CK


 その男達に最初に気付いたのは、弟の七回忌の日だった。
 七回忌と言っても、両親と私で墓参し、簡単に食事をするだけだ。ただ、私は正月にも里に帰らないような男なので、弟の命日は両親と顔を合わせる数少ないイベントでもあった。礼服を着る必要もないのだが、友人のいない私は慶事に用いる機会もないので、一応黒いネクタイを締めてみたりした。しかしその日は、春先にも関わらず七月上旬なみの異常な暑さで、私は少し後悔していた。
 一年ぶりに両親と会っても、別段話すこともない。我々は黙って弟の墓石を流した。それだけでも額に汗が吹き出してくる。枯れた花を片付けながら、順に墓前にしゃがんで、祈るような恰好をしてみせる。その間も、私はただ予期しない暑さを呪っていた。
 母が目前で何か念じている時、私はふと背後に視線を感じた。振り帰ると、二十メートルほど向こうで、男が墓石の陰に隠れた。Tシャツ姿の長身の若者だ。じっと見ていると、男はとってつけたように墓の周りを掃き始めた。一見ただの墓参りの男のようだが、私は直観的に何か不穏なものを感じた。それでもその時は、思い過ごしだろうと自分に言い聞かせ、両親と共に霊園を後にした。私には時々、何かを根拠なく思い込んでしまうという習癖があるのだ。

 翌日、私は海へ散歩に出た。私の実家は、海から歩いて三十分ほどの所にある。子供時分を思い出すように、海岸線に沿ってあてどもなくぶらぶらと散策した。海は有名な海水浴場で、夏には芋を洗うような人なのだが、さすがに数人のサーファーが浮かんでいるだけだ。本当なら、季節がら海風が辛い道なのだが、昨日に続いて初夏のような気温で、散歩にはちょうど良かった。サーファーにとっては尚更のようだ。
 散歩中、私はほとんど風景を見ないで空想に耽っている。そのせいで、飛び出してきた自転車などにぶつかりかけることがしばしばある。実際、子供の頃には歩いていて溝にはまったり電柱に突っ込んでしまったことが何度もある。歩行のリズムによる振動は、脳を適度に刺激するというが、私の場合は度が過ぎる。
 その時、突然奇妙な感覚が私を襲った。体液が沸き立つような不吉な感覚だ。昨日墓地で感じた予感めいたものと同じだった。
 立ち止まって周囲を見回すと、道路を隔てて反対側を一人の男が歩いていた。小さなバッグを片手に持ち、Tシャツにチノパンという出で立ちの若者だ。もちろん、昨日の男ではない。こちらに気付いている様子もない。しかし何故か、それが気付いていないフリをしているだけであり、彼が昨日の男と何か関係あるということが、はっきりと感じ取れた。
 私はさりげなく靴の紐を結び直し、男に気付いていることを悟られないようにした。男はそのまま私と同じ方向に歩き続けた。私はそろそろと立ち上がり、道路を隔てて男の斜後ろに位置するように歩き出した。先程までの空想的気分は吹き飛び、私の集中は極度に高まっていた。
 散歩を装いながら、常に視界の隅で男を捉えていた。男は変わらない調子で歩き続ける。
 男はしばらく歩いた後、道路脇の駐車場に入った。私は立ち止まるわけにいかない。視界の切れる寸前に、車のそばで立っている女に、男が何か告げているのが見えた。十メートルほど歩いたところで、駐車場から出た白いカローラが私を追い抜いていった。
 カローラが見えなくなって、やっと私は散歩の演技を止めた。防波堤に寄り掛かり深く呼吸すると、全身から嫌な汗が吹き出してくるのを感じた。私は記憶の糸を手繰りながら、尾行される理由を考えた。何も思い当たらない。私は平凡な語学講師であり、重要な役職に付いている訳でもなく、人から恨みを買う憶えもない。はっきりしているのは、彼等が私を見張っているという事実だけだ。

