そろそろ帰省ラッシュですが、今年のお盆は(も)一日も休みませんでした。特に「夏休み」というのが決まってない現場にいるので、各自三々五々休んでいるのです。わたし個人は特に「夏休み」は取らないつもりです。
「好きな時期に」といっても、ご家族のある方などはやはりお盆に休みたいでしょうし、周囲では「一週間お休み」という話も聞きます。
そういう時「わたしは働いてるのに」とか思うかというと、似たような働き方をされている方にはわかると思うのですが、全然そんなことはなくて、むしろ休んでくれて有難いくらいです。
Read the rest of this entry
Googleストリートビューを巡る議論が相変わらず華やかで、わたしもチャカしただけのしょうもないエントリを上げましたが、この件が「プライバシー」という観点からの議論に収斂してしまい気味なのを、少し恐ろしく感じています。
勿論、法的な意味での「プライバシー」的問題は語られてしかるべきでしょうし、ご専門の方にはむしろ大いに考えて頂きたいのですが、それだけでは、今わたしたちが感じている妙なムズ痒さというか、エロティックな点が今ひとつ見えてこない気がします。
Read the rest of this entry
フェロモンボディのボディソープを買いました。
スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価の高いフェロモンボディですが、同じ「フェロモンボディ」という名前の商品が複数販売されています。
一番メジャーなのはプラセス製薬で、フェロモンボディ・プレミアム、フェロモンボディ フェイス・ソープ、ベリーベリー・フェロモンボディ、フェロモンボディ・トロピカルマンゴーなどはこのメーカーのシリーズです。
それから、ラブコスメティックのフェロモンボディ。ラズベリー系の香りで、お値段はちょっと高めなものの、一番評価が高いのがラブコスメのようです。
もう一つ、三和通商の「ナチュラルバスソルト・フェロモンボディ」というのがあるのですが、使ったこともなく評価も目にしないので、今ひとつ正体がわかりません。「フェロモンボディ」という名前だけなら、他にもあるかもしれません。
わたしが購入したのはプラセス製薬のフェロモンボディ。
今までソルト系のボディソープはほとんど使ったことがなく、もっと「引き締め!」効果的なものかと思っていたのですが、想像したいたよりずっと優しい使い心地でした。何より香りが良いです!
フェロモンボディはペースト状?になっていて、液体のボディソープには敵いませんが、固形石鹸よりずっと使いやすいです。ボトルの中はこんな感じ。
Read the rest of this entry
![]() |
岩波イスラーム辞典 大塚 和夫 岩波書店 2002-02 |
やっと買いました。『岩波イスラーム辞典』。
欲しくて欲しくて、もう何ヶ月も買おうか、来月にしようか、グルグル回った挙句、ようやくご購入です。
イスラーム関係の辞典はいくつかありますが、書店で手にとっても、レビューをチェックしても、『岩波イスラーム辞典』こそ定番中の定番であり、本当に値打ちのある本なのだ、ということはわかっていました。
でも高い(笑)。
『エクリ』邦訳全三巻2万超に比べればお手ごろですし、美容にかけているコストをほんの少し辛抱すれば済むことなのですが(笑)。貧乏性なので、「通読しなきゃ」とかいうよくわからない強迫観念に取り付かれそうで恐ろしいです。
アマゾン・マーケットプレイスに安い出品があったので、やっと重い腰が上がったわけですが、これは本当に素晴らしい!
というか、この内容でこの値段は安すぎます。ぼんやりめくっているだけでも実に楽しいです。
一つだけ難点を言えば、アラビア語の用語もラテン文字表記されていることでしょうか。できればアラビア文字表記と併用して欲しかったです。
ラテン文字表記だと、漢字がローマ字で書いてあるようで、直観が妨げられる感じがします。でもこの発想はかなり「漢字文化圏的」で、当のアラブ人はずっと音声中心的なのかもしれません。
アラビア語のラテン転写やアラブ人名のラテン表記が混乱を極めている一因には、本人たち自身が、どこか「音さえ合ってれば何でもいい」的なことがあるような気がします・・・。
ちなみに、辞典というとR・シェママの『精神分析事典』も素晴らしい「お買い得商品」で、わたしの中では『岩波イスラーム辞典』と「二大ステキ辞典」な位置づけです。両方持っている論理積な人は無意味にレアだと思いますが・・。
全然関係ないですが、辞典の「無敵感」と雨の日の長靴はちょっと似ています。
虫が睡眠をとるものなのか、正確なところは知らない。
睡眠の定義や「効率的な睡眠」を語る者たちは実に醜い。醜いということは、滅ぼさなければならないということだ。
眠っているのかどうか知りたければ、本人に聞いてみればよい。
「ねぇ、寝てるの?」
君は答えない。
夜は大抵、何も答えない。
夜とはただ問うことであり、現実的なものの介入なしに、終わりを見ないもののことだ。一瞬気を失い、気がつくと朝になっている。
「ねぇ、寝てるの?」
君は答えない。
つまり、これがわたしの欲望なのだ。
![]() |
ムハンマド―イスラームの源流をたずねて (historia) 小杉 泰 山川出版社 2002-05 |
小杉泰先生によるムハンマド伝。読み物としてはムハンマド伝としては、以前にご紹介した鈴木紘司さんの『預言者ムハンマド』の方が面白かったですが、『預言者ムハンマド』がムスリムによる預言者伝なのに対し、『ムハンマド―イスラームの源流をたずねて』は非常に「日本人的」な視点によるもの。イスラームについての予備知識がなく、距離をおいて眺めたい時には、こちらの方が入りやすいのかもしれません。
実際にイスラーム世界のどこかに滞在してみるとわかることであるが、「ムスリムはアッラーを信じている」という表現は適切ではない。彼らはアッラーが実在することを前提に暮らしているのである。それは、私たちが空気が存在するのを自明視している程度に、自明なこととみなされている。(・・・)
しかし、日本人の目から見れば、そうではない。唯一神の実在は、理念であると思える。私は言う――だから、理念は人間にとって現実なのである、という観点からそれを見るべきだ、と。友情が現実だと思うのであれば、同じように、唯一神や預言者が現実でありうると考える必要がある。
それゆえにこそ、神様を信じることは、始まりであって終わりではないし、問いであっても答えではないのです。
少なくとも、わたしにとって、神様は「発見したもの」「出会ってしまったもの」です。出会いは解決ではありません。それどころか、大いなる問いの始まりにすぎません。
「一体これは何だ、この身体に張り付き、一瞬も離れることのない、世界そのものとは!」。
Googleスチリートビューの撮影カメラ - 教えて!goo
質問:
Googleスチリートビューの撮影カメラ
Googleスチリートビューのサービスがはじまりましたが、撮影に使用したカメラってどんなカメラなんでしょうか?回答:
Google Maps Street View ですね。しかし、こんなもの使われるとオチオチ外も歩けませんね。アメリカでは問題になっているようです。カメラはこんな感じです。
http://www.gizmodo.jp/2007/06/post_1614.html
ご質問の「カメラ」ですが、Immersive Media という会社のものらしいです。
http://www.immersivemedia.com/お礼:
ありがとうございます
なるほど 違うカタチのカメラもあるのですね回答:
http://www.gizmodo.jp/2007/07/ladybug2.html
日本ではプリウスにそのカメラを載せて…とかいろいろ言われてますね。
http://gizmodo.com/gadgets/pics/google-streetview-camera-vehicles-spotted-all-over-us-283159.php
http://google-streetview.seesaa.net/お礼:
ありがとうございます
形のおもしろいカメラですね
カメラのことを教えてあげるのも結構ですが、もっと根本的なところにツッコんであげた方が当人の為だと思いますよ・・・。
面白いボケ方をしたので貼ってみる。
溶けていくように半分ボケている。
脳の中身も半分ボケている。
全部ボケられるように、一所懸命勉強したい。
バカになるのは、賢くなるのよりずっと難しく、ずっと素晴らしい。
沢山勉強して、断食したり行を積まなければ、ちゃんと裸の大将になれない。
でも、最近結構脳みそ溶けてきた。あと十年くらいあれば、虫かごかけて旅に出られるんじゃないかと思う。リビアあたりに。
全然関係ないけれど、この時一緒にいた人が、結構なインテリなのにモーリタニアの場所を知らなくてびっくりした。モーリタニアは西アフリカの、モロッコの南側の国です。正確には「西サハラ(サハラ・アラブ民主共和国)」という国が間にあるけれど、モロッコが実効支配していて、現時点では日本は承認していません。
スーパーの海産物コーナーで「モーリタニア産」のイカやタコが結構あるので、ご家庭の主婦なら聞いたことがあるはず。
裸の大将は、きっとモーリタニアの場所ならすぐ地図で示せると思う。
でも分数の掛け算とか名刺の渡し方とか職場での正しいお菓子の分配法とか、そういうのは出来ないに違いない。
ハーリジャ・ブン・ザイド・アル・アンサーリーによると、預言者に忠誠を誓っていたアンサールの女、ウンム・ル・アラーゥは語った。アンサールがムハージルーンの住まいについてくじを引いたとき、ウスマーン・ブン・マズウーンが当り、彼は私たちの元に留まることになったが、しばらくして病気にかかり、看病の甲斐もなく遂に死んだので、私達は彼を衣に包んで葬った。このとき神の使徒が私たちのところに入って来たが、私は死者に向かって「アブー・サーイブよ、アッラーがあなたを憐れみ給うように。そしてアッラーがあなたを栄えあるものとされたことを私は証言します」と呼びかけた。すると預言者は「アッラーが彼を栄えあるものとされたとどうしてわかるのか」と尋ねたので、私は「神の使徒よ、私にはわかりません」と答えた。そこで彼は「ウスマーンはもう死んだので、彼の冥福を祈るのだが、わたしは一介の神の使徒の身、アッラーが彼に何をなさるか、わからない」と言った。これを聞いてわたしは非常に悲しく思い、それ以後決して死者を褒め讃えることをしなかった。ところである晩、私は夢でウスマーンがこんこんと湧き出る泉のほとりにいるのを見たので、これを神の使徒に話した時、彼は「それは彼の行いの賜物だ」と言った、と。
(ブハーリーのハディース)
Googleストリートビューの厚顔ぶりが話題になっていて、個人的にもあまり面白くないのですが、「写すな」とかばかり言っていてもつまらないので、むしろ積極的に写る、あるいはGoogleに写す気をなくさせる、という方法はないでしょうか。
家にYahoo!のロゴをでっかく描いてみる、常にYahoo!のTシャツを着て歩く、とかいうネタを考えたのですが、それくらいGoogle様は全然気にもしないでしょう。Google様の幾多の悪行を批判する垂れ幕なんかでも、まだダメっぽい。
そんな政治性はまるっきりなしで、普通の営業広告をどかーんと出してみるのはどうでしょう。実際、今後「ストリートビューの名所」みたいなものができたら、そこに露出するだけでかなりの広告効果が見込めると思うのですけれどね。一周回って物理看板の復権!みたいな。
いっそその看板にAdSenseとか付けられないですかね。あるパターンの垂れ幕みたいの吊るしておいて、Googleのカメラがそれを認識すると、自動で文脈に合わせた広告がハメこまれるわけです。もう、アフィリエイターがこぞって垂れ幕ですね。webで一発逆転!と思っていたのが、千年前からある地主パワーに屈するわけですが。
怪しげなSEO業者もどきみたいのが現れて「ウチのビルの前はGoogleの撮影車がよく通るんですよ! こちらに更新頻度のグラフがあります」みたいな話になると面白いですね。「Googleの撮影車が通りやすくする五つの方法」とかがホッテントリになるのです。
でもいくら頻繁に更新されたからと行って、アクセスがなければ意味がないわけで、よくアクセスされそうな場所というのは、結局物理世界で人気のある場所ですよね。渋谷駅前とか、実際の世の中と一緒になってしまうわけです。
少し違うのは、「物理的には誰も立ち寄らない場所だけれど空から見ると面白い」、ヘンな形の島とか、ナスカの地上絵とか、そういう場所が特殊な不動産価値を持つようになるかもしれません。いや、ナスカの地上絵は今だって値打ちありますし、あそこに広告書くわけにもいかないでしょうが、前に紹介したドバイの世界地図の形の島なんて、もともと商業ベースでやっている話なのですから、衛星写真向けの広告とか打っても不思議ではないでしょう。あ、これはストリートビューじゃなくて、従来からのGoogle Mapsの話か。
衛星写真向けの広告、というのは誰でも考え付きそうで、既に行われているんじゃないかと思うのですが、これはかなりコストをかけないと実現できません。もし同じことをストリートビュー用に実践するなら、衛星写真向けよりは低コストなはずです。そう思うと、広告媒体としての「見られる物理世界」は、ストリートビューのお陰で庶民の手に降りてきたのかもしれません。
というような世界観がシャレじゃなくなりかねないので、やっぱりGoogle化はものすごい気持ち悪いですけれどね。
うわー、髪超可愛いねー!
