現実界のかけら、アブラハムの羊、鏡に映らなかった物質

「愛情を裏切ったからって神様にとやかく言われる謂はないわ!」
「神様は何も言わないよ。言わなくなって、何年にもなる」
『気分はもう戦争』 矢作俊彦 大友克洋

 「神様」を「みんな」に言い換えても結構です。
 「みんな」は何も言いません。「みんな」を構成している個々人が何かを言うことはありますが、「みんな」そのものがトコトコ歩いてきて「君は・・・だよ」と< わたし>の意味を教えてくれることは、残念ながらありません。
 「神様」「みんな」とは< 全体>のことであり、要するに大文字の他者です。
 ですから、沈黙したままの神とは、世界そのものである、ということもできます。汎神論です。神は必要十分に表れており、All alive are fittingゆえに、取り立ててもう言うことはない、というわけです。「みんな」の意志は、既に世界の有り様に反映されている、という見方です。

 でも、何かが足りません。
 確か相原コージの『一齣漫画宣言』で、仏陀のような人がこんな「悟り」を開くものがありました。

「良い人もいる。悪い人もいる」。

 真理です。
 真理過ぎて、全然使えません。神が世界そのものである、「みんな」が既に充足している、というのは、この「悟り」のようなところがあります。
 わたしたちは普通、こういう「悟り」を「無意味」と言います。「確かに正しいけれど、だから何やねん」です。
 では「意味がある」とは、どのような状態なのでしょうか。
 「真理過ぎる」ものが無意味であるのは、文字通りであって、意味があるためには、何かが不足していないといけません。不足したものが形を変えて帰ってくる時、わたしたちは「意味」を感じることができます。

 わかりにくくなったので、少し迂回しましょう。
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侠なら、鯨に賭ける心意気を見せろ

 ギャレット、殺すべきです。
 あのダンスは絶対おかしいです。

 それはともかく、鯨です。
 ペルシャ湾に派遣する船があるなら、捕鯨船を護衛させなさい。
 ホエール・ウォッチングの鯨をババァ観光客の目の前で殺し、持ち帰りなさい。

 似たようなことをガタガタ言うナショナリストがいたり、「お前ら豚食ってんじゃねぇか」とか混ぜっ返したり、「ムスリムは自分の食ルールを押し付けないよね」などととんでもない勘違いと混乱を振りまくアルツさんがいたりしますが、まったくもってぬるい!
 鯨で声を荒げたいなら、まずオージービーフを禁輸です。
 もう、牛なんて食うな。
 というか、陸の動物を食べるな。ハラールじゃないから
 日本人なんて元々鳥とかウサギをたまに食べる程度だったのですから、ナショナリストたちは鯨に賭ける心意気を見せなければなりません。 白豚どもに「鯨さえ食べられれば牛も豚もいらねぇぜ!」な半端ない意気込みを示すのです。

 でも皆さん牛も鯨も食べたいんですよね。
 あぁヤダヤダ。やっぱり革命しかないのかしら・・。
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世代間テロ

 今でこそ世代間搾取の問題を多くの人が意識するようになりましたが、何故これが大きく取り上げられないのか、随分以前から疑問に思っていました。おそらくフリーター問題等で格差全般がクローズアップされたことで、ようやく世代間搾取が前景化されるようになったのでしょう。
 依然不思議なのは、世代間テロが(少なくとも大々的には)起こっていないことです。
 職を失い自暴自棄になった青年が、老人を無差別に殺害する。そのような事件が、何故起こらないのでしょうか。子供を無差別に殺す人はいても、老人を誰彼なく襲う、というケースはあまり耳にしません。
 別段世代間テロを称揚しようという気はないのですが、心に思い浮かべたことのある人くらいなら少なくないはずです。その一万人に一人くらいは実行に移しても不思議ではないと思うのですが、ふんぎりがつかない理由としては、
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HDC-U320と丸ごとバックアップ用フリーウェア

