ish☆数えます

 『オナニーマスター黒沢』(原作 伊瀬カツラ 漫画 YOKO)というweb漫画を読みました。
 タイトルから容易に想像できる通り、少年マンガ独特の「キツさ」もあるのですが 、とてもよく構成された作品でした。
 放課後の女子トイレでこっそり自慰にふけることを生きがいにする中学生、黒沢。ある日この秘密をいじめられっ子女子の北原にバレてしまい、それから北原に横暴な「取引」を持ちかけられるようになる。それは北原に代わり、ある手段を使っていじめっ子たちに「復讐」することだった・・というお話。
 やっていることは明らかな変態的・犯罪的行為なのですが、少なくとも漫画で描かれる黒沢は「いじめられ」的な存在ではなく、常にメタ的な視点から物事を見ている、良く言えば人と群れない、悪く言えば気取った協調性のないタイプ。クールな黒沢がそんな秘密を握っているなど、誰一人想像していません。
 北原と黒沢の会話は、トイレのドア越しを基本にしています。いくつかの根拠から、北原は「そこ」に隠れているのが黒沢だということを、見抜いてしまうのです。「黒沢くんなんでしょ?」「返事をしないということは、黒沢くんなのね」「いいわ、そのまま聞いて」。
 これは典型的な「世界を覗き見る主体」の構造です。黒沢は別段覗きをしているわけではありませんが、狭い個室に籠って、相手からは見えない位置から世界を「見て」いる。「わたし」は不可視化し、世界は風景としてある。彼の内言の多い性格にも、これが表れています。黒沢への同一化が促されるのは、主体とは「黒沢的」なものだからです。
 しかしやがて、この関係が逆転する時が来ます。
 以下、「ネタバレ」も含まれるため、本編をご覧になってか、覚悟の上でお読み下さい。
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 師岡カリーマ・エルサムニーさんの『イスラームから考える』に、エジプトの「愛国教育」が批判される下りがあります。

 (・・・)「国民教育」のおかげでエジプトの文化や伝統芸能について正しい知識を持っているエジプト人など、いないと私は断言できる。
 では、実質的「愛国教育」である「国民教育」は何をもたらすのか。「エジプトはすごいんだぞ。文明の母なんだぞ」という自信を人々の心に植えつけたところで、それが実際にエジプトのためになっているか。残念ながら答えはノーだ。たとえばエジプト人の中には、日本に来て千年の歴史がある寺を見ても、感動しない人が少なからずいる。子供のときから「七千年の歴史を持つエジプトは文明発祥地である。(・・・)」と教え込まれているので、(・・・)千年と聞いただけで「ああエジプトの方が古い。エジプトの方がすごい」と自分の国への誇りを新たにするのである。

 日本人から見て鼻持ちならないばかりでなく、こんなエジプト人を「輩出」してしまって、エジプトにとっても益になるとは思えません。

文化を尊重することを教えるよりはるかに効果的なのは文化を教えることだ。この二つは区別されるべきである。エジプトの愛国教育は、結局はエジプトの文化に対する誇りだけを植えつけて、文化自体を教えることにはあまり成功していない。日本の文化の良さを自ら認識する感性を持たずに文化に対する誇りだけを教えられても、そんな愛国心は空虚な砂の城でしかない。逆に、祖国の文化の素晴らしさがおのずとわかるだけの感性と想像力と教養を育めば、それを尊重するようにわざわざ誘導する必要はない。

 それが「空虚な城」であるのは、失敗というよりは予め織り込まれたものでしょう。
 中身がカラッポであれば、中身に対する批判や内省によってハリボテの誇りが崩されることもないからです。カラッポだから、郷土と国家のすり替えにも気付かれない。
 要するに、愛国教育というのは、頭のカラッポな人々にカラッポのプライドを植え付けて、大衆の不満を誘導するための権力の方策に過ぎません。
 自らは故郷なき者であるにも関わらず、ネイションの戯言により大衆を誘導するファシストとしては、今のうちに日本国のやり方を学習しておかなくてはなりません。あ、言っちゃった。

 一方、宗教教育について、カリーマさんはポジティヴです。
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4560031827 イスラームから考える
師岡 カリーマ・エルサムニー
白水社 2008-04

結局人々は、僕らのことを知らないから僕らを恐れるのさ。彼らのせいじゃない。だって僕らについては善悪二種類のニュースしか流れない。悪い方のニュースは、僕らを「武装テロ集団」と呼ぶ。そしてたまにましなニュースがある時は、僕らは「武装テロ集団の疑いがある」って扱いだ。(ディーン・オベイダッラー)

考えてみれば、ユダヤ教徒とイスラーム教徒ほど共通点の多い宗教は他にないよ。どちらも豚肉を食べないし、どちらもクリスマスを祝わないし、どちらも喉から出す摩擦音を連発する。そしてどちらも、緊急時でもないのに電話口で怒鳴る。ユダヤ教徒とイスラーム教徒で唯一違うのは、ユダヤ教徒は金を使うのが嫌いで、イスラーム教徒は使う金をもっていないということさ。(アハマド・アハマド)