 次の日、私は新幹線で故郷を離れた。一晩眠ると、不思議と昨日の不安は消えていた。この不安は夢の中の恐怖に似ている。追いつめられ死に瀕し、絶望の淵で感じる恐怖なのだが、目覚めて五分もすると輪郭も定まらなくなる。私は思い込みの激しい性分なのだ。鞄から読みかけの小説を取り出して開いた。車内はエアコンの風が心地よく、私は読書に引き込まれていった。
 発車から三十分ほど経った時だ。駅と駅の中間で、人の乗降もないのに、一人の男が後ろの車両からやってきた。男は私の隣に空いている座席を見つけ、腰をおろした。瞬間、私の体に例の感覚が走った。
 三十過ぎくらいの眼鏡をかけた地味な男だ。Tシャツにジーンズという格好で、会社員には見えない。だからといって、見るからに怪しいという訳でもない。男は私のことなどまるで気にしていないように、マンガ雑誌を開いている。しかし彼が私を目標にしていることは明らかだった。
 私は読んでもいないページをゆっくりとめくった。自然な読書を装い、視線を落とす。一体この男達は何者なのだ。実家の周囲だけならともかく、新幹線の中にまで付いてくる。フランクな格好だけに、余計に不気味だ。とにかくこの場を去らなければならない。しかし走行中の電車から降りる訳にもいかないし、いま立ち上がったら余りにも不自然だ。私はなるべく平静を装い、一定時間ごとに機械的にページをめくり、ひたすら時を待った。
 駅が近付くと、私は努めてゆっくりと立ち上がり、網棚から荷物を降ろした。その時初めて男は私の方を向き、荷物を取りやすいように膝を反対側に寄せた。私は降ろした荷物を抱きかかえ、じっと電車が減速するのを待った。アナウンスが流れると、私は再び立ち上がり、男の前を抜けて通路に出た。去り際に見ると、男はマンガ雑誌に夢中の様子だった。私は早足を抑えきれずにデッキに出て、停車と同時にホームへと逃げ去った。車内とは対照的な、粘るような熱気が私の体を包んだ。
 電車の扉が開いている間、私は男が追ってこないことをひたすら祈っていた。一分にも満たない時間だったが、私は総てのドアに神経を配らせ、乗降客の一人一人を確認した。発車のベルが鳴る。ベルは異常に長い時間ホームに響いていた。
 ドアが閉じると新幹線はゆっくりと加速し、男と共に消えていった。私は途中下車したホームに取り残されていた。
 斜前に立っているくたびれた中年男が、スポーツ新聞を広げた。バッと開く新聞紙の風圧を感じた。新聞を開く音が奇妙に大きく聞こえた。「鳩山兄弟云々」という見出しが目に止まった。その時初めて、私は男達の目的が弟に関係していることを悟った。
 考えてみれば当然の話だ。彼等が付きまとうようになったのは、弟の七回忌からなのだ。彼等は弟を追って、私に行き着いたのだ。こんな当然のことに今まで気付かなかった自分に、少し驚いた。ある考えに集中している時、些細な明白事に盲目になるのはしばしばあることだ。それにしても私は間が抜けている。
 それよりも問題は、彼等が弟の何に興味を持っているのか、ということだ。とにかく、それは私にも関係している何かなのだ。私は心を緊張から解き放ち、見落としのないよう総ての事に考えが及ぶように努めた。

 職場に戻ってからも、男達の監視は続いていた。郷里と私の現在の住まいは、新幹線で二時間以上の距離だ。これだけの広範囲にわたって私の追跡を続けるということは、余程重大な目的があるのだろう。
 加えて、目にする男は毎回違う人間が現れる。決まって二十代から三十代前半の若い男ではあったが、容姿は様々で、普通に見ていれば何の共通項もない男達だ。一人の人間の尾行に多人数を配置できるということは、相当に巨大な組織が背後にあることを示している。
 弟は生前、宇宙の始まりについて研究していた。ビッグバンとか虚数時間とか、そういった話だ。私は物理学の詳しいことは分からない。文学部卒業の語学講師に、量子力学が理解できるわけもない。ただブルーバックス的な、噛み砕いた「理系の話」にはことのほか興味があり、元々SFファンでもあった私は、弟の研究に興味を持っていた。
 正直に言えば、そんな研究の出来る弟を少なからず羨ましく思っていた。私は自分の才覚から結局哲学や文学の研究に向かったが、自然科学への関心を失った訳ではなかった。弟と会う度に、私は研究について尋ねた。弟は文系人間向けに散文化して、研究内容を知らせてくれた。その多くは私の理解の範疇を越えるものではあったが、決して退屈するものではなかった。総合的学力ではそれほど優れていなかった弟が、いつの間にか高度な量子論を語るのに驚いた。知らない間に、私は弟に大きく水をあけられてしまったようだった。
 弟は志半ばで逝った。男達は弟の研究を狙っているのだ。しかし弟が関わっていたのは、数学的な、いわば虚学に属する分野の学問だ。直接実用に供し、利害を生む類いのものではない。それが何故組織の関心を呼ぶのか。依然として謎は残っていた。

