「傷がつくのがいやだ」とか言っている人で、ラバーやシリコーンのカバーをつけている人は矛盾に早く気付け。要は綺麗なまま使いたいってことだろうけど、その大変醜いカバーつけてたら綺麗なiPodが見えませんよね(・・・)シリコーンのカバーは使ったことがあるからわかるのだけど、あれは使うにつれてすごい汚くなる。iPodは綺麗なままだけど、カバーは大変汚い。外見が大変汚い。
仰る通りです。
で、ワタクシ、シリコーン製のiPod miniカバーを使っております(笑)。確かに汚なくなっていきます。
何度もカバーなしにしようと思ったのですが、それでも使っている理由は、ステンレスに爪が当たる音が嫌だからです。
正確には、本当に音がするわけではありません。ガラスを爪でキキーッってやるのをイメージすると、別段引っかいてなくても歯茎の辺りが痒くなるでしょう。もしかすると、本当にガラスを引っ掻いても、そんな音はしないのかもしれません。でも、考えるだけでのたうち回りそうになります。iPodのステンレスも、そういう音がしそうでならないのです。
実際はしなくても、恐ろしくて手に取れなくなりそうです。
ちなみに、本もほぼ常にブックカバーをしていますが、こちらの第一の理由は、単に読んでいる本を見られたくないから。また、ブックフェチなので、人に本を触られるのもできるだけ避けたいです。
webで本を買うとカバーが付いてこないので、使い終わったカバーを再利用しています。
語学の教科書などになると、通読して終わり、ということにはなりませんから、汚れてボロボロになっていきます。
それでも、セロテープで補強して頑張ります。この頃になると、汚れが自分の努力の結晶のように思えてきて、愛着が沸いてきます。見られたくないとか、触られたくないとかいった初期の理由は忘れ去られ、汚いブックカバー自体が重要になってくるのです。
傍から見ると貧乏くさいだけでしょうが、そうして忌避されることがむしろ快感です。わたしの大切な教科書が、誰にも侵されないで済むじゃないですか。
汚れたカバーで頑張れば頑張るほど、身についている気がしてきます。野球の選手なんかがヒゲを剃らないで願をかけているのと一緒です。実際、遂に紙の物理的限界を超えて外すときには、大いに上達しているものです。
もちろん、別にカバーが汚れたから動詞の活用を覚えられたわけではありませんが、そう信じて勉強した方が楽しいし、モチベーションも維持し易い気がします。
受験の時に使った単語集なども、セロテープ補強状態のまま、未だに部屋に持っています。
iPodの汚いカバーも、似たように考えれば値打ちが出てくるかもしれません。
なぜiPodにカバーをつけるのか? 神の御許に行くためです。
わたしがiPodで聞いているのは、アラビア語:音楽:クルアーンが6:3:1くらいなので、ものすごい宗教的なiPodです。
そう、汚いカバーをつけるのは、貧しくてiPodを買えない人と気持ちを分かち合う、ラマダーン的な意義があるのです。というか、未だに第一世代iPod miniを使い続けているわたしが貧者ですが・・。

iPodラマダーン

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