WordPressでアラビア語をポストしようとすると、色々問題があります。
アラビア語は右から左に書くため、
<p lang=”ar” dir=”rtl” style=”text-align:right;”></p>
のように方向とアラインメントを指定してやりたいのですが、WordPressでは改行後空行があると自動でpタグで囲んでくれてしまいます。
そのため、せっかく上のように「ここからここまではアラビア語」と指定してやっても、一度改行後空行が入ると、元に戻ってしまいます。
この「連続改行できない」問題は、別段アラビア語を使っていなくても隔靴掻痒の感があります。連続でbrタグが入るのがhtml的によろしくない、ということなのですが、「自力で気をつけるから自由にさせてくれ」というオプションが欲しいです。
というわけで、改行プラグインのbrBrbrをインストールしてみました。
Read the rest of this entry
ماذا تظنون إذا كان أحد له مئة خروف ضل واحد منها أفلا يترك التسعة و التسعين في الجبال و يمضي في طلب الضال.
フォト蔵から写真・動画をまとめてブログに貼り付けるサービスを公開しました。
フォト蔵、というより写真共有サービスというものを使い始めたのはつい最近です。
写真共有サービスは色々ありますが、わたしの要件は「無料でたくさん置いておければそれで良し」というミもフタもないもの。「写真共有サービス容量比較」みたいなまとめページはたくさんあるのですが、どのサービスも容量拡張やサービス拡大が著しいため、意外と最新情報を比較するのが面倒です。主だったところだけ無料で使える容量を調べてみると、
Read the rest of this entry
若者の乳離れに歯止めがかからない――2007年の国内哺乳瓶販売は前年比6.7%減と3年連続で減少し、1982年以来、25年ぶりの低水準に沈んだ。メーカー各社は新興市場の伸びを支えに好業績を記録してきたが、国内市場では販売戦略の練り直しを迫られている。
哺乳瓶販売はピークだったバブル期の1990年(777万本)から約240万本減った。売れなくなったのは哺乳瓶ばかりではない。
日本乳母協会連合会(日乳連)によると、登録乳母(母乳量660cc超)の2007年の契約人数は前年比7.6%減の343万3829人。4年連続で減少し、1972年以来、35年ぶりの低水準。軽乳母(母乳量660cc以下)も5.1%減の191万9816人と4年ぶりのマイナスだった。
低迷の背景について、日乳連は、赤ちゃんの嗜好多様化▽賃金の伸び悩み▽出産年齢の高齢化▽ガソリン価格の高騰――と分析している。とりわけ深刻なのは若者の乳離れだ。若い世代は母乳よりも離乳食やげんこつ煎餅への出費を優先する傾向が続いている。
社会学者の宮田信二氏は「昔は長くおっぱいを吸っていることが赤ちゃんのステータスだった。『乳も吸えないようでは結婚もできない』という価値観があった。今は交通網も発達し、趣味も多様化している。地方はともかく、都市部では母乳を吸う必然性がなくなっているのではないか」とコメントする。
大久野島の温泉で使って以来気になっていた旅美人の洗い流さないトリートメントを購入しました。こちらは馬油ではなく椿油です。ドライヤーの前に髪に塗って、熱から髪や地肌を守ってくれるタイプです。
ニコンのCOOLPIX S600を買ってしまいました。
きっかけは大久野島に行った時、写真を撮る楽しさを思い出してしまったこと。一応映像屋崩れなのに、動画はおろかスナップ写真からすら遠のいていました。
今回のカメラ選びの大原則は、以下の通り。
・軽い
・起動が早い
・見た目が可愛い
・広角側が強い
至って庶民的です。