 4月出版予定と聞いて、毎日のように入荷していないかとAmazonで検索をかけていた師岡・カリーマ・エルサムニーさんの新著『イスラームから考える』。
 その冒頭で紹介されるのが、上の中東系アメリカ人コメディアンによるショーツアー、その名も「悪の枢軸ツアー」の一場面です。
 ツカミがコレです。前にも書きましたが、カリーマさんの文章の熱いコブシ、特に詩を紹介する時の嬉しくて堪らない感じがとても愛おしいです。
 「思想」的には必ずしも同意するものばかりではないですし、もしカリーマさんがわたしのことを知ったら間違いなく毛嫌いされると思うのですが、そんなことは大きな問題ではありません。アラブとイスラームのことになると急にしおらしくなるので、カリーマ様の爪の垢ほども語る資格もないワタクシは、ニコニコしながらお話を聞いておきます。

 以下、気になった箇所をいくつかピックアップしておきます。
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B000W05NUK 大日本人
松本人志

 友人に薦められて見ました。
 今ではお笑いというものをまったく見なくなりましたが、松本人志は大好きです。ダウンタウンが有名になりかけた頃の勢いは凄かったです。
 評価が分かれる作品だと思いますが、少なくとも前半については十分正しく映画になっています。
 「伝統職人としてのウルトラマン」のような役割を受け継ぐ松本人志。今では省みられることもなく、むしろ冷たい世間の風を浴びる「大佐藤」。妻との別居、跡取問題、祖父の介護問題など、余りにも世知辛い日常を、取材カメラの視点が追っていきます。
 この手法や、描かれる「どうにもならなさ」、「電変場」と呼ばれる変電所のような施設の風景、仰々しくも形骸化した儀式など、美しく映画的です。しかし、後半になって松本は、この映画的構造自体を自ら壊していきます。
 後半部について酷評する声を聞きますし、実際わたしもあまり良い印象は抱きません。
 でもおそらく、松本人志はそう評されるのをわかって、あえて「作品」としてのまとまりをオシャカにしてしまいたかったのでしょう。「映画」になってしまうのが鬱陶しかったのだと思います。
 結果として、松本人志のテレビ的ファンにも映画ファンにもウケない作品になってしまったところはありますが、それも松本人志らしいと言えば松本人志らしいです。
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 『迷子の警察音楽隊』を見てきました。

B0016G2U6E 迷子の警察音楽隊
サッソン・ガーベイ カリファ・ナトゥール ロニ・エルカベッツ
Nikkatsu =dvd= 2008-06-13

文化交流のため、イスラエルにやって来たエジプトのアレキサンドリア警察音楽隊のメンバー8人。しかし、空港には迎えもなく、団長(サッソン・ガーベイ)は自力で目的地を目指すが、なぜか別の街に到着してしまう。途方に暮れる彼らを、カフェの店主ディナ(ロニ・エルカベッツ)がホームステイさせてくれることになり……。

 祖国でもお荷物扱いされているらしい警察音楽隊。頑固一徹の隊長、音楽を愛しながらも生活のために淡々と任務をこなす老隊員、「五年も警察学校に通って砂漠で演奏か」とナンパにしか興味を示さない若い隊員。
 八人が迷い込んだのは、イスラエル辺境の入植地。オモチャのようにそっくり同じ形の住宅だけが並ぶ活気のない街で、小さな食堂を営む男勝りだけれどどこか色っぽい女性に、一晩の宿を頼ることになります。八人が冴えない「音楽隊」なら、古いエジプト映画のロマンスに焦がれながら婚期を逃してしまった女性、店を手伝う童貞のイスラエル人男性、一年も失業中で食堂で暇を潰しては夫婦喧嘩ばかりしている男も、皆「パッとしない」面々です。そんな言葉も通じない「普通の人々」が、一晩のロマンスを繰り広げる、というお話。
 リアル・エジプト人を知る人に言わせれば「あんな上品なエジプト人はいない」という通り、八人は(ナンパな若者を除いて)無口で大人しく、あまり「アラブ人らしく」はありません。きっとイスラエル人だって、あんな風ではないでしょう。
 ではつまらなかったのかというと、期待通りにちょっと幸せになれるとてもステキな映画でした。
 この作品はフランス・イスラエル合作なのですが、あくまで「かわいいフランス映画」。「アラブ映画」ではありませんし、素朴なオリエンタリズムが大いに映り込んでいます。
 それでも良い映画であることには変わりありません。アラビア語を学ぶ人間には、アラビア語の響きも楽しめるオマケつき、ということです。台詞の七割方は(下手くそな)英語、残りがアラビア語と現代ヘブライ語です。
 最高なのは、何といっても若いナンパなエジプト人。バス路線を尋ねてくるよう隊長に命じられ、「英語は苦手なんだよ」と渋っていたくせに、いざ美人を前にすると持てる英語力を駆使して口説きだします。辺境に迷い込んでしまったのもこのナンパエジプト人のせいなのですが1、女性を前にすると舞い上がって何もできなくなってしまうモテないイスラエル男にナンパ指南をしたり、最後まで憎めない役回りです。