自分でやったのー?
とかアホなこと言いながら激写していたら、羽の外側の硬いところをモジモジさせて、離陸する気配を見せる。「それ、触覚やっちゅうねん」とか思ってウザかったのかしら。
でもその姿がまたカッコ良くて、しつこく迫っていたら、ついにお飛びになった。
怖い。
甲虫飛ぶと、もんすげー怖い。
トンボが飛んでもそんなにびっくりしないけれど、こういう硬い系の「もう飛ぶのあんまり得意じゃないんだよね」な人が遂に飛んだ時は、マジギレ!って感じで手に負えない。もう謝るしかない。
攻撃なのか単にテキトーに飛んできただけなのかよくわからないけれど、ブブブブッとか言いながらこっちにやって来た。とっさに蹴りを出しかけたのだけれど、ヒールでうまく蹴れない。というか、この場合蹴りは良いオプションじゃない。
はっきり言っておく。格闘技では虫に勝てない。
パンチやだし、キックも的が小さくて速過ぎやん。寝技とかもう全然無効。
で、反射的に「おわぉおっ!」とか叫んでた。
びっくりして叫んだというより、攻撃の一種として叫んだんだと思う。気持ちの中では「弾幕」みたいな。
でも全然利かない。バリア無効。
Read the rest of this entry
アブー・フライラによると、彼が預言者のもとにいたとき、一人の男がやって来て、「私はもうだめです」と言ったので、預言者が「それはまた、どうしたのだ」と尋ねると、男は「断食中、妻と交わってしまいました」と答えた。そこで預言者が「お前は自由の身にしてやれる奴隷を持っているか」と尋ねると、彼は「いいえ」と答え、「では二ヶ月間続けて断食できるか」と尋ねると、「いいえ」と答え、さらに「六十人の貧者に与える食べ物があるか」と尋ねたときも、「いいえ」と答えた。預言者はしばらくじっとしてたが、このとき、なつめやしの入った大きな籠がもたらされると、彼はその男に「これを持って行って、その中から施しなさい」と命じた。するとその男は「これを私より貧しい人に与えるべきでしょうか。神かけて申しますが、メディナの二つのハッラの間に私の家族より貧しい家族は居りません」と言った。これを聞いた預言者はからからと笑い、「では、これをお前の家族に食べさせなさい」と言った。
(ブハーリーのハディース 断食の書 牧野信也訳より)
![]() |
イスラームとは何か―その宗教・社会・文化 (講談社現代新書) 小杉 泰 講談社 1994-07 |
かなり今さらですが、読んでいなかったので読みました。小杉泰先生の『イスラームとは何か―その宗教・社会・文化』です。
「イスラーム入門新書」系で最も売れている本の一冊だと思いますが、実際非常にバランスが良く、イスラームについてまったく知識のない人でもすんなり入っていけます。
イスラーム概説のような同じテーマを色々な著者を通じて読んでいると、内容とは別に研究者のオーラを感じられて面白いです。小杉先生からは「大きくて優しそう」な印象を受けます。ちなみに、わたしが勝手に同じような優しさを感じているアラブ・イスラーム関係の先生に、もう一人本田孝一先生がいらっしゃいます。
『イスラームとは何か』での個人的な最大の収穫は「アブー・フライラ」でした。ハディースの七教友の一人で、ハディースを読むとこれでもかというくらい名前を目にします。「夜の三分の一を睡眠、三分の一を礼拝、三分の一を学習に充てた」というエピソードが有名ですが、この名前が「仔猫のお父さん」という意味だということに、恥ずかしながら本書で初めて気づきました(ハディースは翻訳でしか読んでいないです・・)。
猫はhirratunですが、アラビア語には指小形という「かわいいもの」を表す形があって(ロシア語などにもあったと思う)、○u○ay○unという母音構成になります。hirratunをこの形に変形すると、hurayratunになり、最後のtunは発音されないのでhurayraだ!と気づいて、すごく嬉しくなりました(「アブー」はお父さんの意)。英語圏ではAbu Hurayra, Abu Hurairahなどの表記が見られます。
子供の頃の猫好きっぷりから「猫オヤジ」とあだ名され、そのまま千年以上の未来にまで伝えられてしまっているわけです。
アブー・フライラのみならず、預言者本人も猫好きで知られていて、一般にイスラームは「猫贔屓」です。ハディースには、猫を閉じ込めて餓死させた女が地獄に落ちるお話があります。
それに比べると犬はボロクソな扱いなのですが、犬をポジティヴに扱っている貴重なハディースに、正にアブー・フライラ伝によるこんな一節があります。
Read the rest of this entry
1976年版Hans Wehr Arabic-English Dictionaryを購入しました。
Hans Wehr Arabic-English Dictionaryの最新版は1993年版ですが、アマゾンのレビューで「旧版の方が大きさが手ごろだった」というコメントがあった他、「アラビア書道とその周辺」さんのエントリにも「76年版はコンパクト」とあったので、たまたまマーケットプレイスに出品されていた1976年版を購入してみました。
確かにコンパクトで持ち運びに便利です。パスポート初級アラビア語辞書と比べるとこんな感じ(厚さはHans Wehrの方があります)。
テレビの凋落が指摘されるようになって久しいです。地上波デジタルへの移行が近づくに連れ、ますます目にする機会が増えているようです。
たけくまメモ「竹熊さん、インターネットはヤバイですよ。」もそうした「既存メディアはもうダメ」論の一つとして、面白く拝読したのですが、これを読んでいる時にふと思ったことがあります。
現在のネット上における「テレビヤバいよね」論の主流には、「ネットが普及した結果、テレビの意義が相対的に低下した」という認識があるのではないかと思います。これは端的に事実でしょうし、広告収入の減じた結果、追い詰められたテレビがますます品性下劣な方向に走る、という現象もあるのではないかと思います。
ただ、ネットが普及する以前から広義の「テレビ批判」というのはあって、これとの関係から、「テレビはもうダメ」観の中には二つの流れがある気がするのです。
Read the rest of this entry
東京外国語大学中東イスラーム研究教育プロジェクトによるNews from the Middle East 日本語で読む中東メディアという素晴らしいサイトがあります。アラビア語、ペルシア語などの現地新聞を翻訳して掲載してくれているサイトです。原文へのリンクもキチンとあるため、勉強にももってこいです(日本と一緒でしばしばリンク先が消えていますが・・)。
ただ、残念なことにこのサイトはRSSフィードがありません。既存ツールで生成しようとしてもうまくいかなかったため、自前でRSSフィードを作成しました。
以下のRSSをFeedしています。
アラビア語新聞
ペルシア語新聞
トルコ語新聞
その他の新聞
最新ニュース一覧
Read the rest of this entry
アスタキサンチンはカロチンの仲間で、ビタミンEの約1000倍以上の抗酸化力を持つという抗酸化物質。美白・美肌に効果があるとされる他、糖尿病の予防や眼精疲労・痴呆対策にもなる、とのこと。サケ、イクラ、カニ、エビなどに多く含まれています。
これだけだと「またか」という感じで、単なる次の「抗酸化」商品の一つとか思えません。何かのニュースで「抗酸化」物質を多く摂っている人の方が早死にしている、というのも見たことがありますし、サプリオタクのわたしですら食傷気味です。
一つ面白いと思ったのは、アスタキサンチンが血液脳関門を通過する、というポイントです。
血液脳関門というのは、簡単に言えば脳に流れ込む物質をフィルタリングしてくれているゲートです。脳内ではさまざまな神経伝達物質が働いていますが、そうした物質が食品から血液を通じて脳内に直接入ってきてしまっては、食べるもの一つで情報が大乱れです。
一時期「ギャバ含有食品」などというものが売られていました(お漬物などに多かった)。確かにギャバには鎮静作用があり、ベンゾジアゼピン系のマイナー・トランキライザなどはこの作用を利用しているものですが、ギャバそのものはいくら食べても脳には届きません。血液脳関門が弾いてしまうからです。柴漬けをドカ食いしてやたらに心が落ち着いてしまっては大変でしょう。
そういうわけで、神経伝達物質系の含有を謳っている健康食品などは気休めでしかないと思った方が良いのですが、明白に「血液脳関門を通過する」とされているアスタキサンチンはちょっと面白いです。
アスタキサンチンにはドーパミン神経細胞の細胞死を抑制する働きがあり、そのためパーキンソン病や痴呆症の予防効果があるとされていますが、血液脳関門を通過するというなら、あながち新手のオマジナイ物質とも言えません(ただし細胞死抑制が検証されていたとしても、即パーキンソン病予防につながるとは言えないはず)。
また、眼精疲労に効果がある、というのもこの性質と関係しており、アスタキサンチンは網膜への血流をフィルタしている血液網膜関門も通過してしまうそうです。
ちなみに、「糖尿病予防」の効果は、アスタキサンチンにアディポネクチンを増やす働きがあるため、とのこと。アディポネクチンは脂肪を燃焼し血糖値を抑える働きがあるとされていて、以前にエントリを立てたこともあります。
ただ、本当に文字通り直で通過してしまうとなると、大量摂取で副作用が出ないものか、心配になります。普通の食品から摂っている分には過剰摂取はまずあり得ないでしょうが、摂取上限や副作用について明示しているものが見当たりません。
それでも、眼については色々しんどい思いをしているので、眼によろしいとなれば気をつけて摂ってみようかな、とも思います。一般に販売されているアスタキサンチンのサプリメントはヘマトコッカスという海藻からアスタキサンチンを集めているものが主流です。海藻のアスタキサンチンが、食物連鎖の結果よく蓄積されているのが、サケ、イクラ、カニ、エビなどの「赤い」魚介類ということです。個人的には、魚介類も海藻も普段から良く食べているので、特別食生活を変えるほどのこともないかと思いますが・・。
ちなみに、「眼に良い」ことでは一番有名なブルーベリー等のアントシアニンですが、こちらは良く知られている割に根拠薄弱で、疑似科学の疑いが強いようです。
眼が疲れたらブルーベリーよりカニ食べとけ!ということでしょうか。
![]() |
超臨界抽出アスタキサンチン 250g*60球入 井藤漢方製薬株式会社 |
メレ子殿が大久野島に行かれたようです。わたしが行った時とびっくりするほど見るポイントがかぶっているので、面白くなってきます。本当に小さな島で、写真を撮る場所も自ずと決まってくるのですが・・1。
