新宿駅東南口のストリート・ミュージシャン

 サイトに予告があったので、藤田一道さんを見に新宿駅東南口へ。
 時間は過ぎているものの、演奏は始まらず。すぐそばで演奏しているバンドに遠慮して(?)、終わるのを待っているらしい。
 ようやく始まろうとしたところで、警察官二人が。通報があったらしく、撤収を求められる。
 しかし警察官も威圧的な雰囲気ではまったくない。「ごめんねぇ。いや、こっちも一応取り締まってるって風にしないとさ、具合が悪いから」。お互い勝手を知ったもの同士、という様子。
 撤収の準備を始める藤田さんに話しかけてみると、わたしのことを覚えていてくれている。
 階段を登り、東南口すぐの場所に移動。そこでは別のストリート・ミュージシャンが準備をしていて、藤田さんとも顔なじみの様子。彼らの演奏後、少しだけやらせて欲しい、というショバ交渉。先ほどの警察官とのやり取りといい、ビデオカメラを持ってきて「取材」すれば良かった、とも思う。
 先客のバンドのギタリストが、曲を弾くともギターと戯れるとも言えない調子で、音を出し始める。藤田さんも横でハーモニカを吹いている。

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藤田一道、「例外」、空へ帰るゴミ

 先日ストリート・アーティストの藤田一道さんのことを書きましたが、いきなり購入したディスク『違う』収録の「例外」という曲がすごく気に入っています。
 例外というと、throwしたりcatchしたりする方ばかり考えてしまいますが、ラブソングらしくないこのタイトル、そして歌詞が素晴らしい。「例外」という冷たい言葉の選び方、そこへの向かってジワジワ上り詰めていく展開、一瞬だけ裏返る声、セクシーです。
 海の向こうの千年前の詩を七転八倒しながら読む割に、日本語の歌の歌詞をあまり聴かない、というか日本語の歌自体ほとんど聴かないのですが、この歌詞は興味深いです。

優越感も薄れてきた頃
気がついたあなたの浮気性
八方美人を地で行く人ね
悪びれる素振りも見せずに
(・・・)
教えて私は
あなたの 恋人でしょう

 誰にでも優しい彼氏に対し、彼女が自分の位置づけ、存在を問いかけます。「あなたにとってわたしは何か」を問いかける歌です。
 彼女は最初「恋人」という言葉を選びますが、飽き足りません。「わたしにとってあなたは『恋人』、あなたにとってわたしは『恋人』」。当たり前です。この言明は正しいですが、彼女が求めているのはそうした「客観的な正しさ」ではないのです。ですから、ここでの「あなた」は、「わたし」と「あなた」と「それ以外」によって構成される世界全体の中の「あなた」ではありません。「それ以外」から見て妥当な回答が彼女を満たさないのは、「あなた」が「それ以外」を容れる余地のない全体性だからです(「あなたがすべて♪」)。
 次に彼女は「特別」という言葉を選びますが、それでも満足しません。フェラーリは「特別」な車かもしれませんが、車は他にも沢山あって、その中の「特別」に過ぎません。「特別」などという形で「それ以外」にもわかるような印を、求めているのではないのです。むしろ「客観的」な認識を拒み、そうでありながら「誰が見ても明らかな」印が欲しいのです。
 もちろん、そんなものを言葉に表すのは不可能です。ここでの彼氏は世界の全体性ですから、この問いは「世界にとってわたしとは何か」と言い換えられます。この「世界」は、「わたし」自身を含む全体です。単に「みんなの意見」ではありません。一票入れる方に自分も回るなら、評価対象としての「わたし」は一回オフにしないといけません。オフにしてしまったら、今度は投票結果がわかりません。でも、「全体」の答えを得るには、一瞬でもオフにしないわけにはいきません。つまり、自分自身をオフ=物質にして、賭けてしまう必要があるのです。
 この歌の中で、彼女が見つけた答え、つまり「何でもないもの」は、「例外」という言葉です。
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弾き語りギタリスト藤田一道さん@新宿駅東南口