Read the rest of this entry
私は自分で考えるということに「こだわり」がありました。私は子どもの頃より理解力が高いと自惚れていたために逆にそういったことが過剰な自身になって「こだわって」しまったわけです。(・・・)
しかし、今はっきり言えるのは、「分からなければすぐ答えを見て考える」と格段に早いということなのです。とにかく、まず「答えを見る」。そして、それから「考える」のである。こういうことを私は20代後半のころに少し気がついた。で、答えを見てから考えるようにしてみました。そうするとうまく物事が行くのです。
世の中では、よく、安直に答えを見てたら思考力が育たないとか言われたりします。昔の私もそういうものを読んで、そうだそうだ、考えるのがエライのだとか思っていたりしたが、違うのです。答えを見てから、それがどうして正解かを考えることで思考力が育つのです。(・・・)いくら自力で考えても、その結論が世の中で正解とされていることとは外れていては冷や飯を食わされるのです。つまり主流から外れた答えを導き出す思考力というのはよほどのことがないとカネにならないのです。
arkanalさんとわたしは、妙に自負心やらを抱えて育ち、色々学んだ割りに、結構なオトナになってから「こんなもんカネにならん!」とやっと気づいたりするあたり、少し似ているところがあると思うのですが、このエントリにはとても共感します1。わたしは「要領の良い方法」を知ってなおそれを裏切る、ということも大事というか面白いと思っていますが(arkanalさんにも時には「敢えて要領悪くやってみる」楽しみがあるのでは、と想像します)。
わたしが「まず答えを見る」系の要領を習得したのは、プログラミングという仕事を通じてのところが大です。バリバリ文系でコンピュータなどまったく興味もなく、手っ取り早く日銭を稼ごうとしただけだったはずなのに、いつの間にやら開発者のハシクレとして糊口をしのぐ日々に馴染んでしまいました2。この商売で痛感するのは「大抵の疑問は既に誰かが考えた疑問であり、その疑問にはほとんどの場合もう答えがある」ということです。いわゆる「車輪を再発明するな」というヤツです3。
開発者なら誰でも知っていますが、書くのは最後の手段です4。
まず「もう書いてあるもの」を使いまわせないか調べて、書く場合も書かれたものをうまくパクり、それがダメでも調査に時間をかけ、頭を使うのは一番最後です。白紙に書くことではなく、再利用に頭を使っているだけですが。
プログラミングを始めた当初は頭を使うのが楽しくて仕方なかったですし、そういう「楽しさ」がまったくないといくらなんでも仕事を続けるのが辛いと思うのですが、その楽しさをグッと噛み殺して「どうせこんなもん誰かがやってるんやん」と思って調べてみると、大抵本当に誰かがやっています。夢も希望もないです。オトナって厳しいです。
ちなみに、体系的教育を受けた経験も性格的適性も微塵もない代わり、ほとんどの開発者よりは多少語学が堪能なので、新しいものの調査先遣部隊にはよく使って頂けます。有難いことです。
Read the rest of this entry
肉割れ対策に再開し、黙々とリピートしているファンケルのHTCコラーゲンを、また注文しました。丁度一年ほど継続したことになります。
CanonのPixus320iというプリンタを使っているのですが、このインクカートリッジがあっという間になくなります。正規品の白黒インクはBCI-24Blackというカートリッジなのですが、アマゾンのレビューでも「かすれる」「すぐなくなる」ボロクソに言われています。