わたしが一番カッコイイと思った発電所跡ですが、ここは彼女の書いている通り、内部は立ち入り禁止になっています。わたしは迷うことなく柵を乗り越え、震度3くらいで崩壊しそうな内部の写真をバシバシ撮ってきてしまいました。「入るな」と書いてあると、デフォルト入ります。
で、この内部ですが、刑事ドラマの銃撃戦がありそうなカッコイイ廃墟っぷりだけでなく、実はもう一つ予想もしないものが出迎えてくれます。
Read the rest of this entry
年々病的に人付き合いが悪くなっていく自分が一周回って面白くなってきて、いっそ「死ぬまで業務以外で人と会わない」ゲームにしてみようか、などと妄想しているこの頃ですが1、この間の連休は大阪の旧友を訪ねてきました。
旅が苦手なこともあって、行く直前まではキチンとバッドなのに、会うと不思議なことに楽しいです。
この感じを、
「大阪まで新幹線乗って何しに行くねん」とスネた気持ちになってしまうのがデフォルトなので、修行だと思って行きます。行けば結局楽しいし。
これは薬に似てるね。
マイナ・トランキライザとか、飲む前は「こんな問題が薬なんかで解決するわけがない!」と思っているのに、飲むとちゃんと解決するし(笑)。でも飲むまで思い出せないんよねぇ。
とこれまた荒んだ例え話で表現するメールを送ったところ、この「会うとうっかり楽しくなっちゃう」がお風呂に似ている、というお話を教えてくれました。
文中「僕」がわたしのお友達です。
Read the rest of this entry
「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。
SPF30 PA+++と、日常使いに最適のお気に入り下地。良く見てみたら、「日やけ止め乳液」と書いてあります。
何が何でもノンケミカル!という方にはNGですが、とても優しい付け心地で、目の周りにも毎日使っていてトラブったことはありません。お値段的に、あくまで日常使いの顔専用ですけれど・・。
アラビア語に「أصبح アスバハ」という、「○○になる」を表す英語のbecomeに相当する動詞があります。
語源的には「صباح サバーフ」朝から来ていて、「朝になる」が転じて「○○になる」一般を意味するようになったようです。
一見頓狂のようですが、morningだって形は進行形です。こちらも夜明けの到来を示すmorwenが語源で、tomorrowとも同根です。
わたしたちは、朝というと(厳密には定義できないものの)「何時から何時」というタイムスパンを指すようなイメージに支配されていますが、考えてみれば夜が明けて朝になるというのは、クッキリと「朝」が出現するものではありません。夜だったものが段々空が白んできて、「光が、光が、朝が、朝が、朝になっていく!」という、動的なイメージがプリミティヴな水準ではあったはずです。
何かに「なる」というのは、不安なことです。いつから「なっ」たか、よくわからないからです1。
「大人になる」というのは意味がよくわかりません。二十歳になると機械的に「オトナ」になって、誕生日の朝に目覚めると「オトナ」ならではの諸機能がバッチリ実装されている、とかならわかりやすいのですが、そうはできていません。東の空が白くなって、少しずつ少しずつ明るくなるように、わたしたちは「大人にな」ります。
でも、これでは不安でたまらないので、元服やらバンジージャンプやらで区切りを付けるて象徴化するのです。
「死ぬ」のも一緒で、今なら病院の心電図が平たくなったら「ご臨終です」と言えるのかもしれませんが、元々は死にかけていたものがいつ生死の境界を越えたのか、それほどハッキリしたものではなかったはずです。心臓が止まっても蘇ることがあるくらいですから、死んだと思って埋めたものが、蘇ってきて「遺産相続はまだ早い!」と文句を付けてくるかもしれません。ですから、「死」というのは生物学的な現象ではなく、そこにバインドされた象徴概念であって、この境界を強化するために戒名を付けたり、二度と生き返らないようにキッチリお葬式をやったりするわけです。墓石というのは、穴を掘って人間を叩き込んだ挙句、逃げ出さないように重しを乗せているようなものです。
ですから、「二十歳になったら選挙権」のような区切りというのは、すべからく「嘘」です。そんなにクッキリ「オトナ」になどなるわけがありません。嘘なのですが、とても有難い嘘であって、嘘(象徴化)のお陰で、わたしたちは「なる」の不安から解放されているのです。
Read the rest of this entry
アマゾンの書評などを見ていると、時々「誤植が多い」とコメントされている本があります。
もちろん誤植はないに越したことはないのですが、個人的には余程度が過ぎない限り気になりません。むしろ放送事故のような生々しさがあって、嬉しいくらいです。
最近エジプト人の先生に師事してアラビア語を習っているのですが、彼との授業で使っている教科書は、アラブ圏における外国人向けアラビア語教科書としては定番中の定番で、なかなかオーソリティもあるものらしいです(当然すべてアラビア語)。ところが、この教科書には平気で誤植が転がっています。授業の時にも「あぁ、そこ違うから直しといて」とサラリと言われます。アラブらしいと言えばアラブらしいですが、むしろ誤植にやたら目くじらを立てる日本人の方が少数派な気もします。誤植を直すのも勉強の内じゃないですか。
余りに数が多ければやはり問題ですし、特に教科書のような本ではシビアだとは思いますが、間違った印刷、読みにくい文字を乗り越えていく時にこそ、真に柔軟な知性が発達するものでしょう。
Read the rest of this entry
兄弟間の相続に差異がある場合、その民族は「人や文化の間には決定的な違いがある」個別主義・本質主義的な世界観を発達させ、一方兄弟間の分配が平等な場合、普遍的「人間」の思想を発展させる傾向がある。
これはエマニュエル・トッドが『文明の接近』などで展開している論で、文字通りに受け取るには余りに乱暴な還元論ですが、眉に唾しつつ思考のきっかけとして使うには、なかなか興味深いお話です1。
日本は典型的な「兄弟間格差」システムで、兄弟と言っても兄(とりわけ長兄)と弟には絶対的差異があり、brotherに相当するような概念がありません。もちろん「兄弟」ということで「同じ親から生まれた男たち」を示すことはできますし、brotherにだってelderやらyoungerやらあるわけですが、brotherの本質は「オレたち年も性格も違うけど、同じ< 父>の元で等しくブラザーだぜ!」な「平等感」です2。
日本的システムにあっては、この水準での「根源的平等」が欠落しているため、普遍的< 人間>の概念も育ちにくい一方、「違って当たり前」「色々あって良し」という寛容さが共有される傾向がある、と言えるでしょう。こうした思想は「文化本質主義的」ですが、翻せば諸文化を貫通する「本質」への信が薄い、ということです。
逆に< 人間>という普遍概念が強いシステムは「相対主義的」に振舞いますが、この「相対」は比べる軸があっての「相対」であって、軸そのものが相容れないシステムと出会うと、途端に不寛容さを示す場合がある、と言えるでしょう。
Read the rest of this entry
クルアーンの「食べてはいけないもの」を列挙している下りに、「墜落した獣」というような表現があります。
崖から落ちて死んだヤギとかは、食べてはいけないのです。
なぜ墜落した生き物を食べてはいけないのかについては、イスラーム内的にも外的にも色々な理屈付けがあるのですが、そんなことより、「墜落死したどうぶつ」というフレーズがツボにはまってずっと気になっていました(スイマセン)。
ヤギだってそんなにしょっちゅう足を滑らしたりしないでしょうに、わざわざ一項を設けて注意することですか。
というような話を、先日友人にしたところ、衝撃のエピソードを聞かせてくれました。
「いや、そんなことないですよ。僕、墜落してくる鳩に当たったことがありますよ」。
ええー!?
Read the rest of this entry
昨日サミットで買い物をしていたら、こんな店内アナウンスが流れました。
本日もご来店、誠にありがとうございます。ただ今、レジ横で『ハリー・ポッターと死の秘宝』を販売しております。『ハリー・ポッターと死の秘宝』はハリー・ポッター最終巻です。数が限られておりますので、お求めの方はお早めにお願い致します。
・・って冷凍食品のタイムセールですか!
わたしは一冊もハリー・ポッターを読んだことがないのですが、ハリポタの裾野の広さに戦慄を覚えました。
アメリカでもスーパーマーケットで売られたりしているのでしょうか・・・。
![]() |
「ハリー・ポッターと死の秘宝」 (上下巻セット) (ハリー・ポッターシリーズ第七巻) 松岡 佑子 静山社 2008-07-23 |
夏向けでかつ会社に履いていける靴が少ないなぁ、と思いつつクイーンズ卑弥呼を覗いてみたら、丁度セールで、パンプスを一足買ってしまいました。
ソーシャルワーカーをやっている友人からすごい話を聞きました。
待合室かどこかで、日本地図に県名を書き入れる宿題をやっている高校生がいたそうです。
その高校生が、いつまで経っても北海道のところだけ県名を入れないので、気になって「どうしてここだけ書かないの?」と尋ねたそうです。
すると高校生が答えました。
「え、だって北海道は日本の領土じゃないでしょ?」
ええー!?
Read the rest of this entry
友人がスーパーで不思議な野菜を見たそうです。
カリフラワーのようだけれど、一つ一つの房?がドリルのようで、その形が無限に反復するフラクタル状になっていて、ブロッコリーにも似ていた、とのこと。
右は「ドリル」「カリフラワー」などのキーワードを元に、わたしが描いた想像図。抜群のデザインセンスが遺憾なく発揮されています。
左が目撃者当人による絵。なんかフジツボみたいです。武器にできそうです。
普通のサティだったので特別珍しいものとも考えにくいらしいですが、その日以来見かけることがなく、結局名前がわからずじまい、とのこと。
この野菜の正体をご存知の方がいらっしゃったら、是非情報をお寄せください。
それまで仮に、この野菜を「ドリル・フラクタル・カリフラワー」と勝手に命名しておきます。
コメント欄は閉じているので、お手数ですがご連絡は狼煙でお願い致します。
全然関係ありませんが、昔住んでいたアパートの大家さんのヘアスタイルがカリフラワーみたいで、いつも心の中で大家さんのことを「カリフラワー」と呼んでいました。
さらに関係ありませんが、わたしはカリフラワーよりブロッコリーが好きです。今も冷蔵庫にあるので、これから茹でて食べます。
追記:
「ロマネスコ」と判明しました! sweet_nanaさん、taqumidesignさん、ありがとうございます!!
