岩波イスラーム辞典を安く買う

4000802011 岩波イスラーム辞典
大塚 和夫
岩波書店 2002-02

 やっと買いました。『岩波イスラーム辞典』。
 欲しくて欲しくて、もう何ヶ月も買おうか、来月にしようか、グルグル回った挙句、ようやくご購入です。
 イスラーム関係の辞典はいくつかありますが、書店で手にとっても、レビューをチェックしても、『岩波イスラーム辞典』こそ定番中の定番であり、本当に値打ちのある本なのだ、ということはわかっていました。
 でも高い(笑)。
 『エクリ』邦訳全三巻2万超に比べればお手ごろですし、美容にかけているコストをほんの少し辛抱すれば済むことなのですが(笑)。貧乏性なので、「通読しなきゃ」とかいうよくわからない強迫観念に取り付かれそうで恐ろしいです。
 アマゾン・マーケットプレイスに安い出品があったので、やっと重い腰が上がったわけですが、これは本当に素晴らしい!
 というか、この内容でこの値段は安すぎます。ぼんやりめくっているだけでも実に楽しいです。
 一つだけ難点を言えば、アラビア語の用語もラテン文字表記されていることでしょうか。できればアラビア文字表記と併用して欲しかったです。
 ラテン文字表記だと、漢字がローマ字で書いてあるようで、直観が妨げられる感じがします。でもこの発想はかなり「漢字文化圏的」で、当のアラブ人はずっと音声中心的なのかもしれません。
 アラビア語のラテン転写やアラブ人名のラテン表記が混乱を極めている一因には、本人たち自身が、どこか「音さえ合ってれば何でもいい」的なことがあるような気がします・・・。

 ちなみに、辞典というとR・シェママの『精神分析事典』も素晴らしい「お買い得商品」で、わたしの中では『岩波イスラーム辞典』と「二大ステキ辞典」な位置づけです。両方持っている論理積な人は無意味にレアだと思いますが・・。

 全然関係ないですが、辞典の「無敵感」と雨の日の長靴はちょっと似ています。

『ムハンマド―イスラームの源流をたずねて』小杉泰

4634490102 ムハンマド―イスラームの源流をたずねて (historia)
小杉 泰
山川出版社 2002-05

 小杉泰先生によるムハンマド伝。読み物としてはムハンマド伝としては、以前にご紹介した鈴木紘司さんの『預言者ムハンマド』の方が面白かったですが、『預言者ムハンマド』がムスリムによる預言者伝なのに対し、『ムハンマド―イスラームの源流をたずねて』は非常に「日本人的」な視点によるもの。イスラームについての予備知識がなく、距離をおいて眺めたい時には、こちらの方が入りやすいのかもしれません。

実際にイスラーム世界のどこかに滞在してみるとわかることであるが、「ムスリムはアッラーを信じている」という表現は適切ではない。彼らはアッラーが実在することを前提に暮らしているのである。それは、私たちが空気が存在するのを自明視している程度に、自明なこととみなされている。(・・・)
しかし、日本人の目から見れば、そうではない。唯一神の実在は、理念であると思える。私は言う――だから、理念は人間にとって現実なのである、という観点からそれを見るべきだ、と。友情が現実だと思うのであれば、同じように、唯一神や預言者が現実でありうると考える必要がある。

 それゆえにこそ、神様を信じることは、始まりであって終わりではないし、問いであっても答えではないのです。
 少なくとも、わたしにとって、神様は「発見したもの」「出会ってしまったもの」です。出会いは解決ではありません。それどころか、大いなる問いの始まりにすぎません。
 「一体これは何だ、この身体に張り付き、一瞬も離れることのない、世界そのものとは!」。