 そんな「ちょっと心温まる」ストーリーと同時に、改めて印象的だったのが、入植地の風景です。
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  1. アラビア語にpの発音がないため、bとpを聞き違えたのが原因のようです []

 たまには日銭稼ぎのことを書きます。
 現プロジェクトはC#とWPFでやっているのですが、WFP関係は日本語情報がまだまだ少ないです。日本語書籍も数えるほどしかないです。
 結局webを彷徨ってトライアル&エラーしかありませんが、ざっと概略を掴んだり原理を理解するのには書籍が便利です。
 個人的に、極力コンピュータに関わりたくないので、開発開始当初は何冊か紙のものを通読しました。
 というわけで、WPF & Expression Blendのおすすめ本です。
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 iPodにカバーをつける愚かさについて

「傷がつくのがいやだ」とか言っている人で、ラバーやシリコーンのカバーをつけている人は矛盾に早く気付け。要は綺麗なまま使いたいってことだろうけど、その大変醜いカバーつけてたら綺麗なiPodが見えませんよね(・・・)シリコーンのカバーは使ったことがあるからわかるのだけど、あれは使うにつれてすごい汚くなる。iPodは綺麗なままだけど、カバーは大変汚い。外見が大変汚い。

 仰る通りです。
 で、ワタクシ、シリコーン製のiPod miniカバーを使っております(笑)。確かに汚なくなっていきます。
 何度もカバーなしにしようと思ったのですが、それでも使っている理由は、ステンレスに爪が当たる音が嫌だからです。
 正確には、本当に音がするわけではありません。ガラスを爪でキキーッってやるのをイメージすると、別段引っかいてなくても歯茎の辺りが痒くなるでしょう。もしかすると、本当にガラスを引っ掻いても、そんな音はしないのかもしれません。でも、考えるだけでのたうち回りそうになります。iPodのステンレスも、そういう音がしそうでならないのです。
 実際はしなくても、恐ろしくて手に取れなくなりそうです。
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 もう一年半も前のエントリですが、心にとまったので訳しておきます1
 予めお断りしてきますが、このエントリで語られているようなややナイーヴな希望を、わたしはほとんど信じていません。それでも紹介したいと思った理由は後述します。

Arabic the language of peace

 アラビア語は平和の言葉でもあり得る。
 もしアメリカ人がアラビア語を話せていたら、現在わたしたちを隔てている深い文化的な溝を橋渡しし、乗り越えられていたかもしれない。
 もしアメリカ人がアラビア語を話せていたら、リアルタイムにリアルな感情をもって、友と語らい、敵を説得することができたかもしれない。
 わたしはヨルダンでもシリアでも、商店の店主やタクシー運転手、大学生、大学教授、警察官、兵士、多くの政府官僚らと、彼らの言語で語らい、時に議論となった。アメリカを擁護する(時には批判する)者の話を聞くというのは、彼らにとってちょっとした「トリップ」だった。多くの者は、彼らの言語でそんな意見を言う人間に会ったことがなかったのだ。わたしたちは多くの問題で激しく対立し、時に白熱する激論となった。しかし最後には大抵友達になったし、尊重しあうようになった。通訳やその他の仲介を経るよりもずっと。
 もしアメリカ人がアラビア語を話せていたら、わたしたちはもっとアラブメディアに影響を及ぼせていただろう。アルジャジーラに出演しているアメリカ人がいることはいるが、稀なことだ。とりわけ、ネイティヴ・スピーカーの子として家庭でアラビア語を身に付けたのではなく、学校で勉強した、というアメリカ人は。
 もしアメリカ人が本当にアラビア語を話せたら、何が起こるだろう? ここに見るべき一例がある。ヒューム・ホーランだ。先頃亡くなってしまったが、彼はアメリカ政府のキャリア外交官だった。レバノンとチュニジアでアラビア語を学んだ(と思う)。彼のアラビア語はとても流暢で、アラブ政府官僚の脅威となるほどだった。サウジアラビアは、通りで地元民と交わり、彼らの文化を理解するほどアラビア語のできるアメリカ人を望んでいないのだ! は! 彼らは、人々に異なる意見を与え、別の視点から考えるきっかけとなりかねない人間を恐れているのだ。
 もしアメリカ人がアラビア語を話せていたら、多くのことが違っていただろう。しかし「かもしれない」ばかり考えるのはやめよう。わたしたちに必要なのは、アメリカと世界で、アラビア語を学び、教えていくことだ。
 もしテロとの戦いについて語らなければならないなら、それが文化的な誤解および生身の人々とのリアルタイムなコミュニケーションの欠落との戦いであることを考えよう。すべての文化間での交流には多くの価値がある。相互理解が未来の戦争を抑止するかもしれないのだ。
(下線引用者)

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  1. 言い訳ですが、仕事中にこっそり訳したので(笑)、かなり「超訳」です。スイマセン。 []