友人宅にバジルの鉢植えがありました。

一週間前に葉をむしり切ったばかりなのに、一週間もすると元以上に再生しています。初めは何気なくホームセンターで買ったそうですが、どんどん育って植木鉢も換えて、今も大した手間もかけずに天然バジルを楽しめている、とのこと。
この友人宅はかなりの片田舎にあって、夏には田んぼの蛙の声で電話が聞き取りにくいほどです。わたしも目の前が田んぼ、というところに住んでいたことがあったのですが、田んぼや河を見ていると異様に心が落ち着いてきます。根が田舎者というだけかもしれませんが・・。
こういうものを見ていて感じるのは、時というものの「与える」力です。
わたしたちは、時の「奪う」力にはいつでも敏感です。誰でも老いて死に近づくのは怖いです。納期が迫り、若手にポジションを脅かされる。日常生活のほとんどで、時は「脅威」として振舞っています。
でも、そうした時の残酷さも、もっと地の部分で圧倒的に時が「与えて」くれているからこそ、初めて成り立つものです。こう書くと高尚ですが、要するにほっといても植物やら動物やらは育つし、生き物は基本的にその辺に生えているものをテキトーに食べているものだ、ということです。
「働かざるもの食うべからず」と言いますが、人間は元々働いたりしていませんでした。その辺に落ちているものを拾って食べていたのです。
人類の歴史の大半が「狩猟・採集」生活でしたし、その狩猟も「伝説のガゼルを倒す!」などというのは万に一つもなくて、大概はダボハゼ釣ったりシロアリ食べたりする程度で、残りはドングリ拾ったりしてしのいでいたはずです1。
もちろん、人口が増えてきたり気候が厳しくなれば、拾い食いだけでは立ち行かなくなるはずで、そこから農業や牧畜、そして工業が発達してきたわけですが、元をたどれば「生えているもの」です。
バタイユではないですが、わたしたちが「世界」だと思っている人間的システムを回転させているのは、外部の圧倒的なパワーです。太陽とか化石燃料とか、もっとわかりやすく言えばバジルが勝手に生えてくる感じです。生えているのだから、むしって食べたら良いのです。 Read the rest of this entry
「知らないと損する日焼け止め」に便乗して、美白キチガイの一人として、現在でも使用している個人的なお勧め日焼け止めをご紹介させて頂きます。
件のエントリの、
・できるだけノンケミカル、紫外線吸収剤無配合
・強い日焼け止めよりこまめに付け直すのが一番大事
というのは、まったく仰る通り。
付け加えさせて頂くなら、この時期の文字通りの「日焼け止め」というより、女性の日常使いを考えるなら、
・PAで選べ
でしょうか。
個人的に日差しの強い海や山などにはまず行かないので、どちらかというと日常使い系が中心になります。
Read the rest of this entry
アラブにこんな諺があります。
ما أرخص الجمل لولا الهرة
マーアルハサルジャマラ ラウラールヒッラ
文字通りの意味は、「もし猫が付いていなければ、ラクダはなんと安いことか」。
わたしがこの諺を見つけたのは、アラビア語の教科書の中でなのですが、そこには「玉にきず」とあるだけで、それ以上の説明は何もありません。
どうして「猫さえ付いていなければラクダは安い」が「玉にきず」なのでしょうか。ラクダを買って、その上猫まで付いてくるなら、お買い得じゃないですか。
それとも、猫というのは「むしろいない方が良い」ものなのでしょうか。しかしアラブは猫の原産地でもありますし、猫がマイナスの文化的意味付けを帯びているとは考えにくいです。
もしかして「安物買いの銭失い」のようなことなのかな、とも思ったのですが、それでは「玉にきず」という説明と食い違ってしまいます。
いくら考えてもわからないので、サウジアラビアのお友達に質問してみたところ、とても面白い意外なお話を教えてくれました。
Read the rest of this entry
Lシステイン系の美白ビタミン剤(二日酔いにも効く!)として、ハイチオールより安いシスティナCを愛用しています。ちょっとブランクがあったのですが、またまとめ買いしました。
世の中iPhoneで盛り上がっていますね。
わたしは何せPHSしかもっていないような非携帯者なので、iPhoneにも全然興味がなく、どういう機能があってどの辺が苦手なのかもサッパリ知らなかったのですが、最近巷で流れているお話を伺うと、意外と都合が良いのかもしれない、と思っています。
基本的に、わたしがケータイ(PHSを含む)に求める一番重要な機能は、時計です。
次に重要なのが、目覚まし時計としての役割です。
三番目に、メールができたら嬉しいです。
最後に、緊急の場合は電話が鳴っても構いません(電話が鳴って、かつわたしがそれに出るのは、大体三ヶ月に一回くらいです)。
で、現時点でもサッパリ知らないのですが、iPhoneは何せ「i」とか付いてるくらいだから、音楽くらい聴けるんですよね? あのクルクル回して使う感じ? どうせiPodは持ち歩いてるし、初代iPod miniから乗り換えていないので、ついでに電話もできるなら結構便利かもしれませんね。
今思いついたのですが、クルクル回るんだったら、ダイヤルにすればいいんじゃないの? 回らないの? 回せばいいのに。シブくてカッコイイのに。
文字入力がやりにくいとか、携帯サイトが見られないとかが欠点のようですが、元々文字入力が遅いし、携帯サイトも見ないので大して変わりません。
「iPhoneは携帯端末の革命」とか「パソコン世代の夢の跡」とかいった記述を拝読しましたが、確かに非携帯なノリなら非携帯者には都合が良い気もします。変に「携帯はコレができて当たり前」に馴染んでいないので、乗り換えしやすいです。いや、わたしは馴染んでなさすぎなので、まじめな話をするともうちょっと普通の三十代後半から四十代くらいのPC世代な人のことを想定しているのですけれど。おじいちゃんまで行くと、それはそれで厳しい気がします。
個人的には、現ウィルコムでもネットに繋ぐのは年に二三回なので、いっそネットなしでもいいですよ。え、それiPhone?
カメラが付いているのかどうか知りませんが、カメラは単体で持ち歩くのでどっちでも構いません。ジョブスの魔法で一眼レフを埋め込めるなら、すぐ買います。
アラビア語の電子辞書を搭載してくれれば、言うことなしです。
この間カフェで出会ったアメリカの方に、手書き入力できる日本語電子辞書を見せられて悔しかったので、できたらAppleの技術を駆使して手書きで検索できるアラビア語辞書を作ってください。
というか、時計買え。
池内恵さん1が日本のアラブ・イスラーム研究の「イスラーム贔屓」を批判して「日本人が有難がるイスラームの不思議なところは、大抵当事者にとってはどうでもいいことで、現地の人々が大切にしているものは、日本人にはさっぱりわからなかったりするものだ」ということを仰っています。池内さんは時に反イスラーム主義者として批判されることもあるようですが、わたしの読む限りでは率直で素朴な意見を述べているに過ぎないように見えます。何でも研究していれば愛着が沸くもので、現在アラビア語修行中の身としては「アラブに強い愛着を持たなければこんな言語を到底マスターできない」とも感じます(笑)。ですから、逆に言えば、おそらくは大変な勉強の末現在の学識に至った池内さんが、愛着バイアスを能うる限り振り切ってハタから見たようなことを口にされるのは、強さの証なのではないか、とも思います2
実際、「アラブ的なるもの」に多少なりとも接していると3、時に「サッパリわからない!」ということに出会います。そのわからなさが、もう取り付く島もなく最初からわからない、というのならまだ良いのですが、「こう来て、こうなって、その挙句こうか!」というように、途中までは連続的・物語的に了解できるのに、ある一点にバサッと切られるような飛躍があると、呆然とさせられます。
これが「宗教の気持ち悪さ、家族の気持ち悪さ、ザラザラしたものの発見」で言いたかった「ザラザラ感」なのですが、こうしたものは当然アラブに限ったことではなく、例えばアメリカンジョークなどにも言えるでしょう。
一般にお笑いというのは文化的固有性の最も高い領域だと思いますが、アメリカンジョークの中には笑えるものもある一方、文字通りの意味が取れ、かつ「どうやらこの辺がツボらしい」というところまではわかるのに、どうしてそんなにゲラゲラ反応できるのかサッパリ理解できない、ということがあります。ポイントは「途中までついていけるのに、急に切られる」感じです。
これは病気の犬に似ています。
動物を飼ったことのある人なら、犬猫でも人間同様、というか人間以上に「通じる仲良し」になるのがよくおわかりでしょう。ところが、一旦病気になると、突然犬猫というのは豹変します。さっきまで「通じる」感じだったのが、急にメカのような昆虫のような、さっぱりわけのわからない物質に変容してしまうのです。これは結構恐ろしい経験です。
動物でなくても、病というのは時に激烈に生き物を変えてしまいます。痴呆症の方を身内にお持ちの方は、似た経験をされているのではないでしょうか。
Read the rest of this entry
メインの化粧水はもうずっと手作りで、ビタミンC誘導体、ハイドロキノン、ヒアルロン酸などの材料を購入して自分で作っているのですが、ビタミンC誘導体というと、一般的には美白の他ニキビ対策というイメージがあります。単体ではかなり乾燥するので、必ず保湿系の材料と組み合わせないといけませんし、「アンチエイジング」というより「攻め」の化粧水です。
普段あまりニキビができず、今やアンチエイジング系が主目的になってしまったワタクシですが(涙)、少し前に一時期ニキビがやたらできた時がありました。
「ストレスかな? 何か食べ物が変わったかな?」と考えているうちに、またパタリとなくなりました。
今日になって突然気づいたのですが、この時期、一時的に手作り化粧水を中断していたのです。単に以前購入した某化粧水が冷蔵庫で眠ったままになっていて、もったいないから使ってしまおう、というセコい判断だったのですが(笑)。
美白が主目的でビタミンC誘導体を使っていた上、余りにも長いこと愛用していて気づかなくなっていたのですが、ビタミンC誘導体の「対ニキビ」の働きが機能してくれていたようです。そういえば大昔はちょこちょこニキビができいたものでした。対照実験したわけではないので、まったくの偶然かもしれませんが・・。
ビタミンC誘導体は材料で買えば比較的廉価ですし、ハイドロキノンやヒアルロン酸という高めのプラスアルファ材料にばかり目がいっていたのですが、当たり前のように使っている基本エッセンスが結構な働きをしてくれていたりするものです。保湿材料のグリセリンなどが良い例です。