死後の生は信じるが、死んだ後のことなど知らない

ハーリジャ・ブン・ザイド・アル・アンサーリーによると、預言者に忠誠を誓っていたアンサールの女、ウンム・ル・アラーゥは語った。アンサールがムハージルーンの住まいについてくじを引いたとき、ウスマーン・ブン・マズウーンが当り、彼は私たちの元に留まることになったが、しばらくして病気にかかり、看病の甲斐もなく遂に死んだので、私達は彼を衣に包んで葬った。このとき神の使徒が私たちのところに入って来たが、私は死者に向かって「アブー・サーイブよ、アッラーがあなたを憐れみ給うように。そしてアッラーがあなたを栄えあるものとされたことを私は証言します」と呼びかけた。すると預言者は「アッラーが彼を栄えあるものとされたとどうしてわかるのか」と尋ねたので、私は「神の使徒よ、私にはわかりません」と答えた。そこで彼は「ウスマーンはもう死んだので、彼の冥福を祈るのだが、わたしは一介の神の使徒の身、アッラーが彼に何をなさるか、わからない」と言った。これを聞いてわたしは非常に悲しく思い、それ以後決して死者を褒め讃えることをしなかった。ところである晩、私は夢でウスマーンがこんこんと湧き出る泉のほとりにいるのを見たので、これを神の使徒に話した時、彼は「それは彼の行いの賜物だ」と言った、と。
(ブハーリーのハディース)

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では、お前の家族に食べさせなさい

アブー・フライラによると、彼が預言者のもとにいたとき、一人の男がやって来て、「私はもうだめです」と言ったので、預言者が「それはまた、どうしたのだ」と尋ねると、男は「断食中、妻と交わってしまいました」と答えた。そこで預言者が「お前は自由の身にしてやれる奴隷を持っているか」と尋ねると、彼は「いいえ」と答え、「では二ヶ月間続けて断食できるか」と尋ねると、「いいえ」と答え、さらに「六十人の貧者に与える食べ物があるか」と尋ねたときも、「いいえ」と答えた。預言者はしばらくじっとしてたが、このとき、なつめやしの入った大きな籠がもたらされると、彼はその男に「これを持って行って、その中から施しなさい」と命じた。するとその男は「これを私より貧しい人に与えるべきでしょうか。神かけて申しますが、メディナの二つのハッラの間に私の家族より貧しい家族は居りません」と言った。これを聞いた預言者はからからと笑い、「では、これをお前の家族に食べさせなさい」と言った。
ブハーリーのハディース 断食の書 牧野信也訳より)

アブー・フライラと猫、犬のハディース

4061492101 イスラームとは何か―その宗教・社会・文化 (講談社現代新書)
小杉 泰
講談社 1994-07

 かなり今さらですが、読んでいなかったので読みました。小杉泰先生の『イスラームとは何か―その宗教・社会・文化』です。
 「イスラーム入門新書」系で最も売れている本の一冊だと思いますが、実際非常にバランスが良く、イスラームについてまったく知識のない人でもすんなり入っていけます。
 イスラーム概説のような同じテーマを色々な著者を通じて読んでいると、内容とは別に研究者のオーラを感じられて面白いです。小杉先生からは「大きくて優しそう」な印象を受けます。ちなみに、わたしが勝手に同じような優しさを感じているアラブ・イスラーム関係の先生に、もう一人本田孝一先生がいらっしゃいます。
 『イスラームとは何か』での個人的な最大の収穫は「アブー・フライラ」でした。ハディースの七教友の一人で、ハディースを読むとこれでもかというくらい名前を目にします。「夜の三分の一を睡眠、三分の一を礼拝、三分の一を学習に充てた」というエピソードが有名ですが、この名前が「仔猫のお父さん」という意味だということに、恥ずかしながら本書で初めて気づきました(ハディースは翻訳でしか読んでいないです・・)。
 猫はhirratunですが、アラビア語には指小形という「かわいいもの」を表す形があって(ロシア語などにもあったと思う)、○u○ay○unという母音構成になります。hirratunをこの形に変形すると、hurayratunになり、最後のtunは発音されないのでhurayraだ!と気づいて、すごく嬉しくなりました(「アブー」はお父さんの意)。英語圏ではAbu Hurayra, Abu Hurairahなどの表記が見られます。
 子供の頃の猫好きっぷりから「猫オヤジ」とあだ名され、そのまま千年以上の未来にまで伝えられてしまっているわけです。
 アブー・フライラのみならず、預言者本人も猫好きで知られていて、一般にイスラームは「猫贔屓」です。ハディースには、猫を閉じ込めて餓死させた女が地獄に落ちるお話があります。
 それに比べると犬はボロクソな扱いなのですが、犬をポジティヴに扱っている貴重なハディースに、正にアブー・フライラ伝によるこんな一節があります。
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日本人ムスリムによるムハンマド伝『預言者ムハンマド』鈴木紘司