 ストリート・ミュージシャンが大好きですが、生音原理主義者なので、どうもアンプを使っている人たちに惹かれません。
 楽器によってはアンプがないとお話になりませんし、まして新宿駅前のような喧騒ではどうしようもないとは思うのですが、電気の力に頼っているのがどうもストリートらしくない気がしてしまうのです。脇で発電機が唸っていたりしたら、演奏がどんなに素晴らしくても即スルーです。
 最近はオケを流して歌っているボーカリストなどもいますが、「路上カラオケかっ」とツッコみたくなります。まぁ、別に路上でカラオケしちゃいけない理由もないですし(法的にはあるかもしれない)、どんどん好きなだけ歌ったら良いとは思いますけれど。
 そんな「アンプ嫌い」で、今ひとつ「歌もの」に惹かれないわたしが、アンプの上に座って弾き語りするストリート・ミュージシャンに足を止めてしまいました。藤田一道さんという方です。

弾き語りギタリスト藤田一道さん@新宿駅東南口
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『オナニーマスター黒沢』と眼差し、ホルバイン『大使たち』

 『オナニーマスター黒沢』(原作 伊瀬カツラ 漫画 YOKO)というweb漫画を読みました。
 タイトルから容易に想像できる通り、少年マンガ独特の「キツさ」もあるのですが 、とてもよく構成された作品でした。
 放課後の女子トイレでこっそり自慰にふけることを生きがいにする中学生、黒沢。ある日この秘密をいじめられっ子女子の北原にバレてしまい、それから北原に横暴な「取引」を持ちかけられるようになる。それは北原に代わり、ある手段を使っていじめっ子たちに「復讐」することだった・・というお話。
 やっていることは明らかな変態的・犯罪的行為なのですが、少なくとも漫画で描かれる黒沢は「いじめられ」的な存在ではなく、常にメタ的な視点から物事を見ている、良く言えば人と群れない、悪く言えば気取った協調性のないタイプ。クールな黒沢がそんな秘密を握っているなど、誰一人想像していません。
 北原と黒沢の会話は、トイレのドア越しを基本にしています。いくつかの根拠から、北原は「そこ」に隠れているのが黒沢だということを、見抜いてしまうのです。「黒沢くんなんでしょ?」「返事をしないということは、黒沢くんなのね」「いいわ、そのまま聞いて」。
 これは典型的な「世界を覗き見る主体」の構造です。黒沢は別段覗きをしているわけではありませんが、狭い個室に籠って、相手からは見えない位置から世界を「見て」いる。「わたし」は不可視化し、世界は風景としてある。彼の内言の多い性格にも、これが表れています。黒沢への同一化が促されるのは、主体とは「黒沢的」なものだからです。
 しかしやがて、この関係が逆転する時が来ます。
 以下、「ネタバレ」も含まれるため、本編をご覧になってか、覚悟の上でお読み下さい。
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『大日本人』松本人志

B000W05NUK 大日本人
松本人志

 友人に薦められて見ました。
 今ではお笑いというものをまったく見なくなりましたが、松本人志は大好きです。ダウンタウンが有名になりかけた頃の勢いは凄かったです。
 評価が分かれる作品だと思いますが、少なくとも前半については十分正しく映画になっています。
 「伝統職人としてのウルトラマン」のような役割を受け継ぐ松本人志。今では省みられることもなく、むしろ冷たい世間の風を浴びる「大佐藤」。妻との別居、跡取問題、祖父の介護問題など、余りにも世知辛い日常を、取材カメラの視点が追っていきます。
 この手法や、描かれる「どうにもならなさ」、「電変場」と呼ばれる変電所のような施設の風景、仰々しくも形骸化した儀式など、美しく映画的です。しかし、後半になって松本は、この映画的構造自体を自ら壊していきます。
 後半部について酷評する声を聞きますし、実際わたしもあまり良い印象は抱きません。
 でもおそらく、松本人志はそう評されるのをわかって、あえて「作品」としてのまとまりをオシャカにしてしまいたかったのでしょう。「映画」になってしまうのが鬱陶しかったのだと思います。
 結果として、松本人志のテレビ的ファンにも映画ファンにもウケない作品になってしまったところはありますが、それも松本人志らしいと言えば松本人志らしいです。
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『迷子の警察音楽隊』 前線、入植地、新浦安