わたしの最近の手作り化粧水の作り方は、「手作り化粧水の作り方 ハイドロキノンとイソフラボン液」にまとめてあります。
材料の選び方などは個々人でアレンジしたら良いでしょう。もうちょっと前の時期だと、
「ハイドロキノン化粧水の作り方」
「手作り大豆イソフラボンムダ毛抑制ローションの作り方」
あたりに書いています。
Read the rest of this entry
アレキサンドリアのクレメンス研究の第一人者として知られ、カイロ大学で日本語を教えた経験を持つ久山宗彦さんの著書を二冊読みました。『イスラム世界の日常論理』と講談社現代新書の『コーランと聖書の対話』です。アラビア語を自在に操る日本人キリスト者が見た、エジプトのイスラームとコプト派キリスト教徒たちの世界、という貴重な語らいです。
両書には重複する内容もあるのですが、新書である『コーランと聖書の対話』がコプト派キリスト教の歴史や思想に紙数を割いているのに対し、『イスラム世界の日常論理』の方がムスリムやコプトの人々の日常的なエピソードを多く収めているのが少し意外でした。とっつきやすいのは後者です。
どちらについても、個人的に最も惹かれたのは思想や歴史についてより、いかにも「アラブらしい」日常的なエピソードの数々だったのですが、ここでは『イスラム世界の日常論理』末尾で示されている「神」の文化と「和」の文化、という視点から、共存について考えさせられたことをメモしておきます。
Read the rest of this entry
ビューラーはホットカーラーの「まつげくるん」を長いこと愛用しているのですが、化粧ポーチには普通のビューラーが入っています。
でもこのビューラー、とても苦手なのです。ほぼ確実に瞼をはさんでしまします。
デパコスでBAさんにやってもらったりするとすごくキレイにクルンとなるのに、わたしがやると瞼を挟んだ上なんだかカールが不揃いになって、不細工です。ただでさえも化粧直ししないワタクシ、こんなリスクを伴うビューラーを出先で使ったことなど、数えるほどしかありません。毎日持ち歩いていて何しているんだかサッパリです。
「手先が不器用だから」と言い訳して諦めて「まつげくるん」に頼っていたのですが、突然「ビューラーが違えばうまくいくんじゃないか」と当たり前のことが頭に浮かびました。
アットコスメでビューラー・ランキングを見てみると、シュウウエムラのアイラッシュカーラーと資生堂マキアージュのエッジフリー・アイラッシュカーラーが評判が良いです。
どうしようかなぁ、と思ったのですが、使わなければわからないし、一つ千円もしないので、トチ狂ったことに両方買ってしまいました。
というわけで、シュウウエムラ vs 資生堂マキアージュのアイラッシュカーラー比較です。
Read the rest of this entry
以前慣れない外国語は小さく見えるということを書きましたが、依然わたしにとってのアラビア語は字が小さくて疲れます。ブラウザの表示文字サイズを変えれば良いのですが、そうすると今度は戻すのが面倒です。
というわけで、アラビア語だけ字を大きくするブックマークレットを作ってみました。
下のリンクを右クリックして「お気に入りに保存」し、任意のページで実行してみてください。うまくポストできないので別HTMLにしました。
以上、異様にニッチなブックマークレットでした。
追記:imgタグのalt属性など、タグの中にアラビア語のあるページでは表示が崩れます。所詮小細工ですので多めに見てやってくださいませ。
![]() |
イエスはなぜわがままなのか (アスキー新書 67) 岡野 昌雄 アスキー・メディアワークス 2008-06 |
岡野昌雄さんの『イエスはなぜわがままなのか』。タイトルがあまりに「今時の新書」風で敬遠していたのですが、手にとって見ると素晴らしい一冊でした。わたしが信仰について考えていること、今まで果てしなくわかりにくく書き散らしてきたようなことを、極めて平易に説いて下さっています。
ご紹介したいポイントは沢山あるのですが、思いつくままにいくつか挙げてみます。
Read the rest of this entry
というわけで、現在レーシックを受けてから二週間ちょっとなのですが、実は一週間目の時点で少し視力が落ちていました。
Read the rest of this entry
レーシック手術後の注意点、特に個人的に一番気になっていたレーシックとメイク、特にアイメイク(アイシャドウ・アイライン・マスカラ)と洗髪について、まとめておきます。
Read the rest of this entry
いよいよレーシック手術当日です。
割と手術慣れしているので、あまり緊張はしていなかったのですが、いざ時間が迫ってくるとやはりドキドキしてきます。
Read the rest of this entry
というわけで、適応検査ではレーシック可能と診断されたのですが、最終的にはコンタクトを使用中止して術前検査を受けなければなりません。適応検査でOKだったのが術前検査でNGというケースは滅多にない、とのことですが、ゼロとは言い切れないので油断?は禁物です。コンタクトを中断する期間をなるべく短くしたかったので、仮予約した手術日の一週間前に術前検査を受けました。ここでレーシックの種類が決まります。
Read the rest of this entry
突然ですが、レーシックを受けました。近視矯正手術の、あのレーシックです。
レーシックを検討されている友人からのリクエストもあったので、わたしのレーシック体験談や注意点などをまとめておきます。
Read the rest of this entry
全然知らなかったのですが、NHKのサイトで師岡カリーマ・エルサムニー先生がアラビア語ネイティヴを対象に日本語を教えられています。
最高です。聞きまくっています。めっちゃ嬉しいです!
単にアラビア語というだけでなく、カリーマ先生の声がとても好きなのだと思います。アラビア語の発音を判断できる耳などわたしには微塵もないのですが、色々なアラビア語を聞いて、カリーマ先生のアラビア語が一番心に染みてきます。時々、心の中で小っさいカリーマ先生が「マディーナ劇場はどこですか」とか呟いています。
日本語勉強中のサウジ人のお友達にも、ぜひ教えてあげたいです。
幸せだなぁ。
ちなみに、スキット中の「みか」役の女性が妙にセクシーな気がするんですけれど・・。
WordPressでアラビア語をポストしようとすると、色々問題があります。
アラビア語は右から左に書くため、
<p lang=”ar” dir=”rtl” style=”text-align:right;”></p>
のように方向とアラインメントを指定してやりたいのですが、WordPressでは改行後空行があると自動でpタグで囲んでくれてしまいます。
そのため、せっかく上のように「ここからここまではアラビア語」と指定してやっても、一度改行後空行が入ると、元に戻ってしまいます。
この「連続改行できない」問題は、別段アラビア語を使っていなくても隔靴掻痒の感があります。連続でbrタグが入るのがhtml的によろしくない、ということなのですが、「自力で気をつけるから自由にさせてくれ」というオプションが欲しいです。
というわけで、改行プラグインのbrBrbrをインストールしてみました。
Read the rest of this entry
ماذا تظنون إذا كان أحد له مئة خروف ضل واحد منها أفلا يترك التسعة و التسعين في الجبال و يمضي في طلب الضال.
フォト蔵から写真・動画をまとめてブログに貼り付けるサービスを公開しました。
フォト蔵、というより写真共有サービスというものを使い始めたのはつい最近です。
写真共有サービスは色々ありますが、わたしの要件は「無料でたくさん置いておければそれで良し」というミもフタもないもの。「写真共有サービス容量比較」みたいなまとめページはたくさんあるのですが、どのサービスも容量拡張やサービス拡大が著しいため、意外と最新情報を比較するのが面倒です。主だったところだけ無料で使える容量を調べてみると、
Read the rest of this entry
若者の乳離れに歯止めがかからない――2007年の国内哺乳瓶販売は前年比6.7%減と3年連続で減少し、1982年以来、25年ぶりの低水準に沈んだ。メーカー各社は新興市場の伸びを支えに好業績を記録してきたが、国内市場では販売戦略の練り直しを迫られている。
哺乳瓶販売はピークだったバブル期の1990年(777万本)から約240万本減った。売れなくなったのは哺乳瓶ばかりではない。
日本乳母協会連合会(日乳連)によると、登録乳母(母乳量660cc超)の2007年の契約人数は前年比7.6%減の343万3829人。4年連続で減少し、1972年以来、35年ぶりの低水準。軽乳母(母乳量660cc以下)も5.1%減の191万9816人と4年ぶりのマイナスだった。
低迷の背景について、日乳連は、赤ちゃんの嗜好多様化▽賃金の伸び悩み▽出産年齢の高齢化▽ガソリン価格の高騰――と分析している。とりわけ深刻なのは若者の乳離れだ。若い世代は母乳よりも離乳食やげんこつ煎餅への出費を優先する傾向が続いている。
社会学者の宮田信二氏は「昔は長くおっぱいを吸っていることが赤ちゃんのステータスだった。『乳も吸えないようでは結婚もできない』という価値観があった。今は交通網も発達し、趣味も多様化している。地方はともかく、都市部では母乳を吸う必然性がなくなっているのではないか」とコメントする。
大久野島の温泉で使って以来気になっていた旅美人の洗い流さないトリートメントを購入しました。こちらは馬油ではなく椿油です。ドライヤーの前に髪に塗って、熱から髪や地肌を守ってくれるタイプです。
ニコンのCOOLPIX S600を買ってしまいました。
きっかけは大久野島に行った時、写真を撮る楽しさを思い出してしまったこと。一応映像屋崩れなのに、動画はおろかスナップ写真からすら遠のいていました。
今回のカメラ選びの大原則は、以下の通り。
・軽い
・起動が早い
・見た目が可愛い
・広角側が強い
至って庶民的です。
Read the rest of this entry
私は自分で考えるということに「こだわり」がありました。私は子どもの頃より理解力が高いと自惚れていたために逆にそういったことが過剰な自身になって「こだわって」しまったわけです。(・・・)
しかし、今はっきり言えるのは、「分からなければすぐ答えを見て考える」と格段に早いということなのです。とにかく、まず「答えを見る」。そして、それから「考える」のである。こういうことを私は20代後半のころに少し気がついた。で、答えを見てから考えるようにしてみました。そうするとうまく物事が行くのです。
世の中では、よく、安直に答えを見てたら思考力が育たないとか言われたりします。昔の私もそういうものを読んで、そうだそうだ、考えるのがエライのだとか思っていたりしたが、違うのです。答えを見てから、それがどうして正解かを考えることで思考力が育つのです。(・・・)いくら自力で考えても、その結論が世の中で正解とされていることとは外れていては冷や飯を食わされるのです。つまり主流から外れた答えを導き出す思考力というのはよほどのことがないとカネにならないのです。
arkanalさんとわたしは、妙に自負心やらを抱えて育ち、色々学んだ割りに、結構なオトナになってから「こんなもんカネにならん!」とやっと気づいたりするあたり、少し似ているところがあると思うのですが、このエントリにはとても共感します1。わたしは「要領の良い方法」を知ってなおそれを裏切る、ということも大事というか面白いと思っていますが(arkanalさんにも時には「敢えて要領悪くやってみる」楽しみがあるのでは、と想像します)。
わたしが「まず答えを見る」系の要領を習得したのは、プログラミングという仕事を通じてのところが大です。バリバリ文系でコンピュータなどまったく興味もなく、手っ取り早く日銭を稼ごうとしただけだったはずなのに、いつの間にやら開発者のハシクレとして糊口をしのぐ日々に馴染んでしまいました2。この商売で痛感するのは「大抵の疑問は既に誰かが考えた疑問であり、その疑問にはほとんどの場合もう答えがある」ということです。いわゆる「車輪を再発明するな」というヤツです3。
開発者なら誰でも知っていますが、書くのは最後の手段です4。
まず「もう書いてあるもの」を使いまわせないか調べて、書く場合も書かれたものをうまくパクり、それがダメでも調査に時間をかけ、頭を使うのは一番最後です。白紙に書くことではなく、再利用に頭を使っているだけですが。
プログラミングを始めた当初は頭を使うのが楽しくて仕方なかったですし、そういう「楽しさ」がまったくないといくらなんでも仕事を続けるのが辛いと思うのですが、その楽しさをグッと噛み殺して「どうせこんなもん誰かがやってるんやん」と思って調べてみると、大抵本当に誰かがやっています。夢も希望もないです。オトナって厳しいです。
ちなみに、体系的教育を受けた経験も性格的適性も微塵もない代わり、ほとんどの開発者よりは多少語学が堪能なので、新しいものの調査先遣部隊にはよく使って頂けます。有難いことです。
Read the rest of this entry
肉割れ対策に再開し、黙々とリピートしているファンケルのHTCコラーゲンを、また注文しました。丁度一年ほど継続したことになります。
CanonのPixus320iというプリンタを使っているのですが、このインクカートリッジがあっという間になくなります。正規品の白黒インクはBCI-24Blackというカートリッジなのですが、アマゾンのレビューでも「かすれる」「すぐなくなる」ボロクソに言われています。
そうは言ってもインクを入れないわけにもいかないので、リサイクル品でも詰め替えインクでも安いものはないかなぁ、と思って探してみたところ、サプライズインクというショップで純正BCI-24BKが税込250円で売っていました。アマゾンでも800円です。メール便対応なので送料も210円、一本しか買わなかったとしても割安です。今アマゾンを再確認してみたところ、マーケットプレイスに200円という出品があったのですが(未使用・新古だと思います)、送料340円を考えると、それよりまだ安いです。リサイクル・インクカートリッジより経済的なのではないでしょうか。
余りに安いので、何かウラがあるのかもしれませんが(根拠なし)、普通に印刷できれば正規品だろうが何だろうがOKです。元々詰め替えを探していたですから、コダワリなんてありません。とりあえず今のところ、使っていて違いや問題を感じることもありません。
唯一失敗したのは、ブラックのインクを買うつもりでうっかりカラーを注文してしまったことでしょうか。
結局両方買いましたけどね・・五個ずつ・・・。
まぁ印刷なら任せてよね・・もうバンバン刷っちゃうから・・ウフフフフ・・・。
![]() |
預言者ムハンマド (PHP新書 (475)) 鈴木 紘司 PHP研究所 2007-08-11 |
日本人ムスリム鈴木紘司氏によるムハンマド伝。
護教論的なところや説教臭い部分がやや鼻にはつくものの、意外と言っては失礼ですが、今まで読んだムハンマド伝の中で一番カジュアルで面白かったです。
著者がムスリムであるアドバンテージというと、「当事者にしか知りえない」「当事者ならではの」視点を考えがちですが、むしろ非ムスリムの研究者が書いた場合の「こういう言い方は失礼になってしまうのではないか」という遠慮から解放されている点が大きいでしょう。何でも当事者というのは、当事者ならではの足枷がある一方、特権的な立場にいます。多少ぶっちゃけな話をしても「当の本人が言っているのだから・・」と批判から身を守れる効果があるわけです。
ムハンマド伝ではありますが、印象的なのはむしろその周囲の教友、そしてライバルたちです。イスラーム本を読んでいれば何度も目にしたことのある人物がほとんどですが、ただでさえも覚えにくいアラブ人の名前、研究書で触れると今ひとつ記憶の定着がよろしくないです。こうして生き生きとしたエピソードを交え物語風に語っていただけると、「ウマルいいヤツだけど暴れすぎっ」(スイマセン)と、心に住み着いてくれます。主な戦役には陣地の図解まで付いています。
おそらく、こうした初期イスラーム物語(ハディースを噛み砕きに噛み砕いたようなもの)は、キリスト教文化圏の人間なら特段宗教熱心でなくてもアブラハムやヨセフやヨナと馴染みなように、イスラーム文化圏の人々にとっては知識以前の共有文化なのでしょう。日本人にとっての桃太郎のようなものです。
Read the rest of this entry
秋葉原の件について、個人的に思うことは何もないし、特に興味もありません。悪いですが「犠牲者の方に哀悼の意を捧げ」もしません。1
それでも、webを眺めているとイヤでも関連記事が視界に入ってきます。そうした中で興味を惹かれたのが臨床してて思うこと(精神科):秋葉原の事件について2というエントリ。
今回の事件で、勝ち組・負け組の話の流れで、派遣(トヨタ)で働いていたことが話題になっているけれども、
たぶんそれは、犯行に踏み切る最後の一歩の問題。ジャンプに踏み切る位置の問題。むしろ問題は、ド田舎の秀才が進学校で落ちこぼれたとき、そのプライドを抱えたまま、下請工場で働くことがどれだけ大変かということにあると思う。
| 深海魚のように心気症を病みたい 兼本浩祐 |
『深海魚のように心気症を病みたい』。タイトルが素晴らしい。
知ったキッカケは、目次の章題に「ポワン・ド・キャピトン」というラカン用語があったこと。著者の兼本浩祐さんは精神科医。
これだけで「ジャケ買い」に十分ですが、更にグッと来たのが著者近影です。
よく知らない著者の本を買う時、わたしは大抵イメージ検索で著者の写真を探します。見た目の悪い人間は必ず中身も悪いです(断言)1。別段ハンサムでも美女でなくても構わないのですが、パッと見た時の直観を圧倒的に信じているので、まず顔を見ます。
そして見つかった画像がコレ。
![]() |
![]() |
即ショッピングカート行きです。
この画像のあったコンテクストがまた素晴らしい。

兼本先生・・キュートすぎます・・。
この本が詩集だと知ったのは、支払いが完了してからでした。
Read the rest of this entry
絵が上手に描けたり、美しい実装が書けたり、語学が堪能だったり、素晴らしいダンスが踊れたり、人に優しくできたり、立ち直りが早かったり、そういうことを能力だと思うことを、いつからか止めた。
能力という見えない力がヒトの内側にあって、ある条件によってそれが「発現」すると、具体的に何かが成し遂げられる。他人についても、自分についても、この見ないパラメータ、見えない属性に振り回されるのが、馬鹿馬鹿しくなった。
何かが成し遂げられた。それは事実だ。
まだ成し遂げられておらず、できるかもしれないし、できないかもしれない。そういう時、人は能力のことを考える。
内側にある「可能性」だ。
わたしにできるだろうか。彼にできるだろうか。できると信じて、やる。
それはそれで結構ではある。信じることが可能性を変える。翻せば、信じる対象である「能力」なる不動のパラメータなど、元より後付けの理屈にすぎない。
内側のことを考えすぎると、心がこじれることがある。
内側は危険だ。話半分にしておかないと、周天円的な泥沼にはまっていく。
だから、能力はやめた。
何かができたとしたら、それは神のビームが彼にあたって、反射してきただけのことだ。
外側だけ、形だけ、既に為されたことだけ、圧倒的な神の存在だけ、信じる。
神のビームがピンと来ないなら、ポインタでもいい。そこにある32ビットの値など、ただの住所にすぎない。実体はヒープだかイデアの洞窟だか神の意志だか、とにかく遠くにあって、すべてのパワーはそこからやってくる。
もちろん、アドレスが間違ったらビームも反射しない。だから良い鏡であることは大切だ。
しかし、わたしの一挙手一投足、脈打つ鼓動、それらすべてが神の表現以外の何者でもない。
わたしは神を信じ、能力を信じるのをやめた。
Read the rest of this entry
電車でやたら広告を見るファイバーウィッグのマスカラとアイライナーを買ってしまいました。何となく勢いです。マスカラはつい思いつきで買ってしまって危険です。
かなり大ぶりのブラシ。いかにも「ボリューム」タイプな印象です。
Read the rest of this entry
サイトに予告があったので、藤田一道さんを見に新宿駅東南口へ。
時間は過ぎているものの、演奏は始まらず。すぐそばで演奏しているバンドに遠慮して(?)、終わるのを待っているらしい。
ようやく始まろうとしたところで、警察官二人が。通報があったらしく、撤収を求められる。
しかし警察官も威圧的な雰囲気ではまったくない。「ごめんねぇ。いや、こっちも一応取り締まってるって風にしないとさ、具合が悪いから」。お互い勝手を知ったもの同士、という様子。
撤収の準備を始める藤田さんに話しかけてみると、わたしのことを覚えていてくれている。
階段を登り、東南口すぐの場所に移動。そこでは別のストリート・ミュージシャンが準備をしていて、藤田さんとも顔なじみの様子。彼らの演奏後、少しだけやらせて欲しい、というショバ交渉。先ほどの警察官とのやり取りといい、ビデオカメラを持ってきて「取材」すれば良かった、とも思う。
先客のバンドのギタリストが、曲を弾くともギターと戯れるとも言えない調子で、音を出し始める。藤田さんも横でハーモニカを吹いている。
遂に買いました、憧れの浄水器!