4569693644 預言者ムハンマド (PHP新書 (475))
鈴木 紘司
PHP研究所 2007-08-11

 日本人ムスリム鈴木紘司氏によるムハンマド伝。
 護教論的なところや説教臭い部分がやや鼻にはつくものの、意外と言っては失礼ですが、今まで読んだムハンマド伝の中で一番カジュアルで面白かったです。
 著者がムスリムであるアドバンテージというと、「当事者にしか知りえない」「当事者ならではの」視点を考えがちですが、むしろ非ムスリムの研究者が書いた場合の「こういう言い方は失礼になってしまうのではないか」という遠慮から解放されている点が大きいでしょう。何でも当事者というのは、当事者ならではの足枷がある一方、特権的な立場にいます。多少ぶっちゃけな話をしても「当の本人が言っているのだから・・」と批判から身を守れる効果があるわけです。
 ムハンマド伝ではありますが、印象的なのはむしろその周囲の教友、そしてライバルたちです。イスラーム本を読んでいれば何度も目にしたことのある人物がほとんどですが、ただでさえも覚えにくいアラブ人の名前、研究書で触れると今ひとつ記憶の定着がよろしくないです。こうして生き生きとしたエピソードを交え物語風に語っていただけると、「ウマルいいヤツだけど暴れすぎっ」(スイマセン)と、心に住み着いてくれます。主な戦役には陣地の図解まで付いています。
 おそらく、こうした初期イスラーム物語(ハディースを噛み砕きに噛み砕いたようなもの)は、キリスト教文化圏の人間なら特段宗教熱心でなくてもアブラハムやヨセフやヨナと馴染みなように、イスラーム文化圏の人々にとっては知識以前の共有文化なのでしょう。日本人にとっての桃太郎のようなものです。
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イラク、疑心暗鬼の罠

4004308712 イラク 戦争と占領 (岩波新書)
酒井 啓子
岩波書店 2004-01-22

 『イラクは食べる』をご紹介した酒井啓子さんの前著、『イラク 戦争と占領』です。時間を遡って敢えて手に取りました。
 2004年の著作で、テーマがテーマなだけにマーケットプレイスなどで買い叩かれていますが(笑)、時事的なテーマの本を少し時期を外れて読むと、思わぬ発見があって面白いものです。時事ものといっても、わずか四年前。時系列を追って再整理する上でも十分有用です。
 読み物としては、『イラクは食べる』より楽しめます。『イラクは食べる』が諸勢力の動静を追うことに終始してしまっているのに対し、『イラク 戦争と占領』の特に前半は、イラク戦争に向かっていかに事態が悲劇的に展開していったか、劇的かつコンパクトにまとめられていて、ノンストップで読み進められます。
 後半はやはり諸勢力の整理に割かれている傾向が強いのですが、それでも『イラクは食べる』より見通しが良いのは、イラク情勢がこの四年で更なる混沌へとはまり込んでしまった、ということなのでしょうか。
 『イラクは食べる』にも続く視点ですが、酒井氏が強調するのは「どっこい社会は生きていた」というポイントです。悪辣な独裁者を放逐すれば、社会に空洞が生じ、亡命イラク人を巧みに操ってアメリカ好みの世俗的「民主国家」を樹立できるだろう。そうした目論見は、「解放」後にあからさまになった社会的靭帯の強さ、壊滅的混沌を少しでも自らの手で収拾しようとするイラク人たちの(時に過剰なまでの)自主性によって、見事に打ち砕かれます。

 個人的にとても気になったのが、疑心暗鬼に囚われていく末端のアメリカ兵の姿です。
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『恋するサウジ』、人情の辛さ、処刑されるための旅