 「奥菜恵さんのような美人でも、離婚のうえ新しい恋人にも浮気され、と苦労している。恋愛とは自らを賭け金に差し出さなければ始まらないゲームなのだ」といったお話。

空中キャンプ:あの子みたいにかわいくなれたら

「あの子みたいにかわいくなれたら/新しい世界で毎日夢いっぱい」と、たくさんの女の子が想像するだろう。私がもし美人だったら。すごくかわいかったら。きっと、もっと夢みたいな毎日が待っているのだろうと。答えはノーである。奥菜さんを見なさい。誰だって、恋愛をするなら、テーブルの上に手持ちのプライドをそっくり置いて、それを賭け金にしないとゲームには参加すらできないのである。奥菜さんはちゃんと賭けている。だからわたしもばんばん賭けていこうとおもっている。

 半分はその通りですが、二点、敢えて混ぜっ返したいところがあります。
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B000FQWH14 エリ・エリ・レマ・サバクタニ

 「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」1。神様ファンがこの言葉を見つけて、黙って通り過ぎる訳がありません。
 パッケージを手にとって見ると、監督青山真治、浅野忠信主演、そして中原昌也さんが音楽と共に出演。こんなどう転んでもハズレない作品に、三年間も気付かなかったなんて・・映画館で見たかった・・・。

西暦2015年。世界中で正体不明のウィルスが蔓延していた。“レミング病”と呼ばれるそのウィルスは視覚映像によって感染し確実に死に至るというものであった。人々は不安に怯え、絶望感に満ちていた。そんな中、病気の進行を抑制するといわれる唯一の方法が発見される。それは、2人の男、ミズイ(浅野忠信)とアスハラ(中原昌也)が演奏する“音”を聴くこと。やがてその噂を耳にした老富豪(筒井康隆)が彼らのもとを訪ねてくる。息子夫婦をレミング病で失い、たったひとりの跡取りとなった孫娘ハナ(宮崎あおい)までもが病に侵されているという。愛する孫娘の“死”を止めるため、彼らに演奏を懇願する老富豪。意を決したミズイはハナをある場所へと導くが…。

 「レミング病」は、もちろんレミングの集団自殺から来た名称。つまりこれは、自殺を促す病気です。
 一日で四回見ました。
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  1. 「主よ、主よ、なんぞ我を見捨て給うや」。イエスの最後の言葉とされる。 []

 先日お邪魔した「アラブの音を聴け」での師岡カリーマ・エルサムニーさんと常味裕司さんのトークの中で、ウードの譜面が話題になりました。
 常味さんは基本的に西洋式の譜面を利用されているようですが、ウード独特の伝統的な記法もあるようです。そしてこの記法に触れた時、常味さんが「でもこれは覚え書きのようなもので」と仰ったのに、ハッとさせられました。
 「覚え書き」というのは、楽譜に音楽の構成要素が還元されておらず、楽譜だけでは楽曲を再現できない、ということです。
 似たことを、アラビア語についても感じることがあります1。アラビア語には原則的に母音そのものの表記がなく、文脈等から文章構造を認識し、最終的な発音につなげる他にありません2。そうしたところも、アラビア語が「音楽的」と評されたり、詠唱が重視される一因になっているのでしょう。ただ、アラビア語が多少極端だとしても、統語構造の認識抜きに完全な発音が決定できない、というのは、どんな書き言葉にも言えることです。
 要するに「覚え書き」とは、「それ自体で情報媒体として完結しておらず想起という契機を要するもの」です。そして書き言葉とは、厳密には洗練された「覚え書き」に過ぎません。
 しかしここで言いたいのは、「言葉はまず耳から!」というナイーヴな語学講師的「パロール至上主義」でも3、逆に「原的パロールなど存在しない」といった安っぽい90年代大学生的ポストモダニズムでもありません。
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  1.  アラビア語については、依然わたしは初心者であって、本当はこんな偉そうなことを語る資格はありません。スイマセン。 []
  2.  クルアーンや学習書、子供向けの本には母音記号が付いている []
  3.  この認識には厳密には賛成しかねますが、実際的な語学学習の要諦としては十分妥当だと思いますし、わたし自身の学習でもそういう傾向が強いです。ダムの設計をするのに量子力学を持ち出す人はいないでしょう。 []

 考えてみると、ファウンディションだけはずーっとイプサです。
 またエッセンスイン・クリームファウンデイションをリピート購入しようとしたところ、限定のファウンディション・キットが販売されていました。
イプサ ファウンディション・キット
 ミニサイズのメイク落とし、デイシェルター・ブライトビジョンのミニボトル、ポーチがついてきます。メイク落としはジェル・オイルのいずれかから選べ、それぞれスーパーモイスチュアオイルとスーパークリアオイル、モイスチュアジェルとスーパージェルがあるので、四種類の中から選択することになります。
 「ファウンディションの価格にプラス500円で、お得だと思いますよ」と言われ、「あ、じゃぁそれで♪」と即断してしまいました。タイムリセットのキットのときと同じパターンです(笑)。
 でも、確かにこれはお買い得。プロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンは、毎年紫外線の一番強い時期に愛用していて、そろそろ使い始めようと思っていたところ。去年の分も残っていますが、丁度良かったです。SPF30 PA+++と、「紫外線の強い時期だけれど、屋外にいるわけではない」日常使いにぴったりのスペックで、しかも付け心地もサッパリなオススメ下地です。
 それよりも、個人的注目はポーチ。
 実はワタクシ、前にイプサで貰った化粧ポーチをずーっと愛用しています。
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 もう定例になった、手作り化粧水用のイソフラボン液とハイドロキノンを購入。
イソフラボン液・ハイドロキノン手作り化粧水
 現バージョンの手作り化粧水の作り方と材料・効果は以下の通り。
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 何となく、デザインが好きな銃をあげてみます。
 ガンマニアということはないですが、平均的日本国民よりは銃に詳しいです。自動車や芸能人よりは圧倒的によく知っています。
 機能的なことはあまり興味がないので、純粋に見た目とギミックだけで選びます。

