・ファシズムは「人工性」というイメージを惹起しますが、これが最も批判するのは、「何もないところから何かが生じる」、つまりいかなる形でも「創造」が行われない、ということです。
 東アジア的「泥の文明」、わたしの言い方をすれば「国敗れても山河がある、という母性信仰」には多分にこの要素があります。象徴的領域がすべて崩れ去ったとしても、その向うには「自然の力」があり、黙っていても無から有が生じる、という世界観です。今年も来年も同じことを繰り返し、因習に埋没し、「ことを起こさない」ことが重んじられる世界では、こうした< 母>の力がナイーヴに信じられるのでしょう。
 サイボーグ・ファシズムは母を殺害し、無からは何も生じないことを宣言します。
 持たざる者が、黙っていて「持てる者」になることはありません。都市生活者においては、時に「沈黙は死」ですらあります。故郷を持たない者に求められるのは、「自然」を信じずネットワークを縦横無尽に横切る強靭な砂漠の精神です。

 ですから、サイボーグ・ファシズムは反-自然という限りで「創造」論的です。
 残るは、「創造」を行うのが神か人間か、という問いでしょう。
 もちろん、人間は「創造」など行いません。そして同時に、自然発生的な「ニンゲン」2であることも、サイボーグ・ファシストは拒絶します。わたしたちは水辺の葦などではないのです。
 サイボーグ・ファシストの受けた命令は「意志せよ」です。
 わたしたちの世界は既に決定されており、そこに自由意志の入り込む余地はありません。しかし、「選択の自由」のない場所にこそ、真の自由があります。それは選ばれて在る自由、既に選択されている自由です。この自由において、サイボーグ・ファシストは選べもしないことを自らの名において意志し、欲望します。なぜなら、そこで名乗ることこそ、わたしたちが主より受けた命令だからです。

 もちろん、自らの名で意志してしまうサイボーグ・ファシストは「主の命に背く」性質があり、明確に悪の刻印を帯びています。
 しかしわたしたちは、裸で善であるものを信じません。「意志せよ」とは、「十分に倫理的であるな、背信者であれ」という命令です。
 サイボーグ・ファシストは「良き信仰者」ではなく、「狂信者」です。
 サイボーグ・ファシストは悪から善を作らなければなりません。この善は、誰にも見えず、誰にも伝えられることがない< 善>です。狂信だけが、悪の極北から回帰する力を備えているのです。

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  1.  こうして「とんでもない」ことを書いていると(書いているにも関わらず)、たまに「論理の内的破綻を指摘して批判する」という思い切り王道な「批判」に出会うことがありますが、破綻させようとして破綻させているものを「破綻している」と指摘するのは、「正しく誤読」されているのか、それとも狙ってやっているのか、判断に迷います。迷わせている限りで、転移的残余が生じるという点で、彼または彼女は「成功」しているわけですが(笑)。
     念のためですが、わたしは「内的一貫性」など微塵も重んじていません。むしろそうした肛門的吝嗇を徹底的に破壊しようとしています。書かれていないことだけが重要です。何かが常に書かれないのです。書かれなかったものへ飛翔するためには、書いて、書ききって(断言して)しまわなければなりません。
     そして書ききれなかったことに戻り「いや、わたしの言いたいことは・・」と背進するのではなく、次の断言へ進むのです。余白=周縁へと欲望を投げることが、わたしたちの義務なのであり、「義務」の肛門性を超越する唯一の方法なのですから。
     「一貫性」フェチで「わたしは生きているのか、死んでいるのか」という問いで防衛するケチなマザコン坊やどもに、残らずキンケリ入れるのが、わたしたちの仕事です。 []
  2. ニンゲンがシンでニンシン。ソーゾーニンシン。とか謳ってみる。 []