4046210915 恋するサウジ―アラビア最近生活事情
郡司 みさお
角川学芸出版 2006-11

 サウジアラビアの歴史や思想、社会構造についての本はいくらか読んでいたのですが、この郡司みさおさんの『恋するサウジ』は、サウジアラビアに赴任したご主人と共に渡航した「赴任妻」の視点から描かれた、極めてカジュアルな「今時のサウジ」本です。サウジの見所や注意点などもかなりぶっちゃけに書いてあるので、旅行者にもかなり便利だと思います。
 普通だったらあまりわたしの手に取るタイプの本ではないのですが(逆に言えば、普通の旅行好きお姉さんにはウケるはずw)、購入したキッカケは、最近サウジの女の子と「文通」しているからです。
 それまでのわたしのサウジイメージは「二大聖都を抱え、厳格なワッハーブ主義を掲げる宗教国家」「でも世界最大の産油国、大金持ちのレンティア国家」「親米路線と伝統派への懐柔などの矛盾が、一部で過激な『原理主義者』を生み出す温床を作ってしまった」「出稼ぎ労働者に依存する歪んだ構造、貧しい他のアラブ諸国から来た労働者に評判が悪い」等々、いずれをとってもちょっと眉間に皺が寄りがちな小難しい「外側からの」ものでした。
 ところが、彼女は至って普通の18歳の女の子で、ワッハーブがどうたらイスラエルがどうたらといった話題はまったく出ません。宗教の話も政治の話も一度もしたことがありません。「この映画面白かったよ!」とか、アラブの詩や日本の歴史について、他愛もないお喋りをしているだけです。彼女は日本にとても興味を持っていて、「日本の歴史の本を読んだけれど、とってもエキサイティング! 豊臣秀吉かっこいい!」というメールも頂戴しました(やり取りはほぼ英語、一部片言の日本語と片言以下のアラビア語)。サウジアラビアの女の子から豊臣秀吉の名前を聞くとは、想像もしたことがありませんでした。
 というわけで、小難しい話はちょっと脇によけて、もうちょっと「フツーのサウジアラビア」を知りたいな、と思って読んでみたのが、『恋するサウジ』でした。
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『シーア派―台頭するイスラーム少数派』桜井啓子

4121018664 シーア派―台頭するイスラーム少数派 (中公新書)
桜井 啓子
中央公論新社 2006-10

 前にご紹介した酒井啓子さんの『イラクは食べる』に言及があったので、手にとってみました。なんだかこの手の「イスラーム系お手軽新書」は目につくととりあえず読んでいる気がするので(笑)、前から気になってはいたのですが、シーア派の誕生から現代イランの抱える苦悩まで、平易にまとめられた良書です。マーケットプレイスでも値段が下がらないわけです(笑)。
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聖俗二元論こそ政治と宗教を癒着させる

4061498320 「イスラムvs.西欧」の近代 (講談社現代新書)
加藤 博
講談社 2006-03

 以前に『イスラム世界論―トリックスターとしての神』をご紹介した加藤博氏による近代エジプト思想史。
 「イスラムvs.西欧の近代」などという安っぽいタイトルを付けられてしまっていますが、実際の内容は日本で言えば幕末から明治に至る時期における、エジプト人思想家を取り上げたものです。ナポレオンの東方遠征時代の歴史家ジャバルティー、近代教育を受けた行政官僚アリー・ムバーラク、後のイスラーム復興にも多大な影響を与えた知の巨人ムハンマド・アブドゥが主題ですが、関連して何人かの思想家も紹介されています。日本と一緒で、「外圧としての近代」に出会った時代というのは、飛びぬけた人物が活躍するものです。
 特に興味深かったのは、アリー・ムバーラクが小説『アラム・アル=ディーン』の中で、主人公の口に語らせている「聖俗二元論こそ政治と宗教を癒着させる」という議論。
 『アラム・アル=ディーン』は、アラビア語では最初の対話形式の小説で、主人公はアズハル学院のシャイフ。イギリス人オリエンタリストの求めに応じ、長男と共にヨーロッパに渡ったアラム・アル=ディーンが、旅先で出会う人々と語り合う、という形式となっています。
 アラム・アル=ディーンは、「イエスは神の化身である」という信念をヨーロッパ人が主張するのは、ローマ教皇権と教会の力を維持したいからではないのか、と批判します。三位一体説とは、地上に「神の領域」が現れうる、という考え方です。イスラームにおいてもイエスは預言者の一人ですが、預言者はあくまで人間であって、神の子供でも何でもありません。それを神聖化するのは、「聖別化された領域」を認め、聖職者を特権化するためではないか、と言うのです。
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