変猫嫌悪


 狭い部屋の床や天井を、まるで重力がないかのように、猫が飛びまわる。跳躍というより、ボールが当たって跳ね返るように、上も下もなく凄い速度で延々と猫が閉鎖空間を飛びまわる。これが変猫嫌悪だ。
 変猫嫌悪は「ヘンビョウケンオ」と読む。
 身体が女性化する、という恐怖が根底にある、という見解があるが、変猫嫌悪は男性に特有のものではない。女性でも変猫嫌悪は起こりうる。女性の変猫嫌悪は、身体が社会的な女性の記号を負うことに対する抵抗が背景となっており、男性における去勢不安のような変猫嫌悪とは性質が異なる、という見方もあるが、確かなことはわかっていない。ただし、女性の変猫嫌悪は男性に比べると数は少ない。およそ三対一の割合で男性が主体だ。
 変猫嫌悪には器質的な要因が指摘されており、一種の中毒症状だ、という説が有力だ。脳の特定箇所にある種の重金属が蓄積されたためで、中毒説派はその箇所を脳幹の嗅覚に相当する部分としている。ただし、嗅覚そのものは変猫嫌悪で冒されることはない。その代わりというわけではないが、「音が聞こえる」という変猫嫌悪がある。
 幻聴と考えるのが普通だろうが、そうとも言い切れない理由がある。というのも、変猫嫌悪に陥った人々のうち、「音」が聞こえるようになった者は、共通して同じ音を聞くからだ。彼らには「通信」が聞こえるという。「モールス信号のようだが、意味はわかる」というのが、よく使われる表現だ。
 この音は動物たちの間での通信らしい。少なくとも、彼らは決まってそう主張している。変猫嫌悪の人々を同じ動物の前に連れてくると、同じ音を聞いているような言動を取る。「音」についての描写も一致する。ただし、機器等によりこの「音」が計測されたことはない。
 一方で、彼らの聞く通信の内容というのは、非常にパターンが限られていて、ほとんど決まったことしか言わない。通信の内容が複雑なのであれば、そこに本当に通信があるのか確認することができるが、同じような内容だけ聞くのであれば、証言の一致をもって、何らかの客観的対象を共通して聞いている、とは断定しにくい。

 臭覚が冒されて音が聞こえる、というのは奇妙な話だが、とにかく彼らによれば、音が聞こえる。その通信の意味は、大雑把に言って「神の賛美」だ。
 「神の賛美」と言ってしまうと、神々しすぎるかもしれない。別段讃美歌のような荘厳さがあるわけではなく、高揚感も崇高さもなく、むしろ業務連絡のような単調さで、神が賛美されているらしい。
 変猫嫌悪の男性の一人が、面白い表現をしている。
「人工衛星とか惑星探査機とか、ああいったものは一定時間ごとに通信を送ってくるでしょう。ネットワーク機器なんかでも、生存確認のために一定時間ごとに信号を発するものがあります。ああいう感じです」。
 いわゆるハートビートのような調子で、神が讃えられている、ということだ。
 ただし、通信はハートビートのためだけではなく、確かに内容があり、そのほとんどは単純な賛美だが、稀に複雑な内容や動物同士の符丁のようなものも交わされているという。これらは群れの動きを制御したり、遠くにいる同族とやり取りするためのものだ、と主張する者もいるが、多くの場合、「複雑な通信」は意味がよくわからない、とされる。その部分は、人間の言語のように構造化されていて、慎重に聞き込まないと意味が取れないらしい。しかも、「複雑な通信」は単純な賛美に比べて圧倒的に数が少ないため、解析できた者も少数だし、それが本当に解析なのかどうかを検証することもできていない。

 まとめて言えば、変猫嫌悪は、
・猫が狭い部屋の中をボールのように飛びまわる
・女性身体と関係があるらしい
・臭覚相当の部位に関係がある
・動物同士の通信が聞こえるようになる(すべてのケースではない)
・通信の内容は主に神の賛美である
 ということだが、いずれも不分明な要素が大きい。

 そもそも、なぜこれが「変猫嫌悪」と言われているのか。
 猫が飛びまわるのだから「猫」の文字が入っているのは分かるが、「変猫」とは何だろうか。「変な猫」というなら、確かに変ではある。そうではなく「猫に変わる」ことだ、とも言われ、この場合の「猫」は女性身体を象徴しており、このことが身体女性化不安とつながっている、とも言われる。
 一方で「猫」は本当は「病」で、「変病嫌悪」のことなのだ、という見方もある。これらが重ねあわせられているのかもしれない。
 「ヘンビョーケンオ」という音も独特だ。変猫嫌悪の人々は、現象が始まると「ヘンビョーケンオ、ヘンビョーケンオ、ビョーケンビョーケンオケンオケンオ」といった決まった叫び声をあげることが多い。