 異常な暑さは止まることを知らなかった。七回忌から既に一か月以上が経っていたが、猛暑は衰えることなく春を通り越してそのまま夏に突入してしまった感さえある。テレビでは季節外れの蝉のニュースが流れている。各地で植物や昆虫の異常な行動が報告されている。地球温暖化の影響を懸念する声もあったが、識者は一時的な異常気象だとしてその憶測を退けていた。しかし、これ程持続するものが本当に異常と言えるのか。それは異常を過ぎて一つの恒常となっているのではないか。世界は変わりつつあるのではないか。
 暑さと共に、男達の監視も厳しさを増していった。初めの頃は二三日に一度目にする程度であったのが、次第に毎日、更に一日に数度見かけるようになった。それが私の注意力の向上によるものなのか、実際に監視が増しているのかは、容易には断じれない。しかし、いかに私の神経が研ぎすまされていっているとはいえ、この数の増加は、やはり実質的なものと思わざるを得ない。とにかく、その度に私は監視に気付いていない演技をしなければならなかった。尾行に気付いたら、まず気付いていることに気付かれないようにしなければならないのだ。
 男達は次第に、私の職場や私生活の中にも浸入してくるようになった。ある時は私の学生に混じって男の姿があった。さらに私の学生や同僚が、いつの間にか男達の一味になっていたりした。通勤途中でも多くの男達が私を見張っていたし、アパートの住人の何人かは、組織に取り込まれていた。
 弟の死因は交通事故だ。しかし今となっては、それが本当に事故だったのかどうか疑わなければならない。弟は殺されたのだ。おそらくは組織によって。しかし何の為に。量子論的な宇宙の始まりが、それ程壮絶な抗争を生み出すものなのか。私は宇宙の始まりについていくらか調べたが、私に可能な範囲では何も分かる筈もなかった。かといって、人に助けを求める訳にもいかない。どこに男達が潜んでいるか知る術もないし、周囲の人間を巻き込んでしまうわけにはいかない。このことは両親にも誰にも知られる訳にはいかないのだ。

 監視する男達を逆に観察することで、私は彼等の特徴をいくつか掴みつつあった。一つは年齢的な問題で、以前から察していた通り、極端に若い者や高齢者がいない。
 それから、彼等の服装だ。スーツ姿の会社員風の場合がない。特別奇抜な恰好をしているわけではないが、カジュアルな雰囲気の場合が多い。目立たない服装であることは尾行の上で当然だが、同じ平凡な恰好でも、学生風の変装をしている場合がほとんどだ。
 そしてある時気付いたことは、彼等のシャツに、決まって同じロゴが刻まれていることだ。それは「CK」というアルファベットだった。私は仮に彼等を「CK団」と呼んでみた。それは「死刑」あるいは「私刑」という言葉を連想させた。彼等は私を殺めるつもりなのだろうか。いや、もしそうだとしたらとっくにやっている筈だ。そのチャンスはいくらでもあった。そうでないとすると、「死刑」は弟の虐殺を意味しているのだろうか。いや、そうではない。そうだ。「CK」は弟のイニシャルではないか。彼等は私の弟のイニシャルを胸に刻んで私を狙っているのだ。
 このことに気付いてから、私は男達に対する見方を変えなければならなくなってきた。男達が弟の研究を狙って私を追い回しているのだとばかり考えていたが、もし彼等が弟を奉じるものだとしたらどうなのか。弟は彼等に殺されたのではないことになる。すると弟は誰に殺されたのか。弟を首領とする組織が狙うのが私だとすると、殺人者は私ということになる。馬鹿な。
 確かに私は弟を嫉妬していた部分がある。そして弟の死因には今一つ不明なところが残る。弟が死んだ時、私はしばらくそれを現実のこととして受け止められなかった。不思議と悲しいとも思わなかった。悲嘆に暮れる両親の間で、奇妙な罪悪感に悩まされた。素直に兄弟の死を悲しめない自分が不気味だった。
 葬儀の席で、私は友人の前で泣いた。しかしそれは、葬儀という雰囲気、友人の言葉を失った様子に泣いたにすぎない。いわば私は、弟を失った兄の役を演じていたのだ。役になりきって、絆されて泣いていたのだ。その感情は外からやってきたものであり、私の内から生まれたものではない。私の内面は空虚なままだったのだ。
 だから私は、弟の死を悲しんでいない。その事に自分でも気付いていた。それ故に、私は自分を罪深いと感じたのだ。未だに基本的な所での私の気持ちは変わっていない。私は人間としての正常な感情を欠いてしまっているのだろうか。
 しかし、もし私が弟を殺したのだとすれば、総てに説明が付く。確かに私には弟を殺したという記憶はない。その証拠もない。だが何らかの原因、精神的外傷などでその記憶を喪失しているのだとしたらどうか。事実としての殺人の記憶は失っていても、感情は残り、悲しみを受け付けない。衝撃だけが残り、弟の死は意味を喪失する。いや、それは私の一つの成功として、罪として残る。CK団は弟の死の真相を嗅ぎ付け、七年の歳月をかけてついに私を追い詰めたのではないか。
 ならば何故、彼等は草々に私を始末しないのか。それはやはり、弟の研究が鍵になっているのだ。弟は裏切り者の私に、無意識の内に研究の秘密を託したのだ。私自身の内面、記憶の淵に、弟の研究の秘密が眠っているのだ。それは世界の始まりに関するものであり、同時に大組織を動かす利害の絡むものだ。つまり、世界の始まりと同時にその終わりを解き明かすものであるのに違いない。