H&K P7


 スクィズ・コッキングという、グリップを握るだけでハンマーがコックされるユニークな機構を備えた銃。『ダイハード』の敵役ハンスが使っていて、手慰みのように「カキン」とコックしている様子が印象的です。
 銃のエロさのポイントの一つは、コッキング音です。欲情します。ベスト5には入れませんでしたが、『アンタッチャブル』で敵を追い詰めた主人公が、屋上から狙いを定めながらデコック(トリガー半押しにしてハンマーを戻す)するシーンも好きです。多分コルト・ロウマンだったと思うのですが、よく覚えていません。
 オシャレでほどほどリッチなオジサマだけれど、仕事は怪しげ、なエロさです。車はもちろんドイツ製。

GLOCK 17


 強化プラスティックを主な素材とするグロック。銃の好きな方には嫌う人も少なくありませんが、諦めきっちゃった感じ、工業製品と割り切っている様子がメガネ男子っぽいです。
 同じコンセプトでアメリカ人が作ったら、さぞかしつまらない銃になったことでしょうが、オーストリアですからね。メガネです

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 初代トークマスターが復活したので、最大の欠点「受信性能の悪さ」をカバーするため、トークマスター専用ブースター付きAMループアンテナAM-500を購入しました。
ループアンテナ
 箱を開けて見た最初の印象は「デカい!」。普通のコンポについているAMループアンテナより五周りくらい大きいです。写真ではサイズ比較のため横にペンを置いてみたのですが、アンテナの大きさを実感して頂けるでしょうか。
 AM-500は単なるループアンテナではなく、ブースター付きのアンテナ。単三電池を入れて、窓際などに設置します。
 ところで、トークマスターにはAM用のアンテナ端子がありません。
 ではどうやって増幅した信号を届けるのかというと・・・

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 先日ものすごい久々にゲーセンなどに行ったところ、ワニワニパニックのパーフェクトを目撃してしまいました。

ワニワニパニック

 わたしはワニワニパニックが結構好き、というか殴ったり蹴ったり全般が好きで、この日も確か87点くらいでなかなかのスコアだったのですが、パーフェクトには負けます。
 しかも、このスコアを出した人は悪いけれど運動神経が良いようには見えず、ちょっと悔しいです。
 ついでにプリクラ切抜きを貼り付けておきます。
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410610251X アラブの大富豪 (新潮新書 251)前田 高行 新潮社 2008-02

 日本でアラブやアラビア語に興味を持つのは、一つは文化的なチャンネル、イスラームやアラブの音楽、ダンス等といったものがあるでしょう(両者は一面で相容れないのですが)。
 もう一つ、石油というものがあります。
 わたしは専らイスラームからアラブに関心を持つようになり(もちろん、アラブ即イスラームでもイスラーム即アラブでもありません)、今も脳の80%くらいは神様に使っている狂人なのですが、アラビア語を学びはじめてから、学習者の一大勢力として、石油会社関係者など、ビジネスを主目的としている人たちがいる、ということに気付きました。
 サウジアラビアが世界最大の産油国であり、わが国のエネルギーが中東に大きく依存していることは、普通の日本人なら一応知ってはいるでしょう。
 しかし、「アラブ」という言葉からすぐに連想するのは、どちらかというと文化的側面、もしくはパススチナ問題や「イスラーム過激派」等ではないでしょうか。この「アラブ」のイメージは、(単によく知らないせいで)どことなく神秘がかっているか、あるいは「貧しい」「虐げられた」「闘っている」人たち、というものでしょう。
 でもアラブ、お金持ちです。
 正確には、アラブ諸国の一部、いわゆる湾岸諸国の方々は尋常ではなく大金持ちです。サウジアラビアの歴史を学ぶに連れ、石油の重さと、これに振り回されたちょっとコミカルなまでのドタバタを知るようになりましたが、前田高行さんの『アラブの大富豪』は、もう笑うしかないようなスーパーリッチたちを紹介した本。
 正直、個人的な関心の中心ではないですし、サウジアラビアの歴史概略などは聞き飽きた話でもあったのですが、むしろこういう話題の方が一般の方には面白く読めるのではないかと思います。小難しいことより、とにかくスケールが滅茶苦茶で笑えます。

 本書の中で、アラブ首長国連邦の一つドバイにある「世界地図の形のリゾート」というのが登場します。「ザ・ワールド」というのがそれなのですが、Google Mapsではここになります。
 撮影時期のせいなのか、角度のせいなのか、今ひとつ世界地図っぽくないです。
 こちらの画像だと、モロ「世界地図」です。
ザ・ワールド