 変猫嫌悪の人々の中で、とりわけ信用に足る証言をしている人物がいる。元医師のM氏だ。
 彼は元々変猫嫌悪の調査に携わっていたのだが、二年ほど前に自らが変猫嫌悪に陥った。
「変猫嫌悪の飛んでいる猫は、空間を埋めようとしているのです。上も下もなく飛ぶのは、部屋という空間を埋め尽くそうとしているのです。変猫嫌悪の根本にあるのは、『隙間』に対する抵抗です。『隙間』の不安を埋めるために、猫で空間を満たそうとしているのです」。
「ですから、この猫は実は動物の猫とは異なります。実際、飛んでいる猫からは通信が聞こえません。あの猫は、猫自体が通信の一種であり、言語なのです。猫は意味であり、言葉と言葉の隙間、意味の空隙を埋めるために、飛びまわるのです」。
「変猫嫌悪は人間だけの現象であり、動物ではありえないはずです。なぜなら、動物は通信により常に神と接続されているからです。言わば、変猫嫌悪は通信の代わりなのです。通信による神との接続が絶たれているために、変猫嫌悪のような方法で意味を埋める必要があるのです」。
「変猫嫌悪を取り除こうとするなら、正にこの変猫嫌悪で聞こえる通信をよく見極め、ここから動物の方法を学ぶ必要があります。動物にはネットワークがあります。このネットワークは、神への賛美により神と接続されるものですが、神と動物の通信というより、神への賛美を通し動物同士がリンクする役割が重要です。神からはほとんど通信がありません。ブロードキャストのような神からの通信が時折ネットワークを埋めつくすことがありますが、頻度は極めて低く、ほとんどは動物からの一方的な賛美です。この賛美は神だけでなく他の動物も聞くことができるのですが、これにより相互に位置を確認する働きが重要なのです。人間も同様のネットワークを築くことができれば、変猫嫌悪は克服できるはずです」。

 変猫嫌悪は狭い密室で発生するが、一度変猫嫌悪が発生すると、この空間は「汚染」される。「汚染」された部屋では、高い頻度で次の変猫嫌悪が起こる。つまり、一度変猫嫌悪が発生した部屋に別の人間が入ると、この人も変猫嫌悪に陥る可能性が高い、ということだ。
 変猫嫌悪は人から人に伝染するものではないが、それが発生した場所には何かがある。それも、一番最初に変猫嫌悪が発生した箇所、つまり誰かが変猫嫌悪を最初に体験した箇所、というのが汚染度が高い。一度変猫嫌悪を体験すると、他の場所でも何度も発作的に繰り返すものだが、二度目以降の発生箇所では、同じ場所に足を踏み入れても、「感染」が拡大するケースは少ない。
 この為、政府は変猫嫌悪発生箇所を管理し、立ち入りを制限しようとしているが、公共空間の一部である場合、完全に立ち入り禁止にするのは難しい。しかも、変猫嫌悪は、一度も発生履歴のない箇所でも始まる。これらをすべて立ち入り禁止にしていては、入ることのできない部屋が際限なく増えていくことになる。

 一方で、そもそも変猫嫌悪は「克服」すべきものなのか、という問いもある。
 興味深いことに、変猫嫌悪の人々、当事者の中に、この主張をする人々が多く見られる。彼らにとって変猫嫌悪は「困った症状」ではなく、ある種の福音なのだ。
 変猫嫌悪には苦痛が伴なう。猫が飛んでいる時、当事者は非常に強い不安、パニックに襲われており、猫が去ってからもしばらく身動きも取れないほどだ。にも関わらず、当事者には変猫嫌悪を肯定する人々が少なくない。
「これは当然の試練なのです。目を伏せていたものが、見えるようになっただけなのです」。
「わたしたちは、変猫嫌悪を越えて、前に進まなければならない」。
 一方で、当事者以外、特に行政関係、医療関係者は、依然変猫嫌悪を「管理すべき対象」「根絶すべき病」と認識しており、変猫嫌悪発生箇所の管理と、原因の調査を求めている。