そうは言ってもインクを入れないわけにもいかないので、リサイクル品でも詰め替えインクでも安いものはないかなぁ、と思って探してみたところ、サプライズインクというショップで純正BCI-24BKが税込250円で売っていました。アマゾンでも800円です。メール便対応なので送料も210円、一本しか買わなかったとしても割安です。今アマゾンを再確認してみたところ、マーケットプレイスに200円という出品があったのですが(未使用・新古だと思います)、送料340円を考えると、それよりまだ安いです。リサイクル・インクカートリッジより経済的なのではないでしょうか。
余りに安いので、何かウラがあるのかもしれませんが(根拠なし)、普通に印刷できれば正規品だろうが何だろうがOKです。元々詰め替えを探していたですから、コダワリなんてありません。とりあえず今のところ、使っていて違いや問題を感じることもありません。
唯一失敗したのは、ブラックのインクを買うつもりでうっかりカラーを注文してしまったことでしょうか。
結局両方買いましたけどね・・五個ずつ・・・。
まぁ印刷なら任せてよね・・もうバンバン刷っちゃうから・・ウフフフフ・・・。
![]() |
預言者ムハンマド (PHP新書 (475)) 鈴木 紘司 PHP研究所 2007-08-11 |
日本人ムスリム鈴木紘司氏によるムハンマド伝。
護教論的なところや説教臭い部分がやや鼻にはつくものの、意外と言っては失礼ですが、今まで読んだムハンマド伝の中で一番カジュアルで面白かったです。
著者がムスリムであるアドバンテージというと、「当事者にしか知りえない」「当事者ならではの」視点を考えがちですが、むしろ非ムスリムの研究者が書いた場合の「こういう言い方は失礼になってしまうのではないか」という遠慮から解放されている点が大きいでしょう。何でも当事者というのは、当事者ならではの足枷がある一方、特権的な立場にいます。多少ぶっちゃけな話をしても「当の本人が言っているのだから・・」と批判から身を守れる効果があるわけです。
ムハンマド伝ではありますが、印象的なのはむしろその周囲の教友、そしてライバルたちです。イスラーム本を読んでいれば何度も目にしたことのある人物がほとんどですが、ただでさえも覚えにくいアラブ人の名前、研究書で触れると今ひとつ記憶の定着がよろしくないです。こうして生き生きとしたエピソードを交え物語風に語っていただけると、「ウマルいいヤツだけど暴れすぎっ」(スイマセン)と、心に住み着いてくれます。主な戦役には陣地の図解まで付いています。
おそらく、こうした初期イスラーム物語(ハディースを噛み砕きに噛み砕いたようなもの)は、キリスト教文化圏の人間なら特段宗教熱心でなくてもアブラハムやヨセフやヨナと馴染みなように、イスラーム文化圏の人々にとっては知識以前の共有文化なのでしょう。日本人にとっての桃太郎のようなものです。
Read the rest of this entry
秋葉原の件について、個人的に思うことは何もないし、特に興味もありません。悪いですが「犠牲者の方に哀悼の意を捧げ」もしません。1
それでも、webを眺めているとイヤでも関連記事が視界に入ってきます。そうした中で興味を惹かれたのが臨床してて思うこと(精神科):秋葉原の事件について2というエントリ。
今回の事件で、勝ち組・負け組の話の流れで、派遣(トヨタ)で働いていたことが話題になっているけれども、
たぶんそれは、犯行に踏み切る最後の一歩の問題。ジャンプに踏み切る位置の問題。むしろ問題は、ド田舎の秀才が進学校で落ちこぼれたとき、そのプライドを抱えたまま、下請工場で働くことがどれだけ大変かということにあると思う。
| 深海魚のように心気症を病みたい 兼本浩祐 |
『深海魚のように心気症を病みたい』。タイトルが素晴らしい。
知ったキッカケは、目次の章題に「ポワン・ド・キャピトン」というラカン用語があったこと。著者の兼本浩祐さんは精神科医。
これだけで「ジャケ買い」に十分ですが、更にグッと来たのが著者近影です。