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 チベットと中国とオリンピックについて、何か書いても至極下世話で神様ウケ1しないなぁ、と思って傍観していたのですが、CrowClawさんがブックマーク「痛いニュース:アグネス・チャン、聖火リレー妨害について「政治的なことは持ち込んでほしくない」」に対し、

アグネスもちゃねらーも解ってないな。スポーツと政治は対立概念じゃないし、五輪はスポーツそのものの政治化でありナショナリズムへの隷属化。五輪を開催すること自体が完全に政治的な行為なんだよ。

 とツッコんでいるのを見て、驚きのあまりパニクってポストします2

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  1. ish用語で「人間どものことはどうでもいいが、神様に祝福されっぽい」の意。神様ウケするとポワンポワーンとなってコメカミのLEDが光るのですぐわかる []
  2. 念のためですが、こんなその辺のマセた中学生にも自明なことを今更他人にツッコまれている人間が地上に存在した、という驚きです< 追記:CrowClawさんが「マセた中学生」という意味ではありませんw []

 先日表題作を取り上げたミヒャエル・エンデの短編集『自由の牢獄』。その末尾に「道しるべの伝説」という物語が収められています。
 商人の子として生まれた主人公ヒエロニムスは、空想的な物語を語る乳母の影響などから、奇跡を信じる信心深い少年に育ちます。彼は世界をどこか居心地の悪いものと感じ、自分のあるべき真の世界と「不思議」を求めます。
 実業の人である父は、宗教を重んじながらも、そこで語られる奇跡や不思議を否定し1、空想に耽る息子を叱咤します。
 父の死後、莫大な遺産を放棄したヒエロニムスは、奇術師に弟子入りします。しかしその奇術師も、忌の際に「奇跡などない、人は騙されるのが好きなのだ」と言い残し世を去ります。
 彼は「不思議」を信じていた心を裏切り、天才的「詐欺師」へと転進します。彼の奇術に人々は心地よく欺かれ、一国の財政の采配を委ねられるまでに至ります。
 ある時、騙された人々から逃れる途上、彼は偶然「真の奇跡の世界へと通じる清き心の門」を見つけます。奇跡を信じるのをやめた時、はじめて真の世界への道に出会ってしまうのです。その門をくぐるに自分は値しない、と考えた彼は、インディカヴィア、つまり「道しるべ」と名を変え、下界へと戻ります。
 インディカヴィアは奇術を続けますが、今度はそれがトリックに過ぎないことを明らかにし、「真の奇跡を証すためにこそ、芸を見せている」と語ります。「騙されるのが好き」な人々は、「率直」になった彼には魅了されません。落ちぶれたヒエロニムスは、ただ限られた人々にのみ、真の世界への道を示すことに専心します。

道しるべとは、それだけでは一片の板であり、値打ちもない。(・・・)道しるべはそこにかかれたことを自分では読めず、読めたとしても、何かわからないだろう。それに、道しるべはそれが指ししめすところへ決して自分では行けない。それどころか、道しるべの意義とは、それが立つところにとどまることにあるのだ。それはどこでもいい。ただ一箇所をのぞけばどこだって適所なのだ。その例外とは、それが指ししめすところである。そして、道しるべはそれが指ししめすところに立たないからこそ、そこへ通じる道をさがす人々の役に立つのだと。

 現代思想に少しでも触れたことのある人なら、ナイーヴとは知りながらも、シニフィアンの概念について想起しないでいられないでしょう。
 「道しるべ」として俗世に留まることを受け入れることで、物語は収束するかに見えます。ところが、インディカヴィアは、真の世界に旅立ったとばかり思っていた可憐な少女と、意外な場所で再会することになります。場末の売春宿です。彼女は売春宿の醜い女主人となり、真の世界などなかった、お前のせいで身を持ち崩した、と彼を責めるのです。
 希望を失った彼は、酒に溺れ、気が付くとあの「門」の前に立っています。門は「おまえが自分自身を裁けると思ったことへの仕置き」を与えた上で、彼を受け入れます。彼が道を「示した」人々は門を見つけることができず、信じる心を裏切ったインディカヴィア自身が、最終的に門をくぐるのです。

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  1.  こうした宗教の「二重性」はとても重要で、一般に多数派となった宗教は常に「ホンネとタテマエ」の構造を成し、「言行一致」させようとするファンダメンタルな態度や神秘主義を弾圧します。しかし、これは単に宗教的権威の実体が世俗的だからではなく、信仰そのものの本性に根ざしたものです。わたしたちが日常で「現実」と呼ぶような現実性、つまりイマジネールなものを宗教は否定しようとしますが、それが完全に無になってしまっては、信仰そのものが成り立たない。疑義の可能性を理屈上残し、これに抗いながら続く運動が宗教なのです。 []

