タナッキーの舟


 タナッキーの部屋に行った。
 タナッキーは大学一年生の時に同じサークルだった男の子で、そのサークルは映画サークルだったのだけれど、わたしは二年生の時にそりが合わなくて辞めてしまったのだけれど、彼個人はイイヤツで、その後も時々集まりに誘われたりしていたのだった。
 タナッキーの部屋は銀閣寺の近くの、今出川の緩い登りをジワジワ東に登って交差点のちょっと手前辺り、天下一品銀閣寺店の少し東の北側にあった。この登りは、歩いているとあまり気にならない程度なのだけれど、自転車だと「あぁ、登っているな」という感触があり、京都も東の端まで来たのだな、と実感する。
 タナッキーの部屋は九龍城のような巨大で複雑な建物の中にあり、夜だったせいでこの建物が一体何階建てなのかわからなかった。てっぺんの辺りは闇に飲まれてしまって見当もつかなかった。
 内部にもいくつものエレベータがあり、廊下も妙なところで直角に折れていたりして、見通しの効かない奇妙な建物だった。一階から七階のエレベータ、三階と十七階専用のエレベータなどがあり、それぞれに縄張りがあるようだったが、事前にタナッキーに渡されていたメモにしたがって、入り口の一番近くにある古いエレベータでタナッキーの部屋の下の階まであがり、一階だけ階段を使った。彼の階にはエレベータが止まらないらしい。
 部屋をノックすると、いつものひょうきんなタナッキーの声が聞こえた。声に促されて中に入ると、部屋の中は真っ暗で、どこに何があるのかさっぱりわからなかった。目が慣れてくると、星空が見えるのがわかった。部屋全体がガラス張りで、しかも突起物のように建物から突き出していて、そのまま空が見えるようだった。
 部屋そのものは物凄く狭くて、車の中と同じ構造になっていた。ドアを開けて入ってすぐのところは、普通のワンルームマンションのようなのだけれど、左手にユニットバスのドアがあり、そこから先に進むと狭い個室で、一段高くなったところにちょっと大きめのセダンくらいの形そのままに、四つのシートが並んでいた。タナッキーは助手席のシートをリクライニングして、星空を眺めながら焼酎を飲んでいた。
 わたしはタナッキーの斜め後ろの、運転席の後ろの席に座った。車のドアがないのに、シートだけは車と同じなのが不思議だった。シュミレータかレーシングゲームのようだった。前がガラス張りなので、コックピットのようにも見える。
 高い座席に登ると、部屋は単に上半分がガラス張りなだけでなく、張り出した前方については、床部分も一部ガラス製であることがわかった。
 狭い部屋だけれど、窓からは広大な京都の海が一望できて、素晴らしい眺望だった。
 丸太町から南は、夜になるとほとんど全部海で、緩いカーブを描いた湾が、南側に開いている。白川の東になると山がせり出していて、その東側の山が三浦半島に連なっている。
 東の側はタナッキーの部屋からだとよく見えないけれど、右京の向こう側あたりから南向きに半島になっていて、伊豆半島には近すぎるから、これも三浦半島なのだろう、と思った。

 わたしの実家は、三浦半島を付け根から少し下がったあたりの東側、金沢八景の少し沖合の海底にある。タナッキーの部屋は南に面しているので、右手にある方の三浦半島を少し下った辺りにあるはずだった。
 楊家太極拳の創始者楊露禅にそっくりの太ったお父さんが、建売の水中ハウスに住む、と言い出して、家族の反対を押し切って引っ越したのだった。もちろん、完全気密で換気もしっかりしているし、騒音もないしバスも来るから大丈夫、ということだったけれど、お母さんは水の中に住むのが不安そうで、わたしも気が進まなかった。
 しかも、実際に住んでみると、会社の説明とは違って、時間帯により汚れた潮の流れが家のすぐそばまで来ることがあった。ゴミの混じった帯のような流れが、巨大な生き物のように家をかすめて揺れているのは不気味だった。お父さんはまず謝った方がいいのに、それより怒って会社に電話して、何度も抗議していた。