 この変猫嫌悪に対する姿勢の相違は、実は既にシビアな水準に達している。
 変猫嫌悪当事者の一部が、変猫嫌悪を「治癒すべき対象」ではなく、むしろ福音として迎えるべく、活動を展開しているのだ。その中心となっているのが、前述のM氏である。
 M氏が取り組んでいるのは、動物ネットワークの通信の解析だ。M氏はこの通信を元に、人間としての通信を築き上げれば、変猫嫌悪と共存することができる、と主張しているのだ。
 といっても、動物の通信は、現在のところ機器等で感知できてはいない。客観的実在すら疑われている。
 そのため、当事者グループが人力で通信を聞き取り、これを記録しようとしている。記録というより、記憶である。
 通信は「モールス信号」のように聞こえるが、一定のパターンがあり、動物の種によって速度や変調が異なる。しかし中核となるメッセージは同一で、訓練することにより聞き取りさらに発声することが可能だと言う。
 通信内容の記憶もさることながら、通信の「再現」にあたっては、音声的な特徴が重要となるため、この発音法の会得も壁となる。しかし、M氏とその賛同者たちは、既にかなりのレベルまで通信の再現に成功していると言い、実際、人間の声とは思えないような不思議な発音の混ざった「通信」を披露している。これは通常の人間の声によって行われているので、変猫嫌悪の経験如何を問わず、聞くことができる。
 変猫嫌悪発生時に当事者が叫ぶ「ヘンビョーケンオ」という音は、実はこの通信を真似ようとしたものらしい。当事者が本能的に通信の重要性を察知し、咄嗟に発声している、というのがM氏の考えだ。
 M氏の主張では、通信の変調方式は種によって異なるため、単純に動物の通信を模倣するだけでは駄目で、人間に適合した方法で発声する必要がある。しかし、訓練すれば十分発声可能であり、通常の速度でおよそ十五分ほどの「賛美のフレーズ」を暗記すれば、ほぼ動物と同様のネットワークを構築できるという。
 「賛美のフレーズ」を繰り返すと、変猫嫌悪の発作を抑制することができる。現時点で、医学会は何ら有効な「治療」法を提供でいていないが、M氏の方法で、とりあえず発作を抑えることができるというのだ。

 さらに、賛同者の一部は変猫嫌悪の素晴らしさを積極的に唱導し、変猫嫌悪の発生箇所、つまり次なる変猫嫌悪を誘発する可能性の高い場所に、敢えて一般の人々を招き入れ、変猫嫌悪人口を増やそうと試みている。これが、政府や医学会との間で最大の問題になっている。
 しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。
 仮にM氏の主張通り、通信パターンの習得により発作が抑制できるとしたら、確かに変猫嫌悪当事者にとっては有効だろうが、敢えて変猫嫌悪の人々をこれ以上増やす意味がどこにあるのか。わざわざ変猫嫌悪になって、その上で抑制する、というのでは、全くの無駄骨ではないか。
「そのご指摘はよく理解できます。しかし、変猫嫌悪というのは、潜在的だった不安が表面化しただけのものなのです。発作は確かに苦しいですが、これはそれ以前からあった問題がハッキリと形になったに過ぎません。顕在化させてくれただけ、むしろ変猫嫌悪は歓迎すべきものなのです。この契機により、わたしたちは動物ネットワークの通信を耳にし、学ぶことができたのですから」。
 しかし、変猫嫌悪当事者のすべてが「通信」を聞くわけではない。
「通信を聞くこと自体が目的ではありません。また、すべての人が直接通信を聞く必要もありません。重要なのは、この通信の重要性を認識し、人間生活の中に取り入れることです。ですから、本当は変猫嫌悪そのものはなくても構わないものです。この契機があれば、より一層通信の重要性が認識しやすくなる、というだけです。変猫嫌悪が一人もいなければ、通信の再生など誰も試みなかったでしょう」。
 それでも、変猫嫌悪の人々を更に増やそうというのは、当事者の驕りではないか。
「それは違います。まず第一に、変猫嫌悪の発生した場所に立ち入ったからといって、すべての人が変猫嫌悪を体験するわけではありません。全く同一の条件でも、体験する人としない人がいます。次に、わたしたちは、無理やり発生箇所に一般の方を連れ込んでいるわけではありません。少なくともわたしは、そうした方法には反対です。賛同者の方の中には、変猫嫌悪普及を急ぎ過ぎている方がいるようですが、わたしはこうした方法を強く諌めています。わたしたちの再現メッセージが十分な完成度に達すれば、人々は進んで変猫嫌悪を選ぶはずです。数は重要ではありません」。

