ネイキッド・スナイパー

 その家では女性数人が共同生活を営んでいて、シェアハウスのような形になっている。住人の一人であるMさんは、フェミニズムの活動家でもあるけれど、別段思想的な理由で集まっている訳ではない。単に家賃を安く浮かせるために、一緒に住んでいるのだ。
 家の一室、三畳ほどのとても狭い部屋が、狙撃用に使われている。薄暗いなにもない部屋の壁に、横に細長く切り込みが入れられていて、そこからライフルの銃身を覗かせる。スナイパーたちが三四人ほど、腹ばいに寝そべって並んでいて、ライフルを構えて一様に細い銃眼の向こうを見つめている。
 普通のマンションの一室だけ、暗がりの中でプロジェクターで映画を上映しているかのようだ。銃眼の向こうがどの戦場なのかは、よく分からない。
 交代の時間になり、別のスナイパーに代わってわたしが床に腹ばいになる。長いスナイパーライフルを構えて、遥か遠くの風景に狙いを定める。
 とはいえ、本当のところ狙いが何なのかはよく分かっていない。まだ新入りのスナイパーなのだ。質問が許される空気でもなく、今はただ黙々と銃を構えて、そのうち狙いが分かってくるのではないか、と思っている。
 銃眼の向こうは薄暗がりの世界だけれど、夜なのかというと、真っ暗闇でもない。映画の中の夜のように、薄暗いながらもある程度の見通しがきく。ずっとぬばたまの薄闇が続いているような戦場だ。
 そこで蠢くものに目を凝らしながら、じっとライフルを構える。
 遠くに戦車の陰があり、わたしはその砲身を狙って引き金を引いた。戦車の砲身をライフルで撃ったところで何にもならないだろうけれど、狙いも分からないので、とりあえず撃ってみたのだ。
 しかし弾丸は砲身に当たることなく、少し下の地面に着弾した。照準がずれている。
 照準器を確かめると、極小のドライバーがないと調整できないことが分かった。しかし、狙ったよりは下に着弾した時、照準器を上に動かすべきなのか、下に動かすべきなのか。それがよく分からない。いずれにせよ、極小ドライバーが必要だ。
 極小ドライバーなら実家にあった筈だ。
 クッキーの空き缶のような箱の中に、色々な工具が雑多に放り込んであった。
 あの中に必要な極小ドライバーがあったに違いない。

 実家で数日を過ごしたその最後の日、「ちょっとそこまで」なので、母の運転する車に裸で乗り込んだ。
 しかし逗子から梶原まで、歩いて行かなければならなくなる。これは任務であり、仕事なのだ。極小ドライバーを届けなければいけない。そして母は車で家に帰らなければいけないのだ。
 逗子には父方の祖母とその親戚一同が集まっていて、わたしは母の車から出ないまま、皆に別れを告げる。温泉好きの祖母が、毎年のように親戚一同を引き連れて旅行に出ているのだ。従兄弟たちや父の姿もある。彼らはこの曲がりくねった複雑な温泉街で、少し先にある甘味屋に行き、あんみつを食べるのだ。
 わたしはしばらくのところまで母に車で送ってもらい、そこからは一人、徒歩で山道を行くことになった。
 山道と言っても、最初は住宅街の中だ。斜面に作られた古い集落の中には、縦横に細い路地が入り組んでいる。その中を抜けて、人家の途絶えるところまで進む。そこから先は本当の山道で、うまく山越えできれば梶原まで一番短い道のりで行ける。
 やはり服を買おう、と思ったけれど、考えてみれば、裸では服を買いに店に入ることもできない。お金も持っていない。
 裸の状態から服を手に入れるには、一足とびに総てを取り揃えるのではなく、少しずつ簡単なところから手に入れて、買いに入れる場所を段々と上げていかなければいけないのだ。
 徒歩で抜けれなければいけない山道は薄暗く、遠回りになっても電車で行くべきだったのでは、と考える。しかし後戻りすることはできない。裸で来てしまった以上、もうこの道を抜けていくしかないのだ。母の車ももう行ってしまった。
 狙いより弾丸が下に着弾する場合、照準器を上に動かすのか下に動かすのかもまだ分からないが、それは実際に動かして撃ってみれば分かることだろう。実際にやってみれば、考えるより簡単なことも多いのだ。
 大体、祖母はとうの昔に他界していて、父も鬼籍に入ったところではないか。
 もうわたしは、この暗い山道を抜け、裸で戦場に帰るしかないのだ。
 でも極小ドライバーは手に入れたのだから、きっとすべては上手くいく。