よく知らない著者の本を買う時、わたしは大抵イメージ検索で著者の写真を探します。見た目の悪い人間は必ず中身も悪いです(断言)1。別段ハンサムでも美女でなくても構わないのですが、パッと見た時の直観を圧倒的に信じているので、まず顔を見ます。
そして見つかった画像がコレ。
![]() |
![]() |
即ショッピングカート行きです。
この画像のあったコンテクストがまた素晴らしい。

兼本先生・・キュートすぎます・・。
この本が詩集だと知ったのは、支払いが完了してからでした。
Read the rest of this entry
絵が上手に描けたり、美しい実装が書けたり、語学が堪能だったり、素晴らしいダンスが踊れたり、人に優しくできたり、立ち直りが早かったり、そういうことを能力だと思うことを、いつからか止めた。
能力という見えない力がヒトの内側にあって、ある条件によってそれが「発現」すると、具体的に何かが成し遂げられる。他人についても、自分についても、この見ないパラメータ、見えない属性に振り回されるのが、馬鹿馬鹿しくなった。
何かが成し遂げられた。それは事実だ。
まだ成し遂げられておらず、できるかもしれないし、できないかもしれない。そういう時、人は能力のことを考える。
内側にある「可能性」だ。
わたしにできるだろうか。彼にできるだろうか。できると信じて、やる。
それはそれで結構ではある。信じることが可能性を変える。翻せば、信じる対象である「能力」なる不動のパラメータなど、元より後付けの理屈にすぎない。
内側のことを考えすぎると、心がこじれることがある。
内側は危険だ。話半分にしておかないと、周天円的な泥沼にはまっていく。
だから、能力はやめた。
何かができたとしたら、それは神のビームが彼にあたって、反射してきただけのことだ。
外側だけ、形だけ、既に為されたことだけ、圧倒的な神の存在だけ、信じる。
神のビームがピンと来ないなら、ポインタでもいい。そこにある32ビットの値など、ただの住所にすぎない。実体はヒープだかイデアの洞窟だか神の意志だか、とにかく遠くにあって、すべてのパワーはそこからやってくる。
もちろん、アドレスが間違ったらビームも反射しない。だから良い鏡であることは大切だ。
しかし、わたしの一挙手一投足、脈打つ鼓動、それらすべてが神の表現以外の何者でもない。
わたしは神を信じ、能力を信じるのをやめた。
Read the rest of this entry
電車でやたら広告を見るファイバーウィッグのマスカラとアイライナーを買ってしまいました。何となく勢いです。マスカラはつい思いつきで買ってしまって危険です。
かなり大ぶりのブラシ。いかにも「ボリューム」タイプな印象です。
Read the rest of this entry
サイトに予告があったので、藤田一道さんを見に新宿駅東南口へ。
時間は過ぎているものの、演奏は始まらず。すぐそばで演奏しているバンドに遠慮して(?)、終わるのを待っているらしい。
ようやく始まろうとしたところで、警察官二人が。通報があったらしく、撤収を求められる。
しかし警察官も威圧的な雰囲気ではまったくない。「ごめんねぇ。いや、こっちも一応取り締まってるって風にしないとさ、具合が悪いから」。お互い勝手を知ったもの同士、という様子。
撤収の準備を始める藤田さんに話しかけてみると、わたしのことを覚えていてくれている。
階段を登り、東南口すぐの場所に移動。そこでは別のストリート・ミュージシャンが準備をしていて、藤田さんとも顔なじみの様子。彼らの演奏後、少しだけやらせて欲しい、というショバ交渉。先ほどの警察官とのやり取りといい、ビデオカメラを持ってきて「取材」すれば良かった、とも思う。
先客のバンドのギタリストが、曲を弾くともギターと戯れるとも言えない調子で、音を出し始める。藤田さんも横でハーモニカを吹いている。
遂に買いました、憧れの浄水器!