 お父さんの怒りを大きくしたのは、そもそもゴミを垂れ流しているのが建築会社の関連会社だった、ということだった。一度わたしは、お父さんに無理やり連れられて、会社の事務所に押しかけたことがある。お父さんは、抵抗する社員を太極拳で投げ飛ばしたりしながら、社長室まで押しかけた。辿り着き扉を蹴破ると、意外なことに社長だけは物わかりの良い人物だった。じっくり話すと事情を分かってくれ、一件落着かと言うところに、理事を名乗る男が現れた。
 彼の出現のお陰で、また一から事情を説明せざるを得なくなり、さらに急遽十数名による会議がその部屋で催されることになった。そのメンバーの中には、なぜか先輩の大岡さんが混じっていた。しかも、大岡さんはわたしたちが誰なのかに気づきもしないようで、状況の説明と称して自分の過去を延々と語り始めた。別の社員の注意にも耳を貸さず、自分の女遍歴や学生時代の思い出を話し続けた。その中には、小学生の時に覚えた柔道の技や、服を脱がずに水着を着る方法が含まれていた。
 大岡さんの話がいつまでも終わらないし、話の内容が気持ち悪いので、わたしは気づかれないようにこっそりと社長室を抜け出した。
 お父さんの暴力的な乱入にも関わらず、建設会社の社員達は普段と変わらずに業務をこなしていた。廊下を歩く内に、コピーの束を抱えた女子社員やせわしなく歩き回る背広姿の男達と何度もすれ違った。
 ビルは予想以上に巨大で、たちまちわたしは自分の所在を失ってしまった。迷路のような廊下を進む内に、次第に人気が少なくなってきた。同じ作りの扉が一定間隔で並んでいたが、その扉に記された部署名は知らない外国語で書かれていた。
 無数の階段を上り下りし、曲がりくねった廊下を歩いたが、一度も窓を見ることがなかった。気が付くと、嫌に天井の低い金属質の通路を歩いていた。まるでSF映画に出てくる宇宙船の通路のようだった。
 通りがかった部屋の入り口で、ピッチリとした銀色の服を着た二人の男が、入れ歯のパーツについて語り合っていた。その話を盗み聞きしたところでは、実はこの世界全体が巨大な入れ歯であるらしい。
 長い長いダクトのような通路の突き当たりの扉を開くと、遂に建物の外に出ることが出来た。あたりは薄闇で、夕暮れが迫っているようだ。空には真っ黒な重い雲がゆっくりと流れており、一方向に風が吹いていた。
 振り返ると、そこにはただ果てしない壁がそびえ立っているように見えるだけで、建物全体が入れ歯の形になっているのかどうか、見当をつけることもできない。建物は、町一つくらいの大きさの壮大な建築物らしかった。
 この建物の巨大さに比べて、外界はただただ草原の続く異様に空虚な空間が広がっていた。生命活動の総てが背後の巨大建造物の中に押し込められているようだ。入れ歯状の巨大建築は、超未来におけるド-ム都市のような役割を果たしているようだった。
 見渡す限り暗い草原が広がっているだけだったが、地平線にポツリと点のような家屋の陰が見えた。巨大建築からおそらくはその家屋に向けて、雑草に沈みかけた道路が通っていた。離合も困るような細い道路で、何十年も放置されたようにアスファルトがひび割れている。吸い込まれるように、その道路を歩き始めた。
 道には車も人影もなく、また交通標識や信号機もなかった。ガードレールもなく、ただ古い木製の電柱が一定間隔で続いている。歩き始めると、まるで生物のように電柱に付いた暗い蛍光灯が点灯し始めた。しかしその光は鈍く、時折瞬きながら空よりもなお低く青白い霊気を発していた。
 点のように見えた家屋は、近付くにつれいくつかの建造物の集まった集落らしいことがわかってきた。灰色の3,4階建てほどのビルディングがいくつがあり、建物の窓には明かりが見えた。
 暗闇に紛れて分かりにくいが、目をこらしてみると、草原には等間隔で巨大な高圧送電塔がそびえていていた。電線はどこまでも続き、地平線の彼方で闇に溶け込んでいる。
 一時間ほど歩いて、やっと集落に辿り着いた。そこは五本くらいの道が集まった交差点をなしていて、雑居ビルのような建物以外にもいくつかの商店や事務所めいた建物が集まっており、古びたラブホテルもあった。商店のシャッターは下り、もう何年も営業していないようだ。ビルの窓からは灯が漏れていたが、中にいるのはヒト以外の知的生命体か、機械生命のようなものらしかった。低いダクトの唸りと共に、正確に機を織るような機械音が響いてくる。
 ラブホテルの中には複数の生きて動くものの気配があり、それらが突然喧嘩でも始めたかのようで、嫌らしい高い叫びを発し、物が倒れる音がした。この世のものとは思えないような、ぞっとするキチガイじみた声だった。

