『恋するアラブ人』とハードボイルド文体


4560027722 恋するアラブ人
師岡 カリーマ・エルサムニー
白水社 2004-11

 先日、著者師岡カリーマ・エルサムニーさんにサインを頂戴してしまった『恋するアラブ人』。
 季刊「アラブ」に連載されていたエッセイをまとめられたもので、一気に読んでしまう素晴らしく楽しい本なのですが、この面白さをどう伝えるべきか、ちょっと悩みました。
 惹かれる点の一つは、「日本語ネイティヴ」が語るエジプト農村での子供時代、という素朴にエキゾチックな面。海外で育った日本語話者が幼年期を振り返る、というテクストは少なくありませんが、アラブ世界のそのまた田舎、というのは他で見たことがありません。
 ただ、そうした物珍しさが本書の最大の魅力なわけではありません。
 そもそも『恋するアラブ人』に収められているのは、カリーマさんの思い出に基づいたエピソードだけではありません。アラブの故事を巡る歴史エピソードや、アラビア語を巡る話題もあるのですが、そうした諸々が客観的知識としてポンと置いてあるのではなく、私的な領域と交錯しながら動的に展開していくのです。
 つまり「物語的」ということで、ほとんど良質の短編小説のように読める部分もあるのですが、その「物語」の「語り」が猛烈に上手い。上手いというか、コブシが利いていて「熱い」のです。
 先日、「生カリーマさん」のお話を聞いても思ったのですが、「こう来てこう来てここでドーン!」な話の運び方に天性のものを持っている方です。時々学校の先生で、余談が異様に面白い人というのがいて、卒業後数学や古文のことは忘れても、この余談だけは残っていたりするものですが、そういうタイプです。あの気が狂いそうなアラビア語文法をカリーマ先生に習っていらっしゃる方は、とても幸せだと思います(余談だけ残って文法を忘れてしまうかもしれませんが・・)。
 こういうノリをどこかで見たことがあります。ハードボイルド小説です。
 「テーブルの上にコップがある」と言えば済むことを「オレはテーブルの上にコップの存在を認めた」と書くのが、ハードボイルド小説です。要するに表現が動的で、静的な事象も自己との変化する関係性の中で表す、というスタイルです。
 いや、カリーマさんの文章は、こんな野郎くさいものではないのですが、棒高跳びのような躍動感があるのです。
 対象を客観的に記述するだけなら、こういうスタイルは必ずしも優れているとは言えません。安定した姿勢から、スナイパーのように狙い打つ方が的確でしょう。
 でも血沸き肉踊るのは、やっぱり馬賊のモーゼルのような文章です1。馬の上から十発に一発当てる方が、百発百中のスナイパーよりカッコイイです。

 アラビア語を学んでいると、一にも二にも動詞、教科書の半分以上は動詞の説明です。人称変化が厳密で、前置詞や副詞と結びつくより動詞自体が派生形を作っていく言語のため、動詞一つで非常に多くのことを表現できる一方、動詞を巡って覚えるべき文法事項が膨大だからです。語順も、文頭に動詞が来ることが多いです。
 思い切りナイーヴな「オリエンタリズム」ですが、もしかするとそういうアラブの血が、文体とも関係しているのかもしれません。普通に考えて、個人の資質に寄るところが大でしょうけれど・・。

 一つ難点を言えば、まったくの個人的趣味ですが、タイトルはあまり好きではありません。
 確かに色々な「恋」が登場するのですが、それらは「恋」という日本語からイメージされる甘酸っぱかったり可憐だったりするものではなく、「愛」でもまだ足りず、もっと血がたぎっている情念です。ちょっと「痴」も入り、「狂」だけれど、「呆」ではない。
 わたしはこういう時、すぐ「侠」とか言いたがるのですが、それでは野卑に過ぎ、ぴったりする言葉が思いつきません。

 エジプト人、軍隊の統制は取れなくても、一対一の喧嘩はめちゃくちゃ強そうです・・・。

  1.  この骨董品同然の銃のデザインが、一周回ってちょっと未来っぽく見えてしまうのは、わたしだけでしょうか。個人的に結構好きです。 []