 M氏が主張する変猫嫌悪の素晴らしさとは、要するに何なのだろうか。
「繰り返しますが、変猫嫌悪そのものが重要なのではありません。わたしたち自身も、発作を抑制しようとしているのですから。重要なのは、通信の回復です」。
「通信の意味について、体験していない方にお伝えするのは難しいのですが、簡単に言うなら、『空間を埋める』ということです。変猫嫌悪は猫が空間を埋めることですが、これが発生するのは、逆に言えばそれまで空間が空いていたからです。動物はこの隙間がない。通信が隙間を埋めているのです。それが神の賛美ということです」。
「なぜ人間だけが、通信を生得的に持っていないのか、その理由はハッキリ申し上げられません。実は通信の傍受から、ある程度の推測は成り立っているのですが、断定できる水準には至っていません。一つ確かなのは、わたしたちが通信を持っておらず、尚且つ自らの努力次第で会得が可能である、という、この『可能性』自体が重要だ、ということです。これはあくまで可能性ですから、会得する人もしない人もいる。興味を持たない人もいる。そうした可能性の開き自体が、既にメッセージの一部なのです」。
「一つヒントを申し上げれば、ネットワーク上の動物自身は、神を賛美しているにも関わらず、それが神の賛美だということを自覚していません。皮肉なことに、賛美がデフォルトで実装されていない人間だけが、これを賛美と認識しているのです。人間と賛美は合わせて一つなのです。それができて初めて、動物と同じ水準にわたしたちは達するのです」。

 M氏の主張そのものというより、その賛同者の一部が変猫嫌悪当事者を増やそうとしていることについて、当局は神経を尖らせている。また、一部の変猫嫌悪当事者が、「通信の解析」に没頭する余り、社会性を失っている問題も取り上げられている。
 M氏は語る。
「当事者に向けて強く申し上げたいのは、通信の解析と再現はわたしたちの重要な任務ではありますが、社会生活を犠牲にして良いものではない、ということです。変猫嫌悪は、発作さえ克服すれば、通常の社会生活に何ら支障をきたすものではありません。普通に暮らすことを大切にしてください。発作をなんとか抑制できる程度の発音を習得したら、後は定期的にこれを繰り返すだけでも十分です。社会性を失ってはいけません」。
「一般人を無理に変猫嫌悪へと連れ込むこともよくありません。しかし、わたしたちには、変猫嫌悪を通じて得られたメッセージを伝える義務があります。その最小限の義務を果たす限りにおいて、わたしたちは抵抗します。ただし、それ以外について、徒に争うことがあってはいけません」。

追記:
 上記記述より二年あまりが経過したが、変猫嫌悪は収束を見せている。
 ここ四ヶ月、新たな変猫嫌悪体験者は報告されておらず、変猫嫌悪を誘発するとされた場所に立ち入っても、変猫嫌悪に陥ることがないようだ。また、元々変猫嫌悪を持っていた人々についても、発作が起きなくなっているという。
 その中にはM氏の教えに従い、賛美の通信を習得し発作を抑制した者もいるが、まったく無関係に発作が収まった者もいる。
 一方で、M氏の賛同者は数を増している。多くは変猫嫌悪の体験者だが、変猫嫌悪を一度も体験していないにも関わらず、教えに共感を示し、通信の発声法を練習している人が増えている。絶対数としては依然少数だが、発声の独特の美しさに惹かれた、というものが多い。
 変猫嫌悪発生箇所に一般人を連れ込む行為は抑制され、M氏の注意が行き届いたためか、誘発箇所を特別視する風潮はなくなったようだ。
 新たな変猫嫌悪体験者が現れない場合、彼らの言う「通信」を傍受できる人間はこれ以上増えないことになるが、賛同者たちは特に気にかけている様子はない。
 通信の発声は一日に数回、十五分程度行われるだけで、それ以外は変わった点はなく、賛同者たちの多くは通常の社会生活を営んでいる。通信の内容は、動物と同様に単純な賛美を繰り返すだけで、その他の要素は何もないという。一般人が通信を習得しても変猫嫌悪のような体験をすることはないし、特に何か効能があるわけでもない。
 医学的な研究は続行されているが、その後目立った成果はあげられていない。

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