 最近気に入っているアラビア語学習のためのpodcast。

ArabicPod

 動画もあります。

 フル動画やスクリプトを入手するには登録が必要ですが、podcastを利用するだけなら登録も不要です。
 先生と生徒の対話形式の講座で、ノリはかなりカジュアル。初歩的な内容がメインですが、ブリティッシュ・イングリッシュでかなり聞き取りやすいです。
 純粋にアラビア語の勉強、ということでも楽しいのですが、「英語圏の人はソコにツッコむのかっ」なポイントも面白いです。
 例えば、「ハル・タサーイドゥニー هل تساعدني」という「Will you help me?」みたいな意味のフレーズがあって、「ハル」はyes/no questionを作る疑問詞、「タサーイドゥ」は「help」、「ニー」は「me」みたいに説明されていくのですが、生徒が「え、じゃぁyouはどこ?」と質問するのです。もちろん、先生は「it’s a complicated problem」と大喜び(笑)。
 アラビア語に限らず、動詞の活用が厳密な言語を学ばれた方はおわかりでしょうが、「タサーイドゥ」という動詞だけで、既に二人称・男性・単数・未完了という情報が入っています1。英語圏の先生は「hidden subject」のような説明をされていました。
 日本語ネイティヴの場合、逆に主語が明示されないことに慣れてしまっていて、人称が違う表現をしようとして初めてハタと気づく、という形になるのではないでしょうか。同じ「hidden」でも、アラビア語の場合は動詞の活用という形で明示されているのに対し、日本語では文が主語なしで成り立つケースが多いため、まったく意味が異なります。
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  1. 厳密には、三人称女性単数未完了も同型のため、この単語だけでは弁別できない []
4560027722 恋するアラブ人
師岡 カリーマ・エルサムニー
白水社 2004-11

 先日、著者師岡カリーマ・エルサムニーさんにサインを頂戴してしまった『恋するアラブ人』。
 季刊「アラブ」に連載されていたエッセイをまとめられたもので、一気に読んでしまう素晴らしく楽しい本なのですが、この面白さをどう伝えるべきか、ちょっと悩みました。
 惹かれる点の一つは、「日本語ネイティヴ」が語るエジプト農村での子供時代、という素朴にエキゾチックな面。海外で育った日本語話者が幼年期を振り返る、というテクストは少なくありませんが、アラブ世界のそのまた田舎、というのは他で見たことがありません。
 ただ、そうした物珍しさが本書の最大の魅力なわけではありません。
 そもそも『恋するアラブ人』に収められているのは、カリーマさんの思い出に基づいたエピソードだけではありません。アラブの故事を巡る歴史エピソードや、アラビア語を巡る話題もあるのですが、そうした諸々が客観的知識としてポンと置いてあるのではなく、私的な領域と交錯しながら動的に展開していくのです。
 つまり「物語的」ということで、ほとんど良質の短編小説のように読める部分もあるのですが、その「物語」の「語り」が猛烈に上手い。上手いというか、コブシが利いていて「熱い」のです。
 先日、「生カリーマさん」のお話を聞いても思ったのですが、「こう来てこう来てここでドーン!」な話の運び方に天性のものを持っている方です。時々学校の先生で、余談が異様に面白い人というのがいて、卒業後数学や古文のことは忘れても、この余談だけは残っていたりするものですが、そういうタイプです。あの気が狂いそうなアラビア語文法をカリーマ先生に習っていらっしゃる方は、とても幸せだと思います(余談だけ残って文法を忘れてしまうかもしれませんが・・)。
 こういうノリをどこかで見たことがあります。ハードボイルド小説です。
 「テーブルの上にコップがある」と言えば済むことを「オレはテーブルの上にコップの存在を認めた」と書くのが、ハードボイルド小説です。要するに表現が動的で、静的な事象も自己との変化する関係性の中で表す、というスタイルです。
 いや、カリーマさんの文章は、こんな野郎くさいものではないのですが、棒高跳びのような躍動感があるのです。
 対象を客観的に記述するだけなら、こういうスタイルは必ずしも優れているとは言えません。安定した姿勢から、スナイパーのように狙い打つ方が的確でしょう。
 でも血沸き肉踊るのは、やっぱり馬賊のモーゼルのような文章です1。馬の上から十発に一発当てる方が、百発百中のスナイパーよりカッコイイです。
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  1.  この骨董品同然の銃のデザインが、一周回ってちょっと未来っぽく見えてしまうのは、わたしだけでしょうか。個人的に結構好きです。 []
B000M7XQ2U ジャーヘッド
ジェイク・ギレンホール ジェイミー・フォックス ピーター・サースガード
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン 2007-04-01

 何気なく見始めたのに、吸い込まれて目が離せなくなりました。従軍兵士たちが丁度同世代ということも、魅力的だった理由の一つかもしれません。
 湾岸戦争を舞台にした、「戦わない戦争映画」。
 あるのは頭をカラッポにさせる訓練と、粗野な男たち同士の諍い。砂漠に赴いてもひたすらに待機が続く。
 半年待って開いた戦線でも、一発も撃たない日だけが過ぎていく。
 死体写真家の釣崎清隆さんが、インタビューで「基本的に戦場っていうのは暇な場所なんだよ」と仰っていたのを思い出しました。