 『迷子の警察音楽隊』を見てきました。

B0016G2U6E 迷子の警察音楽隊
サッソン・ガーベイ カリファ・ナトゥール ロニ・エルカベッツ
Nikkatsu =dvd= 2008-06-13

文化交流のため、イスラエルにやって来たエジプトのアレキサンドリア警察音楽隊のメンバー8人。しかし、空港には迎えもなく、団長(サッソン・ガーベイ)は自力で目的地を目指すが、なぜか別の街に到着してしまう。途方に暮れる彼らを、カフェの店主ディナ(ロニ・エルカベッツ)がホームステイさせてくれることになり……。

 祖国でもお荷物扱いされているらしい警察音楽隊。頑固一徹の隊長、音楽を愛しながらも生活のために淡々と任務をこなす老隊員、「五年も警察学校に通って砂漠で演奏か」とナンパにしか興味を示さない若い隊員。
 八人が迷い込んだのは、イスラエル辺境の入植地。オモチャのようにそっくり同じ形の住宅だけが並ぶ活気のない街で、小さな食堂を営む男勝りだけれどどこか色っぽい女性に、一晩の宿を頼ることになります。八人が冴えない「音楽隊」なら、古いエジプト映画のロマンスに焦がれながら婚期を逃してしまった女性、店を手伝う童貞のイスラエル人男性、一年も失業中で食堂で暇を潰しては夫婦喧嘩ばかりしている男も、皆「パッとしない」面々です。そんな言葉も通じない「普通の人々」が、一晩のロマンスを繰り広げる、というお話。
 リアル・エジプト人を知る人に言わせれば「あんな上品なエジプト人はいない」という通り、八人は(ナンパな若者を除いて)無口で大人しく、あまり「アラブ人らしく」はありません。きっとイスラエル人だって、あんな風ではないでしょう。
 ではつまらなかったのかというと、期待通りにちょっと幸せになれるとてもステキな映画でした。
 この作品はフランス・イスラエル合作なのですが、あくまで「かわいいフランス映画」。「アラブ映画」ではありませんし、素朴なオリエンタリズムが大いに映り込んでいます。
 それでも良い映画であることには変わりありません。アラビア語を学ぶ人間には、アラビア語の響きも楽しめるオマケつき、ということです。台詞の七割方は(下手くそな)英語、残りがアラビア語と現代ヘブライ語です。
 最高なのは、何といっても若いナンパなエジプト人。バス路線を尋ねてくるよう隊長に命じられ、「英語は苦手なんだよ」と渋っていたくせに、いざ美人を前にすると持てる英語力を駆使して口説きだします。辺境に迷い込んでしまったのもこのナンパエジプト人のせいなのですが1、女性を前にすると舞い上がって何もできなくなってしまうモテないイスラエル男にナンパ指南をしたり、最後まで憎めない役回りです。

 そんな「ちょっと心温まる」ストーリーと同時に、改めて印象的だったのが、入植地の風景です。
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  1. アラビア語にpの発音がないため、bとpを聞き違えたのが原因のようです []

『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』 ノイズと完全な視覚

B000FQWH14 エリ・エリ・レマ・サバクタニ

 「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」1。神様ファンがこの言葉を見つけて、黙って通り過ぎる訳がありません。
 パッケージを手にとって見ると、監督青山真治、浅野忠信主演、そして中原昌也さんが音楽と共に出演。こんなどう転んでもハズレない作品に、三年間も気付かなかったなんて・・映画館で見たかった・・・。

西暦2015年。世界中で正体不明のウィルスが蔓延していた。“レミング病”と呼ばれるそのウィルスは視覚映像によって感染し確実に死に至るというものであった。人々は不安に怯え、絶望感に満ちていた。そんな中、病気の進行を抑制するといわれる唯一の方法が発見される。それは、2人の男、ミズイ(浅野忠信)とアスハラ(中原昌也)が演奏する“音”を聴くこと。やがてその噂を耳にした老富豪(筒井康隆)が彼らのもとを訪ねてくる。息子夫婦をレミング病で失い、たったひとりの跡取りとなった孫娘ハナ(宮崎あおい)までもが病に侵されているという。愛する孫娘の“死”を止めるため、彼らに演奏を懇願する老富豪。意を決したミズイはハナをある場所へと導くが…。