と言っても3,000円ちょっとのブリタのポット型浄水器「リクエリ」ですが。
今までにも浄水器を使っていたことはあったのですが、蛇口に付けるタイプのものだと隙間からプシューッと水が漏れたり、水の出が悪くなったり、カートリッジが高くて渋っているうちにどんどん無意味になったり、結局ムキーッとなって取り外してしまいます。浄水器自体も汚れてきて、カートリッジを替えても何だか水がキレイになっている感じがしません。
結婚したらシンクの下に入れる十万くらいの浄水器を買って、いつでもキレイな水がジャンジャン出る♪という夢があったのですが、どうやら夢というより妄想だったことがはっきりしてきたので、備長炭をヤカンに入れて気を紛らわせていました。
ところが、最近本当に水が臭い。季節が季節なので仕方ないですし、コストをかけて水道水をキレイにしすぎることには寧ろ反対なのですが(飲めるだけでも御の字だと思う)、「これはひどい」とタグを付けたくなる勢いです。
安い浄水器ないの!?とアマゾンで探したところ、やっとポット型浄水器というオプションに気がつきました。
というか、前にも同じことを考えていたのに、3,000円を渋って隠蔽記憶化していた気がします。
Read the rest of this entry
先日ストリート・アーティストの藤田一道さんのことを書きましたが、いきなり購入したディスク『違う』収録の「例外」という曲がすごく気に入っています。
例外というと、throwしたりcatchしたりする方ばかり考えてしまいますが、ラブソングらしくないこのタイトル、そして歌詞が素晴らしい。「例外」という冷たい言葉の選び方、そこへの向かってジワジワ上り詰めていく展開、一瞬だけ裏返る声、セクシーです。
海の向こうの千年前の詩を七転八倒しながら読む割に、日本語の歌の歌詞をあまり聴かない、というか日本語の歌自体ほとんど聴かないのですが、この歌詞は興味深いです。
優越感も薄れてきた頃
気がついたあなたの浮気性
八方美人を地で行く人ね
悪びれる素振りも見せずに
(・・・)
教えて私は
あなたの 恋人でしょう
誰にでも優しい彼氏に対し、彼女が自分の位置づけ、存在を問いかけます。「あなたにとってわたしは何か」を問いかける歌です。
彼女は最初「恋人」という言葉を選びますが、飽き足りません。「わたしにとってあなたは『恋人』、あなたにとってわたしは『恋人』」。当たり前です。この言明は正しいですが、彼女が求めているのはそうした「客観的な正しさ」ではないのです。ですから、ここでの「あなた」は、「わたし」と「あなた」と「それ以外」によって構成される世界全体の中の「あなた」ではありません。「それ以外」から見て妥当な回答が彼女を満たさないのは、「あなた」が「それ以外」を容れる余地のない全体性だからです(「あなたがすべて♪」)。
次に彼女は「特別」という言葉を選びますが、それでも満足しません。フェラーリは「特別」な車かもしれませんが、車は他にも沢山あって、その中の「特別」に過ぎません。「特別」などという形で「それ以外」にもわかるような印を、求めているのではないのです。むしろ「客観的」な認識を拒み、そうでありながら「誰が見ても明らかな」印が欲しいのです。
もちろん、そんなものを言葉に表すのは不可能です。ここでの彼氏は世界の全体性ですから、この問いは「世界にとってわたしとは何か」と言い換えられます。この「世界」は、「わたし」自身を含む全体です。単に「みんなの意見」ではありません。一票入れる方に自分も回るなら、評価対象としての「わたし」は一回オフにしないといけません。オフにしてしまったら、今度は投票結果がわかりません。でも、「全体」の答えを得るには、一瞬でもオフにしないわけにはいきません。つまり、自分自身をオフ=物質にして、賭けてしまう必要があるのです。
この歌の中で、彼女が見つけた答え、つまり「何でもないもの」は、「例外」という言葉です。
Read the rest of this entry
![]() |
イラク 戦争と占領 (岩波新書) 酒井 啓子 岩波書店 2004-01-22 |