 わたしは、戦争というのは穴を掘らされることだと考えています1
 自衛隊に入ると、まず穴を掘る訓練をさせられる、と聞きます(本当かどうかは知りません)。
 掘って掘って、それから掘った穴を埋める。
 多分、戦争ってそういう感じだと思います。

 犯罪は楽しい。
 人殺しも、多分、結構楽しい。
 でも戦争は最低だ。会社より学校より主婦どもの公園より最低だ。ナカマとトモダチがいる限り。

  1.  この辺は「『誇りを持って戦争から逃げろ! 』 中山 治」に書きました []

 「アラブの音を聴け」で常味裕司さんのウードを初めて聞かせて頂いた(というか初生ウード)のですが、アラブ音楽素人にとって一番有名なウード奏者と言えば、ナシール・シャンマ
 常味さんには失礼なのですが、ナシール・シャンマの圧力は確かに尋常ではないです。
 のんびりした「民族音楽」なイメージでは全然なく、「イングヴェイ・マルムスティーンかっ」な超絶テクを見せてくれます。


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 カフェバグダッド「アラブの音を聴け」にお邪魔し、ミーハーにも師岡カリーマ・エルサムニー先生のサインを頂戴してきてしまいました。
師岡カリーマ・エルサムニー先生のサイン
 ウード奏者の常味裕司さんと、声楽を学ばれたカリーマ先生のトークセッション。
 初めて聞く「生ウード」も楽しみでしたが、正直、最大のお目当てはNHKラジオ・ジャパンのアラビア語アナウンサーでNHKテレビ「アラビア語会話」講師として知られるカリーマ先生。と書きつつ、何せ「アラビア語会話」は半年単位でリピートしまくっていますから、きっとご本人にとっては過去の話で、「アラビア語会話のカリーマさん」と紹介されるのにも飽き飽きしているのだろうなぁ、とちょっと胸が痛みます。
 アラビア語会話は全回チェックしているのですが、「動くカリーマ先生」を見るのは、今回の「生カリーマさん」が初めて。というのも、我が家には録画予約する機器が一つもなく、全部録音で音だけ聞いているからです。後半の「文化コーナー」ではめくるめく風景が紹介されているらしいのですが、一度も映像を見たことがありません(笑)。音を聞きながらググッって「鳩の塔ってこんな感じか!」と想像している、ハイテクなんだかローテクなんだかわからない楽しみ方をしています。
 「アラビア語会話」をご覧になった方は御存知でしょうが、カリーマ先生は取り澄ました知識人という方ではなく、紛れもなく「生まれながらのエンターテナー」アラブの血が踊っている「オモロイ」先生で、おまけに超美人。口八丁手八丁で浅く広い知識を合わせ一本にする技術ではそうそう人に負けない自信がありますが、カリーマ先生は「本物」ですから、ちゃんと深いです(笑)。
 今回のトークでも冴えまくっていたのですが、一番面白かったのが「サッカーを見るたび知らぬ間に神の名を叫ぶ」とでも呼びたい話題。
 歌舞伎でも屋号を叫ぶ習慣がありますが、アラブ音楽でも感極まった時には聴衆が「合いの手」を入れるそうです。そうした中、最も一般的なのが「アッラーフ」、つまり神の名である、とのこと。
 そしてかつてイスラーム支配下にあったイベリア半島で、この言葉がなまって定着したのが「オーレ!」の掛け声。つまり、サッカーの応援をされている方は、知らぬ間に神の名を叫んでいるわけです。
 このエピソードは、単なる居酒屋トークネタとしても面白いのですが、信仰と「問い」について考える契機にもなります。
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 アメリカ空軍のサイトがかっこよすぎます。
 圧巻はDo Something Amazing。これでは、田舎のヤンキー(文字通り)が「オレもF16で皆殺しだぜ!」な盛り上がり方をしても仕方ありません。
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 「2008年度NHKラジオ講座とトークマスター」でサン電子のトークマスターのことを書いたのですが、わたしの初代トークマスターが復活しました。
初代トークマスター
 故障して放置してから大分経っていたので「そもそも何ができかったんだっけ?」と久々に取り出して確認したところ、メモリの認識がおかしくなっていたのでした。
 内部メモリをすべて消去して録音しようとしても「FULL」という表示になってしまい、録音できません。
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 日本で二十人くらいはクスッとしてくれるかしら。

 先日書いたような予定で、ビジネス英語とフランス語・アラビア語で今年度もNHKラジオ講座を利用し始めたのですが、早くも入門ビジネス英語にがっくりきています。
 いくらなんでも緩すぎます。
 これなら、実践ビジネス英語(旧ビジネス英会話)を二回ずつ放送してくれた方がまだ良いです。
 何だかNHKラジオ講座は年々緩くなっていっている気がします・・。
 ちなみに「まいにちフランス語」も危険です。
 まだ応用編を聞いていないので何とも言えませんし、元々入門編はどうでも良いのですが、応用編もおちゃらけていたら、アンコール フランス語講座に切り替えようかと思っています。
 ネットラジオならもっと色々チャンネルはあるのですが、やっぱりアナログくさい機器で聞きたいんですよねぇ。
 数少ない娯楽が・・・。

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