 「レミング病」は、もちろんレミングの集団自殺から来た名称。つまりこれは、自殺を促す病気です。
 一日で四回見ました。
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  1. 「主よ、主よ、なんぞ我を見捨て給うや」。イエスの最後の言葉とされる。 []

『ジャーヘッド』

B000M7XQ2U ジャーヘッド
ジェイク・ギレンホール ジェイミー・フォックス ピーター・サースガード
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン 2007-04-01

 何気なく見始めたのに、吸い込まれて目が離せなくなりました。従軍兵士たちが丁度同世代ということも、魅力的だった理由の一つかもしれません。
 湾岸戦争を舞台にした、「戦わない戦争映画」。
 あるのは頭をカラッポにさせる訓練と、粗野な男たち同士の諍い。砂漠に赴いてもひたすらに待機が続く。
 半年待って開いた戦線でも、一発も撃たない日だけが過ぎていく。
 死体写真家の釣崎清隆さんが、インタビューで「基本的に戦場っていうのは暇な場所なんだよ」と仰っていたのを思い出しました。

 わたしは、戦争というのは穴を掘らされることだと考えています1
 自衛隊に入ると、まず穴を掘る訓練をさせられる、と聞きます(本当かどうかは知りません)。
 掘って掘って、それから掘った穴を埋める。
 多分、戦争ってそういう感じだと思います。

 犯罪は楽しい。
 人殺しも、多分、結構楽しい。
 でも戦争は最低だ。会社より学校より主婦どもの公園より最低だ。ナカマとトモダチがいる限り。

  1.  この辺は「『誇りを持って戦争から逃げろ! 』 中山 治」に書きました []

ナシール・シャンマとウードの標準化

 「アラブの音を聴け」で常味裕司さんのウードを初めて聞かせて頂いた(というか初生ウード)のですが、アラブ音楽素人にとって一番有名なウード奏者と言えば、ナシール・シャンマ
 常味さんには失礼なのですが、ナシール・シャンマの圧力は確かに尋常ではないです。
 のんびりした「民族音楽」なイメージでは全然なく、「イングヴェイ・マルムスティーンかっ」な超絶テクを見せてくれます。


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カフルーシャはリアル”Be kind rewind”だ!

 アラブ映画祭2008で『満開(満月)』『VHSカフルーシャ~アラブのターザンを探して』『サービス圏外』を見てきました。
 最大のお目当ては最初のエントリで書いた『VHSカフルーシャ~アラブのターザンを探して』だったのですが、予想通り、というか予想を遥かに上回る凄い作品でした。
 チュニジアの自主制作映画野郎カフルーシャを追ったドキュメンタリなのですが、「こんなオッサンが本当にいていいの!?」という迫力。これ、ほんとにドキュメンタリなんですよね?
 「映画監督」カフルーシャは、普段はペンキ屋さんの45歳1。アメリカ映画をこよなく愛し、映画好きがとまらず自作自演のビデオ映画撮りまくっている熱い男です。
 その熱さが、とにかく尋常ではないのです。『VHSカフルーシャ~アラブのターザンを探して』劇中で、クリント・イーストウッドへの愛を語るシーンがこれ。

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  1.  ちなみに、わたしはひと夏ペンキ屋さんでアルバイトをしたことがありますが、ペンキを塗っているとシンナーのせいか結構ハイになってきます。わたしをそのアルバイトに入れてくれた先輩は本職顔負け、というかほとんど本職としてペンキを塗っていたのですが、どことなくカフルーシャに勢いが似ています。
     さらに余談ですが、ペンキ屋さんというのは結構セキュリティの要求される仕事です。ヤンキーが夜中にシンナーを盗みに来るので。 []