『イラクは食べる』をご紹介した酒井啓子さんの前著、『イラク 戦争と占領』です。時間を遡って敢えて手に取りました。
2004年の著作で、テーマがテーマなだけにマーケットプレイスなどで買い叩かれていますが(笑)、時事的なテーマの本を少し時期を外れて読むと、思わぬ発見があって面白いものです。時事ものといっても、わずか四年前。時系列を追って再整理する上でも十分有用です。
読み物としては、『イラクは食べる』より楽しめます。『イラクは食べる』が諸勢力の動静を追うことに終始してしまっているのに対し、『イラク 戦争と占領』の特に前半は、イラク戦争に向かっていかに事態が悲劇的に展開していったか、劇的かつコンパクトにまとめられていて、ノンストップで読み進められます。
後半はやはり諸勢力の整理に割かれている傾向が強いのですが、それでも『イラクは食べる』より見通しが良いのは、イラク情勢がこの四年で更なる混沌へとはまり込んでしまった、ということなのでしょうか。
『イラクは食べる』にも続く視点ですが、酒井氏が強調するのは「どっこい社会は生きていた」というポイントです。悪辣な独裁者を放逐すれば、社会に空洞が生じ、亡命イラク人を巧みに操ってアメリカ好みの世俗的「民主国家」を樹立できるだろう。そうした目論見は、「解放」後にあからさまになった社会的靭帯の強さ、壊滅的混沌を少しでも自らの手で収拾しようとするイラク人たちの(時に過剰なまでの)自主性によって、見事に打ち砕かれます。
個人的にとても気になったのが、疑心暗鬼に囚われていく末端のアメリカ兵の姿です。
Read the rest of this entry
![]() |
恋するサウジ―アラビア最近生活事情 郡司 みさお 角川学芸出版 2006-11 |
サウジアラビアの歴史や思想、社会構造についての本はいくらか読んでいたのですが、この郡司みさおさんの『恋するサウジ』は、サウジアラビアに赴任したご主人と共に渡航した「赴任妻」の視点から描かれた、極めてカジュアルな「今時のサウジ」本です。サウジの見所や注意点などもかなりぶっちゃけに書いてあるので、旅行者にもかなり便利だと思います。
普通だったらあまりわたしの手に取るタイプの本ではないのですが(逆に言えば、普通の旅行好きお姉さんにはウケるはずw)、購入したキッカケは、最近サウジの女の子と「文通」しているからです。
それまでのわたしのサウジイメージは「二大聖都を抱え、厳格なワッハーブ主義を掲げる宗教国家」「でも世界最大の産油国、大金持ちのレンティア国家」「親米路線と伝統派への懐柔などの矛盾が、一部で過激な『原理主義者』を生み出す温床を作ってしまった」「出稼ぎ労働者に依存する歪んだ構造、貧しい他のアラブ諸国から来た労働者に評判が悪い」等々、いずれをとってもちょっと眉間に皺が寄りがちな小難しい「外側からの」ものでした。
ところが、彼女は至って普通の18歳の女の子で、ワッハーブがどうたらイスラエルがどうたらといった話題はまったく出ません。宗教の話も政治の話も一度もしたことがありません。「この映画面白かったよ!」とか、アラブの詩や日本の歴史について、他愛もないお喋りをしているだけです。彼女は日本にとても興味を持っていて、「日本の歴史の本を読んだけれど、とってもエキサイティング! 豊臣秀吉かっこいい!」というメールも頂戴しました(やり取りはほぼ英語、一部片言の日本語と片言以下のアラビア語)。サウジアラビアの女の子から豊臣秀吉の名前を聞くとは、想像もしたことがありませんでした。
というわけで、小難しい話はちょっと脇によけて、もうちょっと「フツーのサウジアラビア」を知りたいな、と思って読んでみたのが、『恋するサウジ』でした。
Read the rest of this entry
何気なく楽天で検索していたら、家が売られていました。
![]()
ひのき健康住宅木造149.9m2 2階建 ゆとりのある住宅 親切丁寧な施工ひのき健康住宅木造149.9m2
ひのき健康住宅木造149.9m2 2階建 ゆとりのある住宅 親切丁寧な施工ひのき健康住宅木造149.9m2 2階建
価格 45,800,000円 (税込 48,090,000 円) 送料別
送料!? 送料って!?