 わたしは怖くなって、走って逃げ出した。その後のことはよく覚えていないけれど、必死で走ったので、京都大学に合格できた。実家が三浦半島を少し下がった東側だったから、あの建築会社の建物は、三浦半島の付け根より少し南あたりで、京都から見ると右京の下あたりだったのだと思う。そこから北東の方に走ってきて京都大学に入ったのだろう、と思うのだけれど、あんまり必死だったのでよくわからない。
 とにかく、わたしが大学に受かった時には既に家族とは離れ離れで、それから一度も家族とは会っていない。お父さんは無事に水中ハウスに帰れたのだろうか。お母さんは今もあの窮屈な家で暮らしているのだろうか。今では、もう水中ハウスのこともよく覚えていない。住み始めてすぐに大学に入ってしまったし、あの時とは身体の感覚もものの感じ方も随分変わった気がする。大学に入って生活が変わったからなのか、水中ハウスのそばを流れていたゴミの影響なのか、沢山走ったせいで身体が入れ替わったのか、よくわからない。
 ただ、年をおうごとに、水中ハウスのような部屋のことを考えることはなくなって、タナッキーの部屋に来たのも久しぶりだった。こういう複雑な建物に呼ばれたのは、前がいつだったのか思い出せないくらいだ。
 タナッキーの部屋に来たせいで、あのラブホテルみたいな建物にいた気持ち悪い生き物のことも思い出したけれど、そういうことも全然考えなくなった。この建物も大きくて複雑なので、似た生き物が住んでいる気がするけれど、あの街の建物に比べれば全然大したことがない。

 タナッキーの建物の中には、フォトスタジオがあって、そこでわたしは、花嫁さんと一緒に写真を撮った。二人花嫁がいるのではなく、わたしは花婿さんの役のようなのだけれど、花嫁さんと違ってわたしはなかなか可愛く写真に写れず、何度も撮り直した。花嫁さんのようになりたい、と思った。

 わたしと彼氏は同じアパートの別の部屋に住んでいて、わたしが一階で彼が三階だ。でも彼は三ヶ月間東アフリカの旅に出かけてしまい、彼の部屋はがらんどうのままだ。うまくすると、わたしの部屋から廊下に出ずにそのまま彼の部屋に行けるのだけれど、彼がいなくなってから天井が少し高くなり、廊下に置いてある本棚の本も増えている気がする。
 彼の部屋にはいつでも入れるわけではなく、タイミングがあって、うまく角度を調整してヌルンと身体を斜めにして入らなければならない。だから、毎日見ているわけではないのだけれど、それでも行く度に広く複雑度が増している。今では3LDKくらいになって、しかも広いダイニングというのはなくて、小さい部屋が細かく増えているようだ。
 でも、彼の部屋の複雑さは、不気味な感じがない。いつ行っても、昼下がりのような穏やかな光がレースのカーテン越しに入ってきていて、攻撃的なところがない。
 何となく、昔見た建築会社やラブホテルの複雑さと、タナッキーの建物の複雑さの関係に似ている。複雑になっても、切羽詰った感じがなく、穏やかで、攻撃性がないのだ。
 彼のいない部屋でも、この温かみの中でなら暮らせる、と思う。

 タナッキーの建物から出ると、そばのお弁当屋さんのテレビで、宇宙船の打ち上げのニュースをやっている。
 ふと振り向くと、今出川通りがお祭りのように可愛い装飾を施されている。真冬なのにお祭りの飾りがあるのは、宇宙船の発進を祝うためらしい。
 見上げると、タナッキーの建物の上の方から、自動車くらいの大きさの部分がゆっくりと空中に滑り出している。手漕ぎボートくらいのスピードなので、目を凝らさないと前に進んでいるのか単に浮かんでいるのかわからないくらいだ。
 あれはタナッキーの部屋ではないのか、タナッキーの部屋は実は本当に宇宙船のコックピットで、タナッキーがあのまま宇宙に発進したのではないか。そう思ってニュースの映像と空に浮かんだ小さな宇宙船らしきものを見比べたけれど、よく分からない。
 そばにいた京大生の男の子の会話を盗み聞きすると、宇宙船はゆっくり進んでいるように見えるけれど、それは光が歪んでいるせいで、相対性理論の影響らしい。本当はもの凄いスピードで進んでいるのに、銀閣寺にいるわたしたちの目には、亀のような遅さに見えてしまうようだ。

 子供の頃は、そういう宇宙船に乗ってみたい、と思ったことがあったけれど、今ではそんなこともすっかり忘れていた。あの不気味な街を抜けて走って逃げてから、色んなことが随分変わった。本当に、何もかもが良くなったと思う。
 以前は、ああいう悪いものをなくす為には、戦ったり焼き払ったりするしかないと思っていた。でもそれは間違いだ。焼き払っても焼き払っても、部屋はどんどん複雑で暗くなり、悪い蔦植物が増えるばかりだ。蔦植物は火のエネルギーを吸って、部屋や街を不気味で昆虫的なものに変えてしまうのだ。
 だから、ラブホテルのようなものをなくすには、戦ったり火を使ってはダメなのだ。もっと静かに、ただ黙って待って、何も考えなければ、多少部屋が複雑になっても、それは悪い複雑さではなく、昆虫的で歯止めの効かない攻撃性を発揮することもない。沢山眠って、忘れてしまえばいいのだ。

 もう宇宙なんか行きたくない、宇宙はタナッキーが行けばいい、工学部が行けばいい。
 わたしはアフリカで沢山だ。アフリカに行っている彼氏の部屋がスクスク育っているのを、陽だまりの中で待っているだけで、十分幸せだ。