 バックアップ用にUSB外付けハードディスクを買いました。IOデータHDC-U320です。
 ずっと「ハードディスク買ってバックアップしなきゃ」と思いつつ、主に美容関係に資金を吸い取られ、ズルズル先延ばしになっていました。実用的なことになると、途端に許せる価格ラインが厳しくなるのが不思議です。
 HDC-U320を選んだのは、単に売れ筋の定番商品とういだけで、こだわりはありません。
 わたしはムラウチというショップで買いました。購入時点で税送料込10,773円、アマゾンでは11,200円だったのでこちらにしました。
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選挙権売買と「選ぶことを選ぶ」自由

 ひょんなことで知った山形浩生氏の十年以上前のテクストが、素晴らしすぎます。

今の民主主義なんて、くだらないと思いませんか。だれもちゃんと、民主主義のあるべき姿なんか考えてないと思う。カンボジアくんだりにでかけてって、原住民に形式的に選挙させて喜んでる連中なんて脳が腐ってると思う。小学校の学級会の水準から一歩も進んでないと思う。だって一人一票とかいうけれど、あのバカの一票と、このおれの一票が同じ価値なわきゃないんだから。そう思ったことのない人間は、そもそも物を考えたことのないバカか、でなきゃよほどの聖人だ。(「市場制民主主義――選挙権を売ろう!」)

民主主義は、今の日本人、いやそれどころか世界の先進・中進国すべての人間たちの政治思考を冒している疫病のようなものだ。みんな、一人一票の学級会民主主義だけが唯一無二の理想的政治形態だと信じ込んで、何の疑問もいだいていない。民主主義こそが正しくて、民主主義からはずれているものはすべてまちがっていて、まちがっていればそれは民主主義のせいじゃなくて、正しい民主主義からはずれたためだ、とする連中はどこにでもいる。(「反民主主義はおかしく、そして居心地悪い」)

 さらに山形氏は、選挙権売買の合法化という提言をされています。

もちろん、今すぐに普通選挙を廃止することはできない。(・・・)必要なのは、考えの浅い人たちが自主的に選挙権を譲り渡すシステムだ。しかも最小限の変更で。選挙権の売買を合法化するのだ。

みんなが本当に己の利害に直結した問題として政治を見つめる。民主主義って、こういうのがあって初めて成立するんじゃないの?

 ラディカルです。

 ここで批判されている「民主主義」とは、「パンとサーカス」的見世物に堕したものであり1、ただ「選んでいる感」を提供する、もっと言ってしまえば「あなたは確かに選びましたよね、だから結果に文句もないですよね」「あなたの自由はそこで行使されたのですから、もう自由はないですよ」という言質を取るためだけのシステムです。これが「選択の自由」なる代物です。
 こうした「ピザのトッピングを選ぶ自由」に飼いならされてしまった人々には、「選挙権売買の自由」はまぶしすぎて直視できないことでしょう。
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  1. 「ラディカル・デモクラシーと「ただの民主主義」」参照。 []

郵便屋配達夫は通り過ぎ、わたしは目覚め、理由になる

 草さんの『「語られたこと」の外部としての「語ること」、記号論の向こう側』が素晴らしいです。このエントリはsho_taさんの『私たちはいつも、「不完全な贈り物」を届けたがっている』を受けたものなので、こちらから辿られることをお勧めします。
 問いは「コミュニケーションの不完全性」を巡って展開します。メッセージはエンコードされ、宛先でデコードされます。「不完全性」は、一見デコードの失敗であるかのように見えます。しかしそもそも、「正しいコード」はいかにして伝えるのでしょうか。

最後に「真意の伝達」があるのではなく、「真意の伝達」のあとから、メッセージ/コード/コンテクスト等等が見出されるのです。(・・・)メッセージを伝える前にコードを渡しておかなければならないとしたら、コードを伝えるためのメタコードをあらかじめ伝えておく必要が生じ、メタコードを伝えるためにはメタメタコードを渡しておかねばならず、以下同様の事態が無限に連なるため、私たちは永遠にメッセージの送信を始めることができません。
とにかく、どういうわけか、真意が伝達されます。海と言ったら海のことなのです。

 これは「独立したコードは存在せず、メッセージに練りこまれた形で習得される」という意味ではありません1

なぜ斯くも「コミュニケーション」とは不完全なのか?
ショータさんは、これに対する答えを二つしか思いつかないといっていますが、私は答えをもう一つ知っています。コミュニケーションはつねに完全である、というものです。そう、手紙はつねに宛先に届きます。