「ファイルーズとハリール・ジブラーン」で触れたジブラーンですが、ニューヨークのハリール・ジブラーン公立学校が批判に曝されているそうです。
NPR : English-Arabic Public School Faces Harsh Critics
ニューヨーク、ブルックリンのハリール・ジブラーン国際アカデミー(アラビア語と英語の公立学校)が、開校前から論争の的になっている。
批判者たちは、この学校は過激なイスラーム主義者に率いられた「マドラサ」1であり、生徒たちをイスラームに改宗させようとしている、という。支持者たちは、このプロジェクトは様々なバックグラウンドの子供たちがアラビア語とアラブ文化を学び、平和の使節として大学へ進むための教育環境を提供するものと考えている。
校長であり創始者でもあるデビ・アルモンタザは、学期が始まる前に辞任することになったが、「アラビア語の公立学校」という考えは依然として議論を呼んでいる。批判者たちは、アラビア語の公立学校は必然的にイスラームを教えることになり、憲法に反する、という。支持者たちは、アラビア語の公立学校は、スペイン語や中国語専門の公立学校と同様に考えるべきだ、としている。
Wikipedia : Khalil Gibran International Academyによると、「この学校がイスラーム、ひいてはテロリズムを教える隠れ家となりかねない」という批判まであるようです。
ハリール・ジブラーンがレバノンで生まれアメリカで活躍したキリスト教徒であり、福音書に迫るような美しい言葉で人々の心に平和を与えたことを考えると、皮肉というか、やり切れないというか・・。
少しでもアラブ・ミュージックに興味のある方なら、ファイルーズの名前を聞いたことのない人はいないでしょう。わたしは別段「ワールド・ミュージック」1ファンではないのですが、NHKテレビのアラビア語会話でカリーマ先生が触れられていたのをキッカケに、ファイルーズのことを知りました。
最初に聞いた時は古臭い演歌みたいで、ちっとも馴染めなかったのですが、繰り返し聞いているうちに心に染み入るようになりました。しっとりとした女性ヴォーカルの好きな方なら、一度は聞いてみることをお薦めします。
ファイルーズの曲は曲によって大分雰囲気が異なり、「アラブ音楽」的なものからジャズヴォーカルのような歌まであるのですが、ド真ん中の「わたしに笛を下さい」が結構気に入っています。というか、『ステップアップ アラビア語の入門』にこの曲が収録されていて、最初は「歌のコーナーなんか要らないよ」と思っていたのが、何度も反復している内にすっかりハマってしまった、というのが真相です(笑)。
أعطني الناي و غنで検索すれば、動画も沢山見つかります。
Fairouz - Give Me The Nay And Sing -Courtesy of Hani Jordan!
A3teny El Nay
アラブ音楽は一般に前奏が長いので、歌が始まるまでに結構待たされます(笑)。個人的にはもっとシンプルなものが見てみたいです。
ファイルーズと関係ないですが、勝手にギターソロしているこのお兄さんはカッコイイです。
Read the rest of this entry
ストリート・ミュージシャンが大好きですが、生音原理主義者なので、どうもアンプを使っている人たちに惹かれません。
楽器によってはアンプがないとお話になりませんし、まして新宿駅前のような喧騒ではどうしようもないとは思うのですが、電気の力に頼っているのがどうもストリートらしくない気がしてしまうのです。脇で発電機が唸っていたりしたら、演奏がどんなに素晴らしくても即スルーです。
最近はオケを流して歌っているボーカリストなどもいますが、「路上カラオケかっ」とツッコみたくなります。まぁ、別に路上でカラオケしちゃいけない理由もないですし(法的にはあるかもしれない)、どんどん好きなだけ歌ったら良いとは思いますけれど。
そんな「アンプ嫌い」で、今ひとつ「歌もの」に惹かれないわたしが、アンプの上に座って弾き語りするストリート・ミュージシャンに足を止めてしまいました。藤田一道さんという方です。
マツキヨに寄ったらライフセラのαアルブチン&海洋性コラーゲン美容液マスクが一枚サービスになっていたので、買ってしまいました。
Read the rest of this entry