 私の生活は、遂にそのほとんどが男達の監視下にあるようになった。一人でいる時でも、テレビやラジオを通じて私を見張っている。私はテレビのニュースの音に、モールス信号のようなものが混じっているのに気付いた。気を付けてみると、それは町中でも時折耳にするものだった。私は勿論、モールス信号を知らないが、その意味する所は分かった。それは私を追い詰め、脅迫する内容だった。同時に、私の脳に埋め込まれた情報を引き出す為の、暗合鍵の役割を果たしていた。
 モールス信号が聞こえる度に、私は耳を塞いでそれを遮らなければならなかった。コードが私の脳に達すれば、途端に秘密は解読され、私の役目は終わる。それは私の生の終わりをも意味している。何故なら、秘宝を受け渡した私は、ただの裏切り者でしかなくなるからだ。そうなれば私が弟同様、事故にでも見せ掛けて始末されるのは目に見えている。いや、弟を殺したのが私だとすると、私は自殺を偽装されるのに違いない。何と言う皮肉か。

 ある日の夕暮れ、私は商店街の電気店でテレビを目にする。テレビは、末期的な異常気象を報じている。農業の大不作と大規模な水不足が予言される。それに混じって、私の脳を切り開くメスのような信号が浸入してくる。空は不気味な紫色にそまっている。その紫を映すように、毒に染まった水が川を流れている。細いドブ川にかかる古い石橋は、商店街の丁度中央に位置し、西と東を分け隔てている。私には声が聞こえる。それは、世界の始まりから終わりを語っている。

 兄は自転車を使って、A町から8キロメートル離れたB町まで毎時12キロメートルの速さで行き、そこで休憩したのち、行きと同じ道を、毎時16キロメートルの速さでA町まで戻ったところ、A町を出発してから1時間30分経過していた。
 弟は兄がA町を出発すると同時に、兄が通る道と同じ道をB町からA町へ毎時4キロメートルの速さで徒歩で向かった。弟は途中で休まない。
 兄と弟が最初に出会うのは、兄がA町を、弟がB町を出発してから丁度30分後のことである。これが兄と弟の最初の出会いである。兄と弟はすれ違う。初めての対面に、二人は互いに抱き締め合おうとするかもしれないが、歩みを止めることは許されない。兄は弟を、弟は兄を、愛おし気に見つめるかも知れないが、長い間互いを見ていてはいけない。二人の向かう先は逆の方向にあるからだ。
 兄と弟が二番目に出会うのは、兄がA町を、弟がB町を出発してから、丁度1時間20分後、兄と弟が最初に出会ってから、丁度50分後のことである。これが兄と弟の二番目の出会いである。兄は弟を追い抜く。二度目の邂逅に、二人は運命を感じるかも知れないが、歩みを止めることは許されない。兄は弟を、弟は兄を、愛おし気に見つめるかも知れないが、兄は長い間弟を見つめていてはいけない。二人の向かう先は同じであるが、兄は弟の先を走るからだ。
 兄と弟が最後に出会うのは、兄がA町を、弟がB町を出発してから、丁度2時間後のことである。これが兄と弟の最後の出会いである。兄は弟を出迎える。しかし兄が弟を抱擁することはない。兄はこの時既に屍となっているからである。弟が兄の屍にすがることもない。弟もB町に着くと同時に屍となるからだ。
 
 黄昏れの空の下を、子供達が駆けてくる。子供達は皆、両手を空に掲げている。油の中を泳ぐように、子供達はスローモーションで橋を渡ってくる。彼等の胸には、CKの文字が刻まれている。商店街の風景が、水に落とした絵の具のように歪んで溶けていく。声が聞こえる。私は初めて自転車に乗った日のことを思い出す。
 
 
初出:単行本『ゴルバチョフ機関』(2003年)
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