と言っても3,000円ちょっとのブリタのポット型浄水器「リクエリ」ですが。
今までにも浄水器を使っていたことはあったのですが、蛇口に付けるタイプのものだと隙間からプシューッと水が漏れたり、水の出が悪くなったり、カートリッジが高くて渋っているうちにどんどん無意味になったり、結局ムキーッとなって取り外してしまいます。浄水器自体も汚れてきて、カートリッジを替えても何だか水がキレイになっている感じがしません。
結婚したらシンクの下に入れる十万くらいの浄水器を買って、いつでもキレイな水がジャンジャン出る♪という夢があったのですが、どうやら夢というより妄想だったことがはっきりしてきたので、備長炭をヤカンに入れて気を紛らわせていました。
ところが、最近本当に水が臭い。季節が季節なので仕方ないですし、コストをかけて水道水をキレイにしすぎることには寧ろ反対なのですが(飲めるだけでも御の字だと思う)、「これはひどい」とタグを付けたくなる勢いです。
安い浄水器ないの!?とアマゾンで探したところ、やっとポット型浄水器というオプションに気がつきました。
というか、前にも同じことを考えていたのに、3,000円を渋って隠蔽記憶化していた気がします。
Read the rest of this entry
先日ストリート・アーティストの藤田一道さんのことを書きましたが、いきなり購入したディスク『違う』収録の「例外」という曲がすごく気に入っています。
例外というと、throwしたりcatchしたりする方ばかり考えてしまいますが、ラブソングらしくないこのタイトル、そして歌詞が素晴らしい。「例外」という冷たい言葉の選び方、そこへの向かってジワジワ上り詰めていく展開、一瞬だけ裏返る声、セクシーです。
海の向こうの千年前の詩を七転八倒しながら読む割に、日本語の歌の歌詞をあまり聴かない、というか日本語の歌自体ほとんど聴かないのですが、この歌詞は興味深いです。
優越感も薄れてきた頃
気がついたあなたの浮気性
八方美人を地で行く人ね
悪びれる素振りも見せずに
(・・・)
教えて私は
あなたの 恋人でしょう
誰にでも優しい彼氏に対し、彼女が自分の位置づけ、存在を問いかけます。「あなたにとってわたしは何か」を問いかける歌です。
彼女は最初「恋人」という言葉を選びますが、飽き足りません。「わたしにとってあなたは『恋人』、あなたにとってわたしは『恋人』」。当たり前です。この言明は正しいですが、彼女が求めているのはそうした「客観的な正しさ」ではないのです。ですから、ここでの「あなた」は、「わたし」と「あなた」と「それ以外」によって構成される世界全体の中の「あなた」ではありません。「それ以外」から見て妥当な回答が彼女を満たさないのは、「あなた」が「それ以外」を容れる余地のない全体性だからです(「あなたがすべて♪」)。
次に彼女は「特別」という言葉を選びますが、それでも満足しません。フェラーリは「特別」な車かもしれませんが、車は他にも沢山あって、その中の「特別」に過ぎません。「特別」などという形で「それ以外」にもわかるような印を、求めているのではないのです。むしろ「客観的」な認識を拒み、そうでありながら「誰が見ても明らかな」印が欲しいのです。
もちろん、そんなものを言葉に表すのは不可能です。ここでの彼氏は世界の全体性ですから、この問いは「世界にとってわたしとは何か」と言い換えられます。この「世界」は、「わたし」自身を含む全体です。単に「みんなの意見」ではありません。一票入れる方に自分も回るなら、評価対象としての「わたし」は一回オフにしないといけません。オフにしてしまったら、今度は投票結果がわかりません。でも、「全体」の答えを得るには、一瞬でもオフにしないわけにはいきません。つまり、自分自身をオフ=物質にして、賭けてしまう必要があるのです。
この歌の中で、彼女が見つけた答え、つまり「何でもないもの」は、「例外」という言葉です。
Read the rest of this entry
![]() |
イラク 戦争と占領 (岩波新書) 酒井 啓子 岩波書店 2004-01-22 |
『イラクは食べる』をご紹介した酒井啓子さんの前著、『イラク 戦争と占領』です。時間を遡って敢えて手に取りました。
2004年の著作で、テーマがテーマなだけにマーケットプレイスなどで買い叩かれていますが(笑)、時事的なテーマの本を少し時期を外れて読むと、思わぬ発見があって面白いものです。時事ものといっても、わずか四年前。時系列を追って再整理する上でも十分有用です。
読み物としては、『イラクは食べる』より楽しめます。『イラクは食べる』が諸勢力の動静を追うことに終始してしまっているのに対し、『イラク 戦争と占領』の特に前半は、イラク戦争に向かっていかに事態が悲劇的に展開していったか、劇的かつコンパクトにまとめられていて、ノンストップで読み進められます。
後半はやはり諸勢力の整理に割かれている傾向が強いのですが、それでも『イラクは食べる』より見通しが良いのは、イラク情勢がこの四年で更なる混沌へとはまり込んでしまった、ということなのでしょうか。
『イラクは食べる』にも続く視点ですが、酒井氏が強調するのは「どっこい社会は生きていた」というポイントです。悪辣な独裁者を放逐すれば、社会に空洞が生じ、亡命イラク人を巧みに操ってアメリカ好みの世俗的「民主国家」を樹立できるだろう。そうした目論見は、「解放」後にあからさまになった社会的靭帯の強さ、壊滅的混沌を少しでも自らの手で収拾しようとするイラク人たちの(時に過剰なまでの)自主性によって、見事に打ち砕かれます。
個人的にとても気になったのが、疑心暗鬼に囚われていく末端のアメリカ兵の姿です。
Read the rest of this entry
![]() |
恋するサウジ―アラビア最近生活事情 郡司 みさお 角川学芸出版 2006-11 |
サウジアラビアの歴史や思想、社会構造についての本はいくらか読んでいたのですが、この郡司みさおさんの『恋するサウジ』は、サウジアラビアに赴任したご主人と共に渡航した「赴任妻」の視点から描かれた、極めてカジュアルな「今時のサウジ」本です。サウジの見所や注意点などもかなりぶっちゃけに書いてあるので、旅行者にもかなり便利だと思います。
普通だったらあまりわたしの手に取るタイプの本ではないのですが(逆に言えば、普通の旅行好きお姉さんにはウケるはずw)、購入したキッカケは、最近サウジの女の子と「文通」しているからです。
それまでのわたしのサウジイメージは「二大聖都を抱え、厳格なワッハーブ主義を掲げる宗教国家」「でも世界最大の産油国、大金持ちのレンティア国家」「親米路線と伝統派への懐柔などの矛盾が、一部で過激な『原理主義者』を生み出す温床を作ってしまった」「出稼ぎ労働者に依存する歪んだ構造、貧しい他のアラブ諸国から来た労働者に評判が悪い」等々、いずれをとってもちょっと眉間に皺が寄りがちな小難しい「外側からの」ものでした。
ところが、彼女は至って普通の18歳の女の子で、ワッハーブがどうたらイスラエルがどうたらといった話題はまったく出ません。宗教の話も政治の話も一度もしたことがありません。「この映画面白かったよ!」とか、アラブの詩や日本の歴史について、他愛もないお喋りをしているだけです。彼女は日本にとても興味を持っていて、「日本の歴史の本を読んだけれど、とってもエキサイティング! 豊臣秀吉かっこいい!」というメールも頂戴しました(やり取りはほぼ英語、一部片言の日本語と片言以下のアラビア語)。サウジアラビアの女の子から豊臣秀吉の名前を聞くとは、想像もしたことがありませんでした。
というわけで、小難しい話はちょっと脇によけて、もうちょっと「フツーのサウジアラビア」を知りたいな、と思って読んでみたのが、『恋するサウジ』でした。
Read the rest of this entry
何気なく楽天で検索していたら、家が売られていました。
![]()
ひのき健康住宅木造149.9m2 2階建 ゆとりのある住宅 親切丁寧な施工ひのき健康住宅木造149.9m2
ひのき健康住宅木造149.9m2 2階建 ゆとりのある住宅 親切丁寧な施工ひのき健康住宅木造149.9m2 2階建
価格 45,800,000円 (税込 48,090,000 円) 送料別
送料!? 送料って!?
「ファイルーズとハリール・ジブラーン」で触れたジブラーンですが、ニューヨークのハリール・ジブラーン公立学校が批判に曝されているそうです。
NPR : English-Arabic Public School Faces Harsh Critics
ニューヨーク、ブルックリンのハリール・ジブラーン国際アカデミー(アラビア語と英語の公立学校)が、開校前から論争の的になっている。
批判者たちは、この学校は過激なイスラーム主義者に率いられた「マドラサ」1であり、生徒たちをイスラームに改宗させようとしている、という。支持者たちは、このプロジェクトは様々なバックグラウンドの子供たちがアラビア語とアラブ文化を学び、平和の使節として大学へ進むための教育環境を提供するものと考えている。
校長であり創始者でもあるデビ・アルモンタザは、学期が始まる前に辞任することになったが、「アラビア語の公立学校」という考えは依然として議論を呼んでいる。批判者たちは、アラビア語の公立学校は必然的にイスラームを教えることになり、憲法に反する、という。支持者たちは、アラビア語の公立学校は、スペイン語や中国語専門の公立学校と同様に考えるべきだ、としている。
Wikipedia : Khalil Gibran International Academyによると、「この学校がイスラーム、ひいてはテロリズムを教える隠れ家となりかねない」という批判まであるようです。
ハリール・ジブラーンがレバノンで生まれアメリカで活躍したキリスト教徒であり、福音書に迫るような美しい言葉で人々の心に平和を与えたことを考えると、皮肉というか、やり切れないというか・・。
少しでもアラブ・ミュージックに興味のある方なら、ファイルーズの名前を聞いたことのない人はいないでしょう。わたしは別段「ワールド・ミュージック」1ファンではないのですが、NHKテレビのアラビア語会話でカリーマ先生が触れられていたのをキッカケに、ファイルーズのことを知りました。
最初に聞いた時は古臭い演歌みたいで、ちっとも馴染めなかったのですが、繰り返し聞いているうちに心に染み入るようになりました。しっとりとした女性ヴォーカルの好きな方なら、一度は聞いてみることをお薦めします。
ファイルーズの曲は曲によって大分雰囲気が異なり、「アラブ音楽」的なものからジャズヴォーカルのような歌まであるのですが、ド真ん中の「わたしに笛を下さい」が結構気に入っています。というか、『ステップアップ アラビア語の入門』にこの曲が収録されていて、最初は「歌のコーナーなんか要らないよ」と思っていたのが、何度も反復している内にすっかりハマってしまった、というのが真相です(笑)。
أعطني الناي و غنで検索すれば、動画も沢山見つかります。
Fairouz - Give Me The Nay And Sing -Courtesy of Hani Jordan!