 デコードは成功しています。ただし、届く宛先は< わたし>ではありません。郵便屋さんがこっちへやって来ると思ったら、わたしをスルーして背後の宛先に届けてしまうのです。
 わたしはあっけにとられ、背後の誰かを振り向きます。本当の宛先を確かめようと。正確には、この時振り向いてしまったもの、それが< わたし>です。

 以前『ブログ記事評価におけるテクストの自律性を問おうとして人格概念と意味についての議論にはまりこんでみる』の脚注で、こんなことを書きました。
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  1.  後期ウィトゲンシュタイン的な視点で、「世界を眺める点」としての< わたし>のみを思考するなら、尤もな解釈だと思います。 []

『現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義』 池内恵

  『一神教文明からの問いかけ』に収録された池内恵氏のテクストが魅力的だったので、『現代アラブの社会思想』を読んでみました。
『現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義 (講談社現代新書)』 池内恵 『現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義』 池内恵
 前から気になりながら未読だったのですが、イスラーム関係では類書の思いつかないタイプの一冊です。

 日本のアラブ・イスラーム関係テクストは、(主に左派の)バイアスがかかりすぎているきらいがあるのですが、池内氏の文章は「贔屓の引き倒し」ではなく、イスラーム文化のみっともない側面も含め、ラディカルな取り上げ方をしてくれます。本書の主題もオーソドックスな「イスラーム文化」ではなく、かつてのマルクス主義や赤軍派との関係、そして現代イスラーム主義の最底流を流れるサブカルチャー的終末論。これらの「イカガワシイ」テクストがアカデミズムの文脈で取り上げられる機会は多くないと思うのですが、イスラーム主義的な潮流には確実にこうした「カルト的」要素もあるわけで、教養あるムスリムであれば蓋をしたい面までも視野に入れてこそ、「イスラーム理解(の困難さの理解)」につながるはずです。
 個人的にはむしろ「イカガワシイ」要素にこそ惹かれますし、逆説的にもサブカル的側面の方が、日本や西洋における「ノストラダムス」的世俗終末論や陰謀言説と通じ、入りやすい一面もあります。もちろんここだけ取り上げては最悪のバイアスになりますが、最終的に取り上げられるカルト教説の一部があまりに「トンデモ」なため、普通の読者がこれをイスラーム全体と同一視する、ということはむしろ考えにくいはずです。

 もちろん、池内恵氏は単に「イスラーム・カルト」の蒐集を陳列しているわけではありません。「サードパーティ言説」に着眼する意義は、次の一節に見事にまとめられています。
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特定のエントリがはてなブックマークに表示されない

 「『「新約聖書」の誕生』善悪の知と永遠の命」というエントリが、なぜかはてなブックマークに表示されません。
 正確に言えば、URLでフィルタリングした時、「このサイトの新着ブックマーク 」(ブクマ単位のページ)には表示されるのに、「注目のエントリ」「人気エントリ」「新着エントリ」といった記事単位のページには表示されません。現時点で7つブックマークがあるので、閾値はクリアしているはずなのですが、不思議です。
 ざっくり検索してみたところ、住太陽のブログ:はてなブックマークの「注目エントリー」にだけ表示されない不具合でも似た現象が報告されていましたが、こちらは「注目」のみ表示されず、他は問題ないようです。
 Bloggerのアップデートによる不具合が疑われていますが、当ブログはWordPress。そもそもブログサービスの問題で特定のエントリだけが除外される、などという現象があるのでしょうか。ブログ全体が拾われないなら、テンプレートに問題がある可能性も捨て切れませんが・・。
 件のエントリだけの特徴はないか考えてみたのですが、正直さっぱりわかりません。
 ヨソサマのサービスのことなので、仮に不具合だとしても文句を言う筋合いも意志もないのですが、素朴に不思議です。
 やっぱりユダヤの陰謀でしょうか。

追記:
 厚かましくはてなに問い合わせメールを送ったところ、誤ってスパム判定されていたらしく、メールの翌日には正常に表示されるようになりました。迅速かつ丁寧な対応、ありがとうございます! はてなダイアリーでもないブログに対し、本当に誠意ある受け答えでした。木で鼻をくくったような対応しかできないwebの支配者G社とはエライ違いです。