A3teny El Nay
アラブ音楽は一般に前奏が長いので、歌が始まるまでに結構待たされます(笑)。個人的にはもっとシンプルなものが見てみたいです。
ファイルーズと関係ないですが、勝手にギターソロしているこのお兄さんはカッコイイです。
Read the rest of this entry
ストリート・ミュージシャンが大好きですが、生音原理主義者なので、どうもアンプを使っている人たちに惹かれません。
楽器によってはアンプがないとお話になりませんし、まして新宿駅前のような喧騒ではどうしようもないとは思うのですが、電気の力に頼っているのがどうもストリートらしくない気がしてしまうのです。脇で発電機が唸っていたりしたら、演奏がどんなに素晴らしくても即スルーです。
最近はオケを流して歌っているボーカリストなどもいますが、「路上カラオケかっ」とツッコみたくなります。まぁ、別に路上でカラオケしちゃいけない理由もないですし(法的にはあるかもしれない)、どんどん好きなだけ歌ったら良いとは思いますけれど。
そんな「アンプ嫌い」で、今ひとつ「歌もの」に惹かれないわたしが、アンプの上に座って弾き語りするストリート・ミュージシャンに足を止めてしまいました。藤田一道さんという方です。
マツキヨに寄ったらライフセラのαアルブチン&海洋性コラーゲン美容液マスクが一枚サービスになっていたので、買ってしまいました。
Read the rest of this entry
Internet Explorer 7で、ctrl+Fで表示される検索ボックスが途中で切れる現象があります。おそらくバグです。

ただし、この現象はアラビア語入力をインストールしていなければ、多分発生しません。
Read the rest of this entry
あれほど避けていた大学書林のアラビア語教科書に、とうとう手を出してしまいました。しかも二冊。
内記良一先生の『基礎アラビヤ語』と『くわしいアラビヤ語―語形と構文』です。王道ド真ん中です。
最初に購入したのは『くわしいアラビヤ語』。おそらく、日本語で書かれた唯一の「中級以上向け」アラビア語教科書です。
基礎の基礎を一応学び(身に付いているかは別)、「もうちょっと詳しい構文論などが欲しいなぁ」と思った時に、他に選択肢がなかったわけです。
選択肢がないといっても、『くわしいアラビヤ語』がよろしくない、という意味ではありません。この教科書が十分な完成度を持っていて、かつアラビア語教科書の需要の少なさから、類書が出版されてこなかった、というだけの話でしょう。独学でアラビア語を学んでいる人間には、こうした情報源はちょっとでも大変有り難いです。
『くわしいアラビヤ語』を読み進めて痛感したのは、そもそも基礎がまだまだできていない、ということです。
まだ半年余りなので勘弁していただきたいですが、とにかく広大無辺なアラビア語文法の世界、基礎の基礎を何度でも学ばなければ、到底身に付けられるものではないようです。『基礎アラビヤ語』を購入したのは、そうした経緯からです。
Read the rest of this entry
![]() |
シーア派―台頭するイスラーム少数派 (中公新書) 桜井 啓子 中央公論新社 2006-10 |
前にご紹介した酒井啓子さんの『イラクは食べる』に言及があったので、手にとってみました。なんだかこの手の「イスラーム系お手軽新書」は目につくととりあえず読んでいる気がするので(笑)、前から気になってはいたのですが、シーア派の誕生から現代イランの抱える苦悩まで、平易にまとめられた良書です。マーケットプレイスでも値段が下がらないわけです(笑)。
Read the rest of this entry
信仰について言及することが多いこのブログですが、それをどう受け止めるのかは人によってかなり違うでしょう。そもそも、このブログを読んでくれている方には、会ったことのある人、継続的にチェックして下さっている方もいる一方、エントリ単位の一見さんもいるわけで、書いているわたしを何者と見るか、そのコンテクストによってまったく意味が変わってくると思います1。
「あなたの読解がわたしの真意、神のネタには全力マジレス」で書いた通り、すべてが字面通り、あるいは字面以上に表面的に受け取られても、わたしはそれを「わたしの言葉」としたいと思っていますが、気まぐれで自分と宗教についての極個人的なことを、素朴に書いてみようと思います。
Read the rest of this entry
『文明の接近』のエントリで触れた、識字化の進んだ社会が脱宗教化される、というトッドの指摘について、もう少し考えてみます1。
お断りしておきますが、トッドは識字化が脱宗教化をもたらし、その結果出生調整がなされる、と言っているのではありません。脱宗教化は近代化の一側面にすぎませんし、出生調整に影響はしますが、それだけで出生調整が行われるわけではありません。
また、脱宗教化は「無宗教」や「無神論」を意味しません。脱キリスト教化されたキリスト教圏や脱仏教された仏教圏は可能ですし、現に存在します。
ここでの脱宗教化とは、「個々人に付きまとって寝台の中にまで忍び込んでいた、自分とは別の者がすべてを律する他律の世界の崩壊」です。「現在静かに進行している」とトッドが考えるイスラーム圏の脱イスラーム化と、ラマダーンやザカートといった宗教的行為が盛んに行われている事実が「矛盾しない」と指摘されているように、識字化による脱宗教化を経験しても、社会から「宗教的」行為が消えることはないでしょう。
Read the rest of this entry
Enemy of the Sun:「かわいそうなぞう」を殺せ!
「かわいそうなぞう」に涙し、「象がかわいそうだ(からトリアージやめろ)」と抗議する生徒は確かに「ナイーブ」で馬鹿かもしれない。しかし、本当に問題にすべきは学生が馬鹿であることではなく、まさにそうした「抗議」すらも「権力」(あえて権力者とは書かない)が自身の権力を保つために要請したものかもしれないということであり、「純粋な子供」は「汚い大人」の潜在的な味方かもしれないということだろう。
では、「かわいそうなぞう」に対して我々サヨクが為すべきことは何か?言うまでもなく、経営学者たちが「かわいそうなぞう」の話に拍手し始めるよりも早く、哀れな象の顔面に散弾銃を叩き込むことである。
素晴らしい。まるでわたしが書いたようです(笑)。
「汚い大人」と「無垢な子供」がいて、「無垢な子供」は少数派だけれど確実にいて、彼・彼女が「かわいそう」と言い、しかし象は殺される。この全体が、恐ろしく強力な吸引力を持ったトラップでしょう。経営学者に対抗するとしたら、それは「かわいそう」と言うことで、純粋だけれどバカなのだ、という囲い込みがここにはあります。
「かわいそう」と口にしてしまうことには、実は麻薬的な気持ちよさがあります。わたし自身も時々口にしてしまうし、正直とても気持ちよいです。いや、「かわいそう」を使う人々の多くは、必ずしも「かわいそう」の麻薬性に自覚的ではありません。彼・彼女たちの心の中を覗けるわけではないので、もしかするとわたしの認識より自覚しているのかもしれませんが、ここで「無垢な子供」の側を選択するということには、自らの心に対する慰撫的な効果があるばかりでなく、一定の戦略性があるのです。「無垢な子供」「馬鹿な学生」「純粋だけれど不適応な人」「弱者」、これらには、上手く使うと大変得なことがあるからです。
別段、「戦略的弱者」などと揶揄したいわけではありません。経営者が戦略を謳うなら、女子供だって持てる特権を駆使して戦略くらい練るでしょう。戦略、大いに結構。
では何が言いたいのかと言えば、そこに「戦略的有利」ができていること自体が、トラップの吸引力なのだ、ということです。「かわいそう」の入り口には、「今入会すれば30%OFF」と書いてあるのです。
Read the rest of this entry
問題の悪役ディオ・ブランドーはイギリス人孤児であり劇中に彼がイスラム教徒になった描写は存在していないし、犯罪性向としてもマニアックではあってもテロリストとはいいがたい。
つまり、ムハンマド風刺画問題等のイスラムバッシング表現で過敏になっているところに悪党がコーラン読んでいるシーンを見せられたので「悪意ある宣伝」と解釈して怒っているだけなわけで「悪意があるわけじゃなくてバカなんです」という集英社の言い訳はそれ自体としては正しいと思う。
正しいとは思うが、だったら内容を(しかも日本国内のプロダクトの内容を)泥縄で修正するより前にもっときちんと実際に描かれている内容を説明したらどうなのか。むしろ正式にライセンスして内容に対する誤解を受けないようなかたちで広く読んでもらうようにすべきではないのか。
要するにこの記事は意識的か無意識的かにかかわらずこの事件自体を「信仰」と「表現の自由」の対立というムハンマド風刺画事件で結果的にでっち上げられたステレオタイプに当てはめようとしている。
この問題について、ヒステリックな反応(ヒステリックな反応に対するヒステリックな反応)が多く見られる中で、かなり冷静な目の付け所をされていると思います。「『信仰』と『表現の自由』」の対立とステレオタイプ」とは正にその通りで、この対立軸に乗ってしまった時点で、どちらに与する以前にある意味「負け」なのです。
ジョジョ問題は、ムハンマド風刺画問題とは、そもそも本質が異なります。ジョジョの描写は別段カリカチュアを狙ったものではなく、そもそもそれがクルアーンだという認識すら持っていなかったのでしょう。正に「悪意があるわけじゃなくてバカ」です。
ただ、集英社が内容を説明すべきか、という点については、いささか疑問です。主張はまったくもっともですが、はっきり言って、今の時点でどう内容を説明しようが、焼け石に水です。彼・彼女らは、ジョジョそのものには何の興味もないのですから。クルアーンがいかに位置づけられていたかではなく、とにかくネタにされてしまった時点で、ムスリムにとっては怒る理由が色々あるのです。それを極端な宗教バイアスと非難するのは簡単ですし、わたしも少しだけそう思いますが、集英社は別段宗教戦争がやりたいわけではないでしょう。
ほとんどのムスリムは、もしもことの次第を理解したならば、闇雲に怒ったりわめいたりするほどアホではありません。ただ、主に欧米のイスラームに対する姿勢について、疑心暗鬼なまでに過敏になってしまっている、ということです。その原因について、ただ「アメリカが悪い」とだけ言うつもりはありません。ムスリムの側にも問題はあるでしょう。ただ、それを言ってどうにかなる状況ではありませんし、現在集英社が取っているように「バカなんです」と謝り倒して一旦事態の収束を見るのが先決です。その先に「内容」についてまで言葉を交わせる領域があれば素晴らしいことですが、その時はおそらく、ジョジョの内容にまで踏み込んでくれるムスリムを介して、「ムスリムがムスリムを説く」形にしなければ、まず真意は伝わらないと思います。
ジョジョを全巻読破していて、かつクルアーンを読誦しない日が一日もない、というおそらく稀有な日本人として、この騒ぎはとても心が痛いです。本当は何も言いたくありません。ひたすら悲しいです。ただ、「『信仰』と『表現の自由』」の対立」という図式自体が、既にトラップなのだということ、それを強調するためだけに一応エントリを立てておきます。
奥行きが不安です。
このことを思い出したのは、アラビア語の発音がキッカケです。アラビア語には喉や口蓋の奥を使う音が多く、似た音を弁別するのに、口の「前」と「後」というのを意識しないといけません。依然として(おそらく一生)キチンと発音できないので、気張っていると意識に合わせて顔が前後していたりします。まるで初めてテレビゲームをやった子供が、画面のキャラクターに合わせて身体を動かしてしまうようです1。
かつて離人症的症状がひどかった時、奥行きが気持ち悪くてたまらなくなりました。正確には、奥行きというのが「わからず」、にも関わらず奥行きの概念を備えている、という状態が叫びだしそうなほど怖かったです。
この感覚を表現するのは難しいのですが、ものに実体感がなくなると、机は机で確かに見えているのに、何か全部が平べったいカキワリのように見えて、いちいち触って裏側がないか確かめたくなります。別段、視覚が変わるわけではないのです。「生気がなくなっている」とでも言えばよいのですが、何が足りないのだろう、と考えると、奥行きがないのです。
立体視ができないわけではありません。「モノに奥行きがある」ということも理解しています。ですが、「別に奥行きがなくて立体っぽく描いてある絵でも一緒なんじゃないか」というか、奥行きの意味がわからなくなるのです。
全然伝わっていないですね。すいません。
「実体感」と概念として括り出してしまうと、抽象的すぎて違う気がしてきます。その欠落が実際に感じられるとき、「奥行き」なるものの形をとって表れる。明らかに物理的な意味での「奥行き」ではないのですが、なぜかそれが「奥行き」の身を借りてやってくる。